12月18日(日)
京都南部の笠置山や奈良との府県境に位置する山々を訪れた。
一座目の笠置山(288m)は、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が公家政権の復活をめざした元弘の変が発覚して京を逃れ、笠置山の山頂を行在所として北条氏と戦ったところとして有名だ。この戦いに敗れた後醍醐天皇は結局隠岐に流された。笠置山へはJR笠置駅から歩いて登っても30分程だが、山頂にある笠置寺まで車で上がることもできる。ずっと前に、笠置山の旅館で雉鍋を食べたことを思い出した。山頂は寺の境内にある行在所跡で、参拝料300円を払って磨崖仏や胎内くぐりなどの行場を順路に従って進むと到着する。430Mhzで堺市のJA3WPN局、金剛山白雲岳移動のJH3JFF局と交信する。
笠置寺の山門
笠置山山頂の後醍醐天皇行在所跡
笠置山からの眺望
笠置山を後にして、京都と奈良の府県境の山を次々とめざす。
行者山(273m)は木津川市と奈良市の境界にある山で、奈良市北村町から府道47号で加茂町岩船に入ったらすぐに府県境を通る細い道路があり、この道が山頂横を通っている。山頂には何の表示もない。明神山移動のJA3JCH局と交信して来た道を戻る。
行者山山頂は道路横の樹木の中
次に向ったのは御本陣山(321m)。木津川市の岩船寺の背後にある山で、三角点があり地形図に名前がある。府道47号の「ミロクの辻」辺りに車をおき、御本陣山の南側から「三体地蔵・岩船寺」の表示にしたがって山道に入る。地蔵を過ぎた辺りに踏み跡のようなものがあるがすぐに藪となる。結局適当に登りやすそうなところを選んで山頂を目指した。山頂は三角点はあるものの訪れる人も余り無いようで、山名プレートも見当たらなかった。明神山のJH3ETK局と交信する。
ミロクの辻から見た御本陣山
本日の四座目は内ノ倉山(250m)。ここも木津川市と奈良市の境界の山だ。浄瑠璃寺横から林道のような道を登り、三叉路になったところから山道に入るとそこそこの道が山頂まで通じていた。枚方市国見山のJM3GVH局と交信しここも終了。
浄瑠璃寺横の登山口
三叉路の上にある山道に入る
内ノ倉山山頂も展望なし
この後向ったのは経塚山と殿山。加茂町山田に笠置町の飛び地があり、付近は茶畑となっている。狭い道を茶の木に車をこすりながら登る。小屋の横に車をおき奈良県境方向に伸びる林道を進む。鞍部となった府県境から茶畑の縁の道を東へ登ると経塚山(325m)だ。帰ってから改めて地形図を見ると三角点があるが、現地では確認することができなかった。茶畑の上にある大きな広葉樹のあるところが山頂だ。岸和田SAのJO3LIB局と交信する。
正面の大きな木の辺りが経塚山山頂
本日最後の殿山(303m)は、経塚山への鞍部から西に伸びる廃林道を進む。しばらく行くと林道は終わるが、府県境を示す杭が埋められ、比較的歩きやすい尾根筋の道となる。殿山の山頂もGPSがなければわからないようなところで、展望も山名表示もない。430MhzでCQを出すも応答なく、やむなく7Mhzのアンテナを張って栃木県岩舟町移動のJE1NGI局と交信した。
殿山山頂
殿山山頂へはこの杭を目印に登る
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