恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

その筋の方々の活躍②

2005年07月03日 | 所感とか
あそこまで睡眠妨害されながらも行ってきました、都議会議員選挙。
私にとっては前回の参議院選挙に続いて二度目の選挙参加ですが、
やはりこういう時に自分も成人してるんだなぁ、と実感します。
前回の参院選ではネタで、とある唯一神の手伝いのため、
私の住む近隣に選挙ポスターを貼って回った経験もありましたが、
それにしても選挙っていうのはなんとも一大イベントであります。
もっとも自分が当事者でないので当落を告げるニュースを半ば楽しみつつ、
酒を片手に見ていたりするわけなんですが、当事者は本当に必死ですね。
昨日の最後の街頭演説なんか聞いてても候補者の声枯れてましたからね。
いやぁ、本当に見てるだけでも痛々しいというか大変そうっていうか。

しかしまぁ選挙前になると色々な動きに出くわすことになりました。
それは選挙期間中の某政党に関連してのことなんですが、
この政党、候補者だけじゃなくてその支持母体となる人々の熱意が物凄いんです。
私の家の親戚にもその筋の方々がいるわけなのですが、
選挙前になると必ず電話があって、今度の選挙では一つよろしくお願いします、
といった感じで督促を受けることになるんです。
その熱意はどこから沸いて来るんだ、と腑に落ちない点もありますが、
私のところにもそんな電話掛ってたわけなんです。
もっとも私が直接電話を取ったわけじゃないんで、正体は不明ですが、
その人物曰く、私とかつて同級生だった、ということらしいんですね。
ところがどっこい、私の名前を読み違えていたらしいので、
当時それほど親しい仲じゃなかったってことが推測できるんですが、
ってことは昔の連絡網かなんか使って当時の同級生に対して、
選挙での支持をお願いするために手当たり次第かけてるってことですよね。

しかしまぁ、信心とはここまで人を突き動かすのかと恐ろしいものがあります。
だって、彼らはその候補者の政党の政策を支持してるんじゃなくて、
候補者がその政党から立候補した、っていう理由で支持してるんですもんね。
なんかもう政治の話というよりも、まんま宗教的な話ですよ。
日本人っていうのは西洋人なんかと比べると信仰心が薄い、
なんてことはよく言われたりもするので、そのせいで日本人ながらも、
信仰心の篤い人間に対してはちょっと引いてしまったりするものですが、
私も大多数の人間と同じように、そういった人々への理解があまりないのが実情。
普通に寺に行けば宗派が何であろうと手を合わせるし、
葬式に参列すれば坊さんを呼んで読経をあげてもらって焼香し、
神社に行けば自然と賽銭を投げて拍手をうつっていう、それぐらいのもんです。
もちろん西洋発祥のクリスマスだってそれなりに意識したりしますからね。
ある意味でそういった信仰心にあまり拘りがないというのは、いいことだと思います。
イスラムの過激派が宗教のために命を投げ打つっていう考え方は、
典型的日本人の私にはなかなか理解できないし、それが良いとも思えないので。

そういうこともあって宗教ってなんか「怪しい」っていう感じ方が、
日本の中で蔓延しているような気もしますが、
実際に今回の都議選でもその某政党の候補者全員が当選、
とかいうニュースを聞くと「やっぱり…」という風に思わざるを得ませんな。
その実態がどうなっているのかよくわかりませんが、
思ったことを率直に書いたので、関係者の方はお気を悪くされませぬよう。

それにしてもいつまでも地域振興券を恩着せがましく言うのもどうかと。
恐懼謹言。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする