どうも最近身の回りで「若干」という言葉を使う人が多くなっております。
なんか流行ってるんですかね?テレビに出ているタレントなんかも、
何かにつけて「若干」という言葉をちょくちょく使っているような気がします。
もっともそれを私が辺に意識しているからなのかもしれませんが。
で、この「若干」という言葉なのですが、安直に辞書を引いてみると、
《「干」を「一」と「十」に分解して、一の若(ごと)く十の若しの意から》
はっきりしないが、それほど多くはない数量を表す。いくらか。少しばかり。多少。
ということらしいですね。
確かにその意味を今さら辞書に頼るまでもなく、意味がわかって使っている言葉ですが、
これってそれほど多用する言葉なのかなぁと一抹の疑問があったりします。
例えば、「若干お腹が空いた」ってのと「ちょっとお腹が空いた」っていうのでは、
その意味に違いというものはほとんど感じられないような気がします。
別に私は言語学の専門家ではないので、あくまでフィーリングですが。
何となく私が違和感を感じるというのはこの言葉自体、
今まで若者が使うような言葉ではなかったような印象があるからなのであります。
わざわざ小難しく「若干」などという言葉を使わなくても会話は出来たわけなので。
それがここに来てなぜか多用されてきているわけで。
私からしてみればこの「若干」という言葉から連想されるのは、
笑点の大喜利で林家こん平が「なお、私の鞄にはまだ若干の余裕があります」
なんていうネタぐらいしか思い当たらなかったものですが。
まぁそんな感じで徐々に市民権を獲得しつつある「若干」ですが、
意外とこの字を勘違いしている人も多くいるようで、
「若干」ではなく「若千」だと思っている人が数多く存在しているようです。
その証拠になるかはわかりませんが、試しに「若千」で検索してみると、
若千 の検索結果 約 1,790,000 件中 1 - 10 件目 (0.35 秒) google
などという恐ろしい結果が出てきたりします。
どこぞの大学の教員募集欄なんかに「募集:若千名」などと書いてあると、
おいおい、と思ってしまいます。おそらくこれを書いた人は「じゃっかんめい」でなく、
「わかせんめい」だと思ってるんでしょうな。
まぁ別に面白いからいいんですけどね。
恐懼謹言。
なんか流行ってるんですかね?テレビに出ているタレントなんかも、
何かにつけて「若干」という言葉をちょくちょく使っているような気がします。
もっともそれを私が辺に意識しているからなのかもしれませんが。
で、この「若干」という言葉なのですが、安直に辞書を引いてみると、
《「干」を「一」と「十」に分解して、一の若(ごと)く十の若しの意から》
はっきりしないが、それほど多くはない数量を表す。いくらか。少しばかり。多少。
ということらしいですね。
確かにその意味を今さら辞書に頼るまでもなく、意味がわかって使っている言葉ですが、
これってそれほど多用する言葉なのかなぁと一抹の疑問があったりします。
例えば、「若干お腹が空いた」ってのと「ちょっとお腹が空いた」っていうのでは、
その意味に違いというものはほとんど感じられないような気がします。
別に私は言語学の専門家ではないので、あくまでフィーリングですが。
何となく私が違和感を感じるというのはこの言葉自体、
今まで若者が使うような言葉ではなかったような印象があるからなのであります。
わざわざ小難しく「若干」などという言葉を使わなくても会話は出来たわけなので。
それがここに来てなぜか多用されてきているわけで。
私からしてみればこの「若干」という言葉から連想されるのは、
笑点の大喜利で林家こん平が「なお、私の鞄にはまだ若干の余裕があります」
なんていうネタぐらいしか思い当たらなかったものですが。
まぁそんな感じで徐々に市民権を獲得しつつある「若干」ですが、
意外とこの字を勘違いしている人も多くいるようで、
「若干」ではなく「若千」だと思っている人が数多く存在しているようです。
その証拠になるかはわかりませんが、試しに「若千」で検索してみると、
若千 の検索結果 約 1,790,000 件中 1 - 10 件目 (0.35 秒) google
などという恐ろしい結果が出てきたりします。
どこぞの大学の教員募集欄なんかに「募集:若千名」などと書いてあると、
おいおい、と思ってしまいます。おそらくこれを書いた人は「じゃっかんめい」でなく、
「わかせんめい」だと思ってるんでしょうな。
まぁ別に面白いからいいんですけどね。
恐懼謹言。