JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

京都・大原野御朱印巡り②

2019-10-21 | 御朱印めぐり
8月に少しだけ回った京都・大原野の御朱印巡りの続きです。8月の結果につきましてはこちらをご覧ください。

大原野は向日市の西に広がる盆地で、京都市西京区に属しています。古くから京への食糧供給を担ってきた農村で、現在はその一部で洛西ニュータウンが開発されていますが、依然として京都市とは思えない静かな農村風景が広がっています。

今回は暑さで回れなかった十輪寺、さらに南春日町付近に点在する寺社を回ってみます。


大原野は鉄道がないのでJRなら向日町駅や桂川駅、阪急なら洛西口や東向日駅からバスになります。このほか本数が少ないものの京都市内からもバスがあります。

十輪寺へのバスは阪急バスの65番。善峯寺行きになります。JR向日町発ですが阪急東向日駅を経由しますのでどちらからでもアクセスできます。

このバスは土日は1時間に1本、始発は向日町発8時35分です。今日は多くの利用客があるようです。東向日駅のバス乗り場は敷地が狭いため降車場で下車客を扱ったらお客を乗せたまま一旦阪急バスの車庫に入庫します。

車庫内で方向転換し乗り場まで戻ると乗車客を取り扱い大原野を目指します。


小塩で下車。

この辺は道が狭い上にカーブが深く添乗員が乗り込んで対向車を確認しながらとなります。このように通過予定時間を案内しています。

小塩バス停の目の前が十輪寺です。天台宗のお寺です。

創建は分かっていませんが、850年に文徳天皇の染殿皇后が世継ぎの誕生を祈願しており、その頃にはあったと考えられています。藤原北家の菩提寺となりましたが応仁の乱で焼失、本堂は1750年に再建されています。

本堂は御神輿のような屋根を持つ珍しいものです。ご本尊は最澄作と伝わる地蔵菩薩像です。

さすがの藤原北家も江戸時代になると暮らしてゆくのが精一杯の禄しか与えられなくなり庭も小さなものになっています。

またこのお寺は歌人として知られる在原業平が晩年に隠居したところで、業平が塩作りに使ったという塩竃が伝えられています。

これが宮城県塩竃市の名前の由来である「塩竃」でして、海水を煮詰める鍋である「塩釜」とは違うことが分かります。宮城県の移動運用で何度も触れていますが現在は正式な「塩竃市」よりも「塩釜」が幅広く使われています。

ちなみに海水は大阪から取り寄せていたとのこと。庶民ではあり得ない贅沢ですね。近くには業平の墓も残されています。

十輪寺の御朱印です。この他書き置きのみになりますがイラスト御朱印が多数あります。


約30分でさっきのバスが折り返してきますのでバス停で待っておきましょう。

次の灰方で下車します。添乗員さんもここで下車し次の善峯寺行きまで一休憩です。

灰方から南春日町までのバスに乗り換えればいいのですがこちらも1時間に1本。とても待ってられないので歩いてゆきましょう。20分ほどで南春日町のバス停です。

大原野神社や周囲の寺院へのアクセスとなるところで、阪急バスのほか京都市バス、京阪京都交通のバスもやってきますが本数は阪急バスが最も多いようです。


T字路この道標から左に行きましょう。すぐに西迎寺の碑が現れます。

ここを上ると青紅葉が迎えてくれます。紅葉の時期はきれいでしょうね。

1576年にニ尊院の明阿上人が開いた西山浄土宗のお寺です。ここにあった野田城の長沢市政が灰方の小野氏に攻められ敗死、市政の菩提を弔うためにお寺が開かれたと言われています。

本堂は1989年に建てられたもので手入れが行き届きまだきれいです。

御朱印をお願いしたら快く引き受けていただき、さらに本堂に上げて頂きました。二尊院と同じく阿弥陀如来と釈迦如来を本尊としています。

西迎寺の御朱印です。観光寺院ではなく小さなお寺ですが心地のいいお寺でした。


さらに歩くと大原野神社です。

784年に桓武天皇の后・藤原乙牟漏により創建されています。

藤原氏の氏神である奈良の春日大社を分霊し、長岡京における春日大社として造営されます。その後平安京に遷都しますが大原野神社はこの地に残り現在に至っています。

本殿は春日大社と同じ造りで江戸期に整備されたものだと言われています。

もちろん鹿が神の使いなのは奈良と同じです。社務所にも鹿があしらわれています。

大原野神社の御朱印です。

大原野神社は道すがらにあった樫本神社も管理していますのであわせて御朱印を頂けます。



大原野神社の参道にこのような札が。注意して見ていないと分かりませんがここから勝持寺へ行けるようです。

せっかくなのでこのルートで。勝持寺に出ることになります。

このショートカットを使わないと結構大回りになりますがこの山門をくぐることができます。

勝持寺に到着。

勝持寺は679年に役行者が創建した天台宗のお寺です。9世紀には仁明天皇の命で50近い塔頭が整備されましたが応仁の乱で全て焼失しています。のちに再建され現在に至っています。

また1140年に西行法師が出家した寺で、西行ゆかりの桜が残ることから「花の寺」の別名を持っています。

ご覧の通り本堂が古くなっていることから、本尊など仏像は隣にある鉄筋コンクリート造りの瑠璃光殿に安置されています。

本尊は鎌倉時代作の薬師如来像で国の重要文化財に指定されています。薬師如来を守る日光・月光菩薩像などが安置されていました。

勝持寺の御朱印です。


長くなりましたので今回はここまで。続きます。御朱印情報は③でご紹介します。
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