はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

ワクワクとオロオロの半日だった

2019-02-13 | 感情と気づき

夕べから降り続けた雪で又休校

 

休校になると

 

その分夏休みの始まりが遅くなるのだけれど

 

6月7日以降は


クラスをもうける事が出来ないので

 

約1週間のイースターバケーション(春休み)に


登校する事になりそうだ。

 

 


朝少しでもと車の周りの雪かきを始めたけれど

 

今回の雪は水分を含んでいて重くて重くてギブアップ

 

こういう雪は雪だるまや砦を作るのに最適



 

3人で裏庭に雪の砦を作る事にした。


 

高知生まれの私は雪遊びをした事もないので



 

こんな年齢になっても 楽しくて楽しくて、、^0^



 

この日の午後予約が入っていた私が


家に入って支度をし庭に出ると


二人の姿が消えどこを探しても見つからない



こんな事故が頭にあった私はパニック、、


   大パニック


頭の中は真っ白でオロオロオロオロ

 

心臓はドキドキドキドキ


年齢のせいかどうか


こういう状態に陥ると


物事をきちんと考える事も出来ない。


外をかけながら


大声で二人の名前を何度も呼んだら、、


裏庭から続く丘の下から



二人の返事が聞こえて来た。  ふぅーー





今日はここまでにし

 

明日も続けてもっと大きくするんだ 


写真と一緒にバッキーに送ると

 

”明日は気温が低くなるし

 

雪をバケツに詰め混むのも難しくなる。”  と

 

返事が来た。

 

流石 雪国育ち  詳しい!

 

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過去の過ちが消えた

2019-01-23 | 感情と気づき

月曜の朝イリノイからアイオワに向かう道


凍った木々が美しくて走りながらスマホでパシリ

 



さて土曜の夜観た映画の一つAbout Time  

 


ラブコメのこの映画


男たちはタイムトラベルが出来ると言う家系に生まれた青年の話


 

”ねえ 貴方にあんな能力があったら

 

 いつに戻りたい?”  と

 

映画の途中バッキーに訊くと

 

”軍隊を辞めた年だ。”  と言う返事が返って来た。

 

”えーー 子供も出来て一番大変だったそんな年に返りたいの?”  と

 

意外な返事に驚いた私が言うと

 

”やり直したいんや。”  と

 

何やら悲しそうな暗い表情で言う。

 

 

その表情を見るや

 

私の頭の中で過去の出来事が猛スピードで流れた。

 

 

私はこれまでバッキーが犯した過去の過ちを持ち出し

 

何度か彼を責めたことがある。



バッキーはそんな私の話をうつむき加減に聞きながら


謝る時もあれば

 


うるさい  と怒鳴り声をあげる時もあった。

 

 赦す事が出来ないまま


ずっと心の底にあったその出来事が

 

この時

 

”やり直したいんや。”  と

 

暗い表情で呟いたバッキーを目に

 

変えられない過去の過ちに苦しんできたのを感じた。

 

そして苦しめた自分を省みた。

 

 

 

 

 

バッキーにそれを確かめた訳でもないし

 

単に若い頃に戻り

 

人生をやり直したいと言う意味かも知れないし

 

私と結婚せず一人でアメリカに戻り

 

大学に進み別の人生を送っていたら、、、

 

なんて事かも知れないけれど、、、

 

こう感じた事で

 

私自身が救われる想いだった。



あの事で私自身が苦しむ事はもうないだろうと


思える程、、、、

 

 

 

青年が持つタイムトラベルの能力は

 

過去だけにかえれるもので

 

ルールもありそれ故の失敗もしながら

 

好きな彼女を射止め結婚

 

 

ちょこっとダサい青年が可愛い彼女にアプローチしていく過程は

 

何とも微笑ましく

 

婆さん すっかり 気持が若返った。



後半は青年が生きると言う意味や


幸福について悟っていきそんな姿に


何気ない日常の中にあるひと時ひと時を


 思いっきり生きる事の大切さを教えてくれる。




最後のシーンでは  涙 



亡くなった父親とも


タイムトラベルし会っていた青年だけれど


タイムトラベルが持つルールのひとつによって


本当のお別れを父親とする日が来る

 

 

ティッシュ準備しご覧ください







火曜の朝あったバッキーからのテキスは

 

テキスト内容にピッタリのBitmoji と一緒に送られて来た

 

このアぷを彼のスマホに入れる時

 

ブーブー文句を言っていたのに

 

私よりそれに時間をかけているのに笑ってしまう、、。

 

 

今日の内容は

 

天候の為学校が休みになった、、というもの。

 

 

 

仕事のない私ですが

 

健康である事を証明する為

 

胸部Xレイを受けに病院に行かなくてはいけない

 

運転に気を付け行ってきます。

 

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大切な物

2018-12-28 | 感情と気づき

 

クリスマスの夜は床屋のジェイク君を誘って

 

我が家で夕飯

 

 

 

エビやステーキをグリルで焼いた。

 

 

 

平日私がアイオワの家にいる間

 

この二人は一緒に

夕飯を作って食べているようで

 

バッキーの食事の心配をしていた私も一安心

 

 

料理もするバッキーだけれど

 

一人だとどうしてもめんどくさくなって

 

クラッカーにチーズとか 

 

チップスにビールとか

 

カップヌードルとか  、、、あっ  それは私か、、、

 

 

そんなもので終わらせる事って多いものね。

 

 

 

 

 

クリスマス翌日サーモンを焼いた

 

カリフラワーはオーブンでローストし

 

残り物のステーキは

 

  ブロッコリーと一緒に炒めた。

 

 

 

ご飯はニンニクたっぷりのバターライス、、だ、。

 

 

 

 

 そうやって夕飯の献立を考えていると

 

二人で食べる事お昼から楽しみにしている

 

自分の心の片隅の

 

   隅の隅にいた ワクワク感 に気づいた。

 

 

 

 

夫婦もこれだけ、、、37年半、、、長くしていると

 

お互いが当たり前の存在になってしまって

 

代り映えしない夕飯を

 

二人で食べるひと時

 

思い出のページさえ飾らない。

 

 

 

 

だからこそ

 

このワクワク感がとても貴重に感じられて

 

 

   忘れたくなかった私は

 

じーーーっと その感情に意識を向けた、、、ら

 

 

それは心地よく 広がっていった。

 

 

 

 

私はそういう作業が好きだ。

 

       写真はネットより拝借

 

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意地悪な気持ちが消え

2018-08-13 | 感情と気づき


私が働くスーパーの店長が変わって1年ほどになる。

新しい店長は人件費を削減する為

 従業員の労働時間を大幅にカットした。


私が働く寿司、中華のコーナーにはイタリアンも並び

それぞれの従業員の休憩時間は

 お互いがカバーし合うようになっている。





英語が話せない中華シェフと働いていたある日

休憩時間になった私は

寿司コーナーで働いていた寿司太郎に


”今からランチに行くけれど

 イタリアンの人と一緒に

中華の手伝いもお願いします。” 
 と言うと



寿司太郎は物凄い剣幕


”ユー ノー テル ミー

テル マネージャー


マネージャー テル ミー ” 
 と


私から仕事の指図は受けたくないと怒鳴る。



1か月ほど前に

私がちょっとした事で寿司太郎を怒らせた事から

彼はこのような態度をとるようになった。




最近 

怒りとか悲しみの感情が以前に比べわかない私は

この日も寿司太郎の怒りに動揺する事はなかった。



以前ならきっと

”私たちは一つのチームで

  お互いを助け合わなければいけない。”
 などと

きつく言い聞かせていただろう、、、、



ただ

”マネージャーに言え”  と言った寿司太郎の言うように

この件をマネージャーに話してやろう、、、と

意地悪な気持ちはゆっくりと出初めてはいた。




休憩から戻ると

誰から言われたのか

寿司太郎は中華に来る客の対応をしていたので

 その日はマネージャーに話す事は止め様子を見る事にした。






その日の仕事を終え店を出ると

 店の前に停められた自転車が目に入った。


スーパーのレジ袋を何重にもシートにかぶせたその自転車は

 自転車で通勤する寿司太郎の物に違いない。








暑い夏シートが焼けないように、、、、


突然の雨に濡れないように、、、、、、、、


冬は冬でシートが凍り付かないように、、、、



 寿司太郎のそんな思いと一緒に

それぞれの天候の元で痛い思いをした寿司太郎の様子も浮かび



”寿司太郎 定年まであと2年や

    頑張れよ、、、、”
  と


  寿司太郎を応援する気持ちが湧いても来た。


それと一緒に 意地悪な気持ちもすーーと消えた。

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何故怖いんだ

2018-05-29 | 感情と気づき


”ジェイクはこの日の事を子供の用に楽しみにしているんだ。”  と

カヤッキングに行く道 

私に忠告でもするようにバッキーが話した事だった。


 


ジェイク君お気に入りのカヤッキングコースに

今回初めて行く私たち、、、。







そこはミシシッピー川のように大きな川でなく

 浅瀬で石が多く

 くねくね曲がってもおり所によっては流れも速い


 


 その中をうまく漕いでいくのに細かい注意も必要だ。






”アウツスタンディング outstanding ”  と

 私のカヤッキングぶりを褒めてくれたバッキーだったけれど


突然目の前に現れたこの崖   を見るや


  


  それはそれは大きな恐怖に襲われ

 悲鳴をあげた私は

それ以後も 崖が怖くて  怖くて、、、、。



いつもなら浸食され創り出された美しさに見とれる光景なのに


 

  
恐怖におののく



 深さや前方にある大きな石に注意するより

崖から出来る限り離れて漕ぐ事で頭がいっぱいになり

 大きな石にぶつかったり 

 浅瀬にはいってカヤックがスタック stuckする事も多かった。

  

二人の足手まといにはなりたくなく

 崖を怖がる異常な精神状態の自分を落ち着かせ

  なんとかカヤッキングコースを終えたのはスタートして6時間後


車の音が聴こえるや

  ほっとした。




人の手がかかっていない自然の中、、、、、

 海のようにオープンでなく

多くの木々や迫力のある崖に囲まれると恐怖に慄く、、。


そんな体験ありますか?

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裏切者と呼ばれた日

2018-04-05 | 感情と気づき

  (水曜の朝 目覚めると雪景色)


聖書を学んだバッキーから説明を受けながら観た

   “ジーザスクライストスーパースター” で

キリスト(ジーゼス)の弟子のひとりであるユダ(Judas)が

キリストを裏切った事から

キリストが十字架にかけられる事になる。




この ”裏切る” Betray  という言葉に

   ピクリ  と反応した自分、、、。


長ぁ――ーい過去を振り返っても  

 裏切られた と感じる事は一度もないけれど

私を裏切り者 と呼んだ人は一人いる。


直接でなくネットでそう言われ

 ネット上故に ズキリ と来た。

        イタタタ




私の中では 裏切り者  悪人、罪びと、、となり

良き市民ぶっている私には、、、つらい事


そうして何故 私が裏切り者になるんだろう、、、という疑問を

  心に残したままだったからか


 こんなちょっとした事で ピクリ  と反応したのかも知れない。



  
  


相手が 裏切られた  と感じる時点で

 裏切り者が存在する訳だろうけれど

その裏切り者は裏切られたと感じた者がつくりだし

その人の心に住んでいるだけ、、。




私にそっくりではあるけれど

  私ではない。 ない  ない  ない







裏切り者  と 言われた頃 気になったのは

 他の人達が私をどう見るか だった。




 裏切り者  悪人、罪びととそう見られるのが

一番つらかったようにも思うけれど


そしたら私は 本気を入れて善人ぶればいいのだ。


いや 善人ぶるんじゃなく  

良き市民として誠実を尽くすのだ、、、コツコツと 



そう考えると

裏切り者と呼ばれた事は

 私にとって糧になる。、、ではないか


うーーん 一人で気分良くなってきた、、、


、、と言っても

もう過去の話ですがね、、、、


その人も去年の秋この町を去ったと聞く。

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     糧にすればいいだけだワン

この日の収穫は、、

2018-03-28 | 感情と気づき

ドライブの途中立ち寄ったバーは

アメリカの田舎のバー臭さ一杯



さてそんな写真と一緒に


又 私の中での変化の話、、、、







金曜の夜9時過ぎに帰宅したバッキーと

 ソファーに座って何気ない会話をしていると

バッキーがきつい言葉を発する


それに反応した私、、、、カチン、、、






こういう時

 仕事の疲れから機嫌が悪いんだ  と聞き流す自分

又は

 理屈でこの男をやり込めようとする自分、、、の


どちらかが現れてくるのだけれど

カチンと来た自分の感情を見つめようとすると

子供の頃持った父との思い出が蘇った。






いくつかある父との思い出には

恐怖心を持った自分と共に蘇って来る事が多いのだけれど

この日返ったその日もその中の一つ








私の両足を肩元で持ち上げ

 父が2階に行く階段を登る。

ぶらんと自分の身体が父の背中に垂れた私は

父が階段を1段1段登るごとに恐怖に襲われるのだけれど

怖い  とも 言えず 泣く事も出来ずにいた。

その時の恐怖心がジワンと蘇る。

うーーん 何故だろう? 



単にバッキーが何かをきつく云っただけで

何故そんな記憶に繋がるのか、、、、、


言いたい事が言えない、、言えなかった、、って事だろうか



結局その日はどこにもいかず それで終了






ただ バッキーのきつい言葉に反応した私は


 仕事で疲れているんだ  と

  言い訳をつける事もなく



こいつをやっつけてやる  と

  口論する事もなかったから

この時起こった私の中の感情は抑え込められる事



怒りとして膨らませる事もなく終える事が出来た、、のが

この日の収穫、、、かなぁーー  

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       厄介な感情たちだワン

心が軽くなったのは、、

2018-03-27 | 感情と気づき


先日 年老いた母に会うとしない のは

心の底にある母への憎しみの為 ”仕返し” をしているのだ。


と 書いたのだけれど

どうも この ”仕返し” と言う言葉で

読んでくださった皆さんが

母に対して憎しみの感情を向けている私を、、

そして実の母に仕返しをする自分を責めている私を、、、


  イメージされ心配してくださったように感じられ

うーーん  それはちょっと違うなぁーー  と

 思ったのです。


私の説明不足でもありましたので

仕返し と言う表現で自分を理解した後の感情を書きます。




 


私がそう自分を理解した時

途端に心が軽くなった、、んです。


普通なら そんな自分をまず 責めるでしょう、、、が

そんな考え方もせず、、、





そう気づいた事で心が軽くなり

まるで それによって

心の奥底の憎しみが消えて行ったような

そんな感覚、、でした。



それは母に向けられた憎しみだけでなく

他の人へのそういった不快な感情までも消えていくかのようで

心が軽くなり

自分が取る行動に小さな変化も出て来た、、んです。



 


例えば

苦手な人に接しないように努めていた自分や

人をジャッジする自分が

  小さくなってきたように感じられます。



人皆 素晴らしい命、、と言うと大げさかもしれないけれど

 そんな感動さえわいてくるような、、感覚、、です



写真はドライブに出かけた昨日


 ほうれん草を胸肉で包んだ料理のレシピ―を今日書き加えますね。
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      だから生きるのも楽しいワン


仕返し、、だった。

2018-03-25 | 感情と気づき


先日受けたセッションで

 例えば幼少期に自分が持った寂しさとか悲しみとか

  恐れとか、、、そういった思い出から

”私は捨てられた”  とか

”私は大事にされなかった” とか



そう言葉にして何度も声に出す というエクササイズをしたのだけれど


それを金曜日の朝 シャワーの中で何度も言っていたら

あっと驚く事が分かった。



繰り返し言った言葉は

セッションでも使った言葉

 ”私は捨てられた” 




はい このブログを読んでくださっている方は

”あーー お母さんの事ね。”  と

思われる事でしょう、、、その通りです。


”またぁーー  いい加減に忘れたらぁーー”  と

思われる方がいらっしゃったら

まあまあ そう言わず ちょっと聞いてください、、。


それに忘れる事  と言うのは

その時の感情を押し込めると言う事にも繋がるのではないかと思う。


過去に囚われるのではなく

過去に残してしまった感情に目を向けるのは大切ではないだろうか


傍から見て幸福そうな家庭で育った人にも

寂しい思いをした人は多いだろうし、、。

 この ”私は捨てられました。” は多くの人に言える事かも、、、。






シャワーの中で

”私は捨てられた”   を繰り返していると

少々胸が詰まる感じにはなっていく。


亡くなった  と聞かされてていた母が生きている事を知った小学時代

母を想い 泣きながら眠った夜


そんな頃にまず戻る、、、と言っても涙は出ない




続けて言葉を繰り返すと

アメリカで子供を産み自分が母親になった時

始めて母を求め伯母を通して連絡を入れたけれど

母が私とコンタクトを取る事を拒否した、、と

伯母から知らされたその日にもかえったけれど

  涙も出ず 悲しみはない



30代の半ば 突然母から手紙を受け取った私は

母に会う為帰国

それ以後手紙のやり取りで交流を持つ。

再会したその日抵抗なく ”お母さん” と呼ぶと

驚いた母の顔が目の前に広がる。



                   



数年前に母に認知症が出て来た連絡を家族から受けた。

90代になる母に会いに行こうとするのが

普通であろうが

私にはその気持ちが起こらず

無理にそれを自分に問う事もしなかった。


一緒に暮らしていないのだから

 そんなものだろう。

そう自分を理解していた。






母に捨てられた なんて 

そんな惨めな自分を見る事は小学生の自分にも出来なかった。


母が去った事に

  ”シングルマザーで子育てをするのは大変だった”  とか

  ”裕福だった祖父母の元で育つ方がいいと思った”  とか


そんな理由をつけ母の行動を認める事で

私は自分を惨めな子供と見なくても良くなったけれど


あの頃の悲しみや寂しさ、は蓋を閉められ

それらの感情は母との付き合いの中で

 憎しみに変わったのかも知れない。

そんな出来事がいくつかあった事は確かでもある、、し、、。




金曜の朝 シャワーで

 私は捨てられました と繰り返している中

学童期や青年期の過去にかえった後はっとした事は

母を想う事もせず

会いにも行かないのは

母に仕返しをしているからだ。 と気づいたからだ。


雪のせいかネットの調子が悪いので

 今日はこれで、、、、、。
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     今日は冬眠だワン


自分を責めるな

2018-03-23 | 感情と気づき


数日前に 本当の自分探しをテーマに

セッションを受けた私は

 感情を完了する  と言う事を

  あれこれ考える日々だ。



昨日も仕事中 そんな事ばかり考えていた。


記録として  思った事を書いておくことにする。



例えば 昨日のブログに書いた昔の出来事


<哺乳瓶事件>

  因みになぜそんな暴力に出たかを思い出したけれど

   それは秘密 




バッキーの行動に怒りを持った私はバッキーを責め

  バシバシと哺乳瓶で殴る



これでもか これでもかと殴りながら

私の中の怒りの感情は大きく膨らんでいく

これって暴力でなくても

相手の悪口を言ったりするのも同じだと思う

人を責めている時って

よけいカッカしてきません? ^0^

自分の中でわいた不快な感情を

自分で膨らませているのだから

自分の首を自分で絞めているのと似たようなもの、、




より膨らんだ怒りは完了せずまま

心の中に残る。 ←(想像)



残った怒りの感情が心の底にいつまでもある為

それに似た事が起こるとすぐに反応する。

この時点では怒りでなく恐怖の感情が起こる。



恐怖から自分を守る為

本当の自分でない自分の選択となる。

本当の自分でない生き方をしてしまい

本当の自分はそうやってどんどん小さくなっていく。


そんな感じかな、、、と考えた。(セッション後2日目)










哺乳瓶事件や他

  様々な面白くない出来事のあと

この国で心地よく暮らしていくため

 このように  考えてきた。





居心地の悪い自分の世界、、、



暗黒を創り出したのは自分である   と考え


小さな幸せ探し、、や   

沢山の感謝を向ける など、、、を意識し

そこから這い上がろうとした






それを ”自分を省みる”  とすると

聞こえは良いかも知れないけれど

うーーん  ちょっと違うなぁー と思えて来た。





自分の中で怒り他の

自分にとって不快な感情が起こるのは

確かに何か外からの刺激があってからだけれど

起こした、、起こってしまった、、、のは

  自分でも相手のせいでもない


多分それは、もともとは乳児、幼児期や

はたまた胎児期とか前世での体験が

 関係する事だったりするんじゃないだろうか




だからそこまで責任を取る必要など

    ない訳だ、、

ここで言う責任  というのは

自分を責める  と言う意味でだけれど、、、。






まずは自分の中の感情を

赦し認め出しきり完了させる事

 何よりも大切なのでは、、、と

今は言葉での理解のみ、、、だけれど


そんな風に考え方が変わって来た。





実行するには例えば


怒りの感情の中で他者を批判する事が起こったら


 ちょっと待てよ  と

誰のせいでもない

  自分の中の一つの感情、、として

単にその感情だけに意識を向け

  それが消えていくまで待つ事だろうか


 


そうやって完了させると

きっと自分の世界は変わり

それ以後の選択や見方も変わってきそう、、、だ。

自分で自分の首を絞める生き方はしなくなりそう




うーーん 読み返しては

言っている事が自分でも分かりにくいけれど 


冷静になる余裕を心に持つ、、

自分や他者を責めるな、、、が

言葉で考える今の時点、、です。



ここまで読んでくださった方 ありがとう。

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  考えすぎないように考えようだワン