秋の紅葉で嵯峨野に行ってきました。嵯峨野には祇王寺・二尊院など有名な寺院がたくさんありますが今回は少しマイナーなところで攻めてみましょう。
JR嵯峨嵐山駅で下車。ほとんどの方は南側の出口に向かいますが、あえて北の方へ。
大きな通りが丸太町通で、ここを西に少し行くとこの交差点に出てきます。ここを右に曲がって進みましょう。
この道路は「清滝道」と呼ばれますが、戦前の愛宕山鉄道の廃線跡を道路にしたものです。清涼寺の入口に出てきますが、この付近に駅と電車の車庫があったとされます。西に入ると清涼寺の大きな山門が見えてきます。
清涼寺は「嵯峨釈迦堂」が通称で、市バスの停留所も嵯峨釈迦堂前です。1016年に東大寺の僧・奝然によって創建され、当初は華厳宗のお寺でしたが、1530年に浄土宗のお寺となっています。その後焼失や荒廃もあったことから1637年に徳川綱吉の母である桂昌院の発願により住友家が復興資金を出して再建されました。
現在も残る本堂は1701年に完成したものです。
本尊はその名の通り釈迦如来像で、985年に宋で造られたものです。宋に渡っていた奝然が首都の開封にあった釈迦像を模刻させたものだそうです。この釈迦像からは宋銭や由緒書き、人間の臓器に見立てた絹製品などが大量に見つかり、これらも合わせて国宝に指定されています。
ここまでで帰ってしまう方も多いのですが、清涼寺の本当の見所は拝観料を払わないと見ることができません。
本堂後ろの弁天堂のあたりの紅葉です。
大方丈から見える庭園が見事です。
また宝物殿(こちらも有料)の中には旧棲霞寺から引き継いだ阿弥陀三尊像があり、こちらも国宝に指定されています。896年に造られたとされ、ガラス越しではなく目の前で見ることができます。
清涼寺の御朱印です。
清涼寺は境内が広い上に有料エリアに見所があるため混み合うことなく紅葉を鑑賞できます。オススメです。
清涼寺から祇王寺方面に向かいましょう。
この道すがらに普段なら見過ごしてしまうような小道があります。
紅葉の時期のみこのように看板を出して特別拝観を受け入れている厭離庵があります。
元は藤原定家が百人一首を撰んだ小倉山荘の跡地とされる臨済宗のお寺です。江戸中期に冷泉家が再建するも再び荒廃、明治期に再興されています。山岡鉄舟の娘・素心尼が寺に入っていたそうです。
この鄙びた感じが何とも言えません。
決して広い境内ではありませんが、この風情に引かれてお客さんが多かったです。
厭離庵の御朱印です。定家の歌が御朱印になっている珍しいものです。
厭離庵は存在を知っていないとまず訪れることのないお寺ですが、ぜひ狙って出かけてみるといいです。
もう一つ穴場のお寺があるのですが、残念ながら法事中でしたので遠慮して嵐電で嵯峨野を後にしましょう。続きます。
JR嵯峨嵐山駅で下車。ほとんどの方は南側の出口に向かいますが、あえて北の方へ。
大きな通りが丸太町通で、ここを西に少し行くとこの交差点に出てきます。ここを右に曲がって進みましょう。
この道路は「清滝道」と呼ばれますが、戦前の愛宕山鉄道の廃線跡を道路にしたものです。清涼寺の入口に出てきますが、この付近に駅と電車の車庫があったとされます。西に入ると清涼寺の大きな山門が見えてきます。
清涼寺は「嵯峨釈迦堂」が通称で、市バスの停留所も嵯峨釈迦堂前です。1016年に東大寺の僧・奝然によって創建され、当初は華厳宗のお寺でしたが、1530年に浄土宗のお寺となっています。その後焼失や荒廃もあったことから1637年に徳川綱吉の母である桂昌院の発願により住友家が復興資金を出して再建されました。
現在も残る本堂は1701年に完成したものです。
本尊はその名の通り釈迦如来像で、985年に宋で造られたものです。宋に渡っていた奝然が首都の開封にあった釈迦像を模刻させたものだそうです。この釈迦像からは宋銭や由緒書き、人間の臓器に見立てた絹製品などが大量に見つかり、これらも合わせて国宝に指定されています。
ここまでで帰ってしまう方も多いのですが、清涼寺の本当の見所は拝観料を払わないと見ることができません。
本堂後ろの弁天堂のあたりの紅葉です。
大方丈から見える庭園が見事です。
また宝物殿(こちらも有料)の中には旧棲霞寺から引き継いだ阿弥陀三尊像があり、こちらも国宝に指定されています。896年に造られたとされ、ガラス越しではなく目の前で見ることができます。
清涼寺の御朱印です。
清涼寺は境内が広い上に有料エリアに見所があるため混み合うことなく紅葉を鑑賞できます。オススメです。
清涼寺から祇王寺方面に向かいましょう。
この道すがらに普段なら見過ごしてしまうような小道があります。
紅葉の時期のみこのように看板を出して特別拝観を受け入れている厭離庵があります。
元は藤原定家が百人一首を撰んだ小倉山荘の跡地とされる臨済宗のお寺です。江戸中期に冷泉家が再建するも再び荒廃、明治期に再興されています。山岡鉄舟の娘・素心尼が寺に入っていたそうです。
この鄙びた感じが何とも言えません。
決して広い境内ではありませんが、この風情に引かれてお客さんが多かったです。
厭離庵の御朱印です。定家の歌が御朱印になっている珍しいものです。
厭離庵は存在を知っていないとまず訪れることのないお寺ですが、ぜひ狙って出かけてみるといいです。
もう一つ穴場のお寺があるのですが、残念ながら法事中でしたので遠慮して嵐電で嵯峨野を後にしましょう。続きます。