6時起床。今日は、娘の世話は妻にお願いして、1人で福島競馬場へ行く。目的は、9レースの開成山特別(芝・2600m)という500万クラスの条件戦。メインレースでもなく、例年であれば特に注目されることもない一条件戦だが、今年は違う。オジュウチョウサンという、障害レースの歴史的名馬が出走するのだ。オジュウチョウサンは、父・ステイゴールド、母・シャドウシルエット、母の父・シンボリクリスエスという血統の7歳牡馬。2013年のデビューから2戦は平地(芝)のレースで未勝利に終わるものの、障害レースに出走するようになってからはコンスタントに実績を重ね、2016年4月からはこれまで9戦無敗、障害G1レース5連覇を達成している馬である。そんなオジュウチョウサンが、今回2歳時以来約5年振りに、障害ではない平地のレースに出走するのである。しかも、鞍上は武豊。これは、どうしても生で見てみたい。
通常、障害レースに転向するのは、平地(芝やダート)のレースで力が足りない馬、特にスピードが足りない馬である。スピードが足りないというのは競走馬にとって致命的な欠点であるが、障害レースであれば、障害飛越のスムーズさやスタミナを武器に勝負することが出来る。一方で、どんなに障害レースで強い馬も、平地のレースでは勝負にならない、というのが一般的な見方である。しかし、オジュウチョウサンならもしかして通用するのでは…。競馬ファンだけでなく、記者や関係者の中でも「間違いなく通用する」という意見もあれば「通用するはずない」という意見もあり、議論が盛り上がっていた。
私は、希望的観測ではあるが、「おそらく通用する」と考えていた。一応、根拠もある。第一に、普段は4,000mクラスの距離を、しかも障害を飛越したり坂の上り下りをしながら走っているのだから、2,600mを走るスタミナは間違いなくある。第二に、オジュウチョウサンの走り方は重心が低く、障害レースには不向きで、むしろ平地のレースに向いていると言われている。第三に、これが最も懸念されているスピードに関する部分であるが、彼は前走の「中山グランドジャンプ」で4,250mの障害コースを走った際に、最後の3ハロン(600m)を36.9秒で走っている。これは、今年行われた天皇賞・春(京都・芝・3,200m)で入賞した馬たちと比較しても、1秒くらいしか変わらないタイムだ。そう考えれば、彼の持っているスピードは、今回の500万条件はもちろん、長距離のレースならオープンクラスでも十分通用すると推測される。これらの理由から、今回は勝てるのではないか、と考えた。
7時過ぎに家を出て、新横浜から東海道新幹線で東京へ向かい、8時00分発の東北新幹線やまびこ175号に乗る。朝食は、東京駅で購入したカツサンド。朝からちょっと胃もたれする。
福島駅では、在来線ホームで「とれいゆつばさ号」を見ることが出来た。福島と山形・新庄を結ぶリゾート列車なので、これまでなかなか見る機会がなかったので、タイミングがよくてラッキーだった。
福島駅のバス乗り場はすごいことになっていた。福島競馬場へは直通バスがなく、通常の路線バスに乗ることになるのだが、私と同じようにオジュウチョウサン目当てに多くの人が詰めかけて大混雑になっているのだ。しかも、複数の種類のバスが競馬場の前を通るので、「次のバスは○○番乗り場から出ます」という案内に基づいて行列が大移動したりと、なかなかの混乱っぷりだった。私は1本見送ったことで座れたが、車内はギュウギュウだし、途中のバス停で待っていた地元の方々はそもそも乗車出来なかったりしていた。おそらく、普段はこんなに人が来ることはないのだろう。そんな中でも、運転手さんが冷静で、お客さんを的確に誘導していたので安心感はあった。
何とか福島競馬場に到着し、少し散策する。天気がいまいちで気温も低く、肌寒いくらいである。今年は福島競馬場が出来てちょうど100年らしく、記念スタンプが印刷された馬券も発売されていた。
第2レース(3歳未勝利、ダート1,700m戦)で、藤田菜七子騎手が7番人気の馬を持ってきた。来場者が多いこともあって、ゴール前は大歓声に包まれる。レースが終わってから気付いたのだが、7月7日、菜七子が7番人気。完全にサイン馬券だ。なぜ気付かなかったのだろう。悔しい。ちなみに、馬はコパノステラートという3歳牝馬で、名前からわかるとおりDr.コパさんの馬である。藤田騎手はコパさんの馬と相性も良いし、ダートで前に行ける馬に乗った時は買いなんだった。ますます悔しい。でも、彼女の笑顔を生で見られたから良しとするか。
早めの昼食に、福島競馬場名物のひとつである「上杉」の牛ばら串を食べる。炭火焼きなので香ばしく、ジューシーで「肉食ってるー!」感がしっかりと感じられる。串焼きでこの美味しさはすごい。さすがは名物。
続いては、「花月寿」で月見そばを頂く。某有名予想家が絶賛していたお蕎麦で、なるほど確かに美味しい。失礼ながら、店構えからは想像できない味である。そりゃ巷の有名蕎麦屋と比べられると厳しいかもしれないが、競馬場でこういうお蕎麦が食べられるのは嬉しい。
コースに出て、内馬場のほうまで散策。多くの競馬場がそうであるように、福島競馬場も内馬場(コースの内側のスペース)には子どもたちが遊べる施設が揃っている。今日は、動物カートも動いていた。子どもの頃はこの手の乗り物が大好きだったが、お金が掛かるのでそう簡単には乗せてもらえなかった記憶がある。
障害コースの坂だ。近くで見るとその険しさがよくわかる。急だし、上ってすぐに下るというのも厳しい。
これには応募できない。年齢的にも、体重的にも。
これには非常に興味を惹かれる。
デザートにかき氷を食べる。少し特殊な「北の綿雪」というかき氷が売っていた。今流行りのふわふわなやつだ。トッピングをチョコレートにしたら、当然ながらチョコレートソースがすぐに固化してしまった。しかし、氷とチョコレートの相性は予想外に良い。
こういう言い方が適切かどうか微妙だが、きちんと馬券も買っていた。結果は当たったり外れたりで、当然ながら外れのほうが多く、お財布は徐々に軽くなっていった。
再び腹ごしらえ。先ほど牛ばら串を買った「上杉」で、今度は牛タン串。牛タンも美味しい。なかなかの厚みがあって、きちんと牛タンを食べている満足感が味わえる。その後、ソフトクリームも購入。夏場の競馬場でソフトクリームは外せない。
いよいよ、第9レースが近づいてくる。パドックへ行くと大混雑で、ほとんど馬が見えない。G1レース並みの混雑だ。しかも、地元の人たちはこういう混雑に慣れていないのだろう、譲り合って詰めるという文化がないので、所々でピリピリした雰囲気が漂っていた。
早めに自分の席に戻り、本馬場入場を眺める。これが本当に500万下条件のレースかと疑いたくなるほど、場内が熱気に満ちている。おそらく、これまでで一番盛り上がった条件戦だろう。そんな盛り上がりをよそに、オジュウチョウサンの馬場入りは落ち着いたもので、返し馬でもリラックスして走っていた。まあ、普段は障害レースとはいえG1レースを走っている馬だから、これくらいの雰囲気は慣れたものなのだろう。
発走は14時35分。ファンファーレが鳴ると、これまたG1レースの時のように手拍子が起きる。すごい盛り上がりだ。オジュウチョウサンは5枠6番。ゲートが開いて素晴らしいスタートを切る。それだけでまた場内がどっと沸く。一瞬先頭に立ちそうになるが、そこは外から来た馬たちに譲り、1周目の正面スタンド前では4番手、馬群の外目に位置していた。スピード的に流れについていけるかという不安はこの時点でほぼ消えた。そして、向う正面から第3コーナーに掛かる頃に後ろから押し上げて来る馬たちに合わせてペースを上げ、そのまま前を捉えて最終の第4コーナーでは既に先頭に立っていた。オジュウチョウサンが先頭で最後の直線に入ると、会場は大盛り上がり。結局そのまま後続の追撃を交わし、拍手喝采を浴びながら、最後は楽々と2着馬に3馬身の差をつけて1着でゴールした。これは、まさに楽勝だ。馬券の当たり云々を差し置いて、歴史的瞬間を生で見られたことによる感動で、背筋がゾクゾクした。
レース後の表彰式も、とても平場のレースとは思えない盛り上がりだった。「今日は有馬記念か?」と思わせるくらいである。そして、オジュウチョウサンも武豊騎手も、やはり表彰式が似合う。
後日、オジュウチョウサンの長山オーナーから、少なくとも今年は障害レースには戻らず、暮れの有馬記念を目指す意向が発表された。夢のある挑戦である。賛否両論はあるだろうが、賞金面を考えればほぼ確実に勝てるであろう障害G1を狙うのが合理的であるにも関わらず、敢えてこの道を選んだ英断に拍手を送りたい。おそらく、ファン投票で選ばれることは間違いないだろうから、あとはきちんと準備をして万全の状態で臨んでほしい。そして出来れば、有馬記念でも豊さんが乗ってくれたら嬉しいが、そこはどうなるかはまだわからない。まあ、まずはそれよりも次のレースをどうするか、だ。一応、有馬記念と同舞台で行われる九十九里特別(9月22日、中山・芝・2,500m戦)が目標とのことだが、フランスから長距離G1カドラン賞への挑戦の打診も来ているそうなので、どうなるかわからない。いずれにしても、次走もまた多くの注目を浴びるだろう。ちなみに、今日の福島競馬場の入場者数は前年比138.3%を記録し、開成山特別の売上は前年比195.6%にのぼったそうだ。オジュウチョウサン人気、おそるべし。
レース後、帰途につく。メインレース前に帰れば空いているかと思いきや、同じようなことを考える人がたくさんいるようで、バス乗り場にもタクシー乗り場にも大行列が出来ていた。仕方がないので、駅まで歩くことにする。距離にすると約3キロで、歩いているとさすがに汗が出て来る。ただ、途中に結構面白い路地があったりして、それほど苦にならなかった。
福島駅16時15分発の新幹線つばさ146号に乗り、東京へ。
早めの夕食に、車内で「米沢牛焼肉どまん中」を食べる。有名な「牛肉どまん中」の焼肉バージョンで、これがびっくりするくらい美味しかった。駅弁なので温かくはないのだが、それでもお肉の旨み、そして脂の旨みががつんと伝わってくる。駅弁でこんな贅沢なお肉が食べられるとは。
新幹線の車内誌で、角田光代さんの旅行記が載っていた。岩手県の岩泉町を旅した記録だ。この地域は2016年に大きな台風被害を受けたそうで、そこから復興を果たした飲食店を彼女は訪れていた。そんな彼女のある文章が、頭の中に強く残った。
「恥ずかしいことに、私は2016年の台風のことを覚えていなかった。この町に死者まで出る被害があったことも、知らずにいた。もしその前に旅していたら、すぐにそのニュースは目についただろう。実際の友だちの身を案じるように案じ、自分にできることはないかと考えただろう。何も知らずにいることの無力と、知って何もできないと焦る無力は、まったく異なるものだと私は東北を旅して思うようになった。」
東京駅で東海道新幹線に乗り換え、新横浜へ戻る。妻へのお土産は、定番の「ままどおる」にした。これは鉄板のお菓子だ。
家へ帰る途中、コンクリートの道の真ん中で、セミの幼虫がもがいていた。そーっと取り上げて家へ帰り、裏庭の木にそっとつけてやると、ゆっくりと木の幹を登り始めた。そして翌朝見てみると、きちんと脱皮に成功していた。明け方はまだ羽が透明だったが、昼前には立派にアブラゼミの色になり、夕方にはどこかへ飛び立っていた。セミの寿命は約1ヶ月。雄か雌かはわからないが、雄なら「ガンガンアピールしてガンガンセックスしろよ」、雌なら「命短し恋せよ乙女」と送り出したいところである。
ちなみに翌朝は、網戸のところにヤモリも遊びに来ていた。夜には毎日のように窓の向こうに見かけるのだが、明るい時間帯に会うのは初めてである。小さくてかわいい。