4月月末と書くか、四月晦日と書くか、そう思いながら4月も末日になりました。
今年の4月は長かったです。月初めに父が亡くなったせいですね。様々な催しと手続き、1日自体が長かったものです。月日の経つのがこんなに遅く感じたのは青春時代以来だと思います。
よく20代に聞いた言葉
「20歳を過ぎると30歳はすぐ」
「30歳を過ぎると40歳はすぐ」
を思い出していました。
学校時代は長く感じるものですが、社会人になってしまうと単調な日常が続くせいでしょうね。
その日常の中に結婚や子育てが入ってきて、何時しか自分も年をとったなどと思ったのが30代後半だったかと思います。
両親も60代近くになり、まだそう老人という感じでもなかった頃、若い頃のイメージが少し老けたかなという感じだった頃。
父の遺影を見ていると、目元が少し寂しそうな70代、薄い唇から幸少ない人という感じを受けました。
今日のお参りの時です。
最初に写真を見た時から感じていましたが、実物は飄々としていて何があってもどこ吹く風の人かと思っていました。が、写真というものは的確にその一場面の人物というのを捉えるのかもしれません。
写真に写っているこの時期、ムカッと来るくらいに変化の無い顔をしていた人と思った私でしたが、写真を見ると心労を感じ、その原因が私にあるのかと思うと気の毒な事をしたと思ったりします。
さて、明日はこの地域の祭りです。家はもちろん忌中なので不参加ですが、昨日から注連縄、御幣など張り巡らされて一変、通りは祭り一色の雰囲気になっていました。
提灯の柱も立ち、早い家は今日の日中もう提灯が下がっていました。
家は提灯はもちろん柱も出しません。今年は愛想なしです。
ほんのりと寂しそうに桜が咲いています。これも根詰まりか勢いが無くしょんぼりしているように見えます。
何でも、何でも無いようでいて内面は相当ショックを受けている、それが普通なのだと思います。
普通といえば、相続の手続きをしていて感じた事、配偶者が常に相続人になる、子供達が相続人になる。
親や兄弟姉妹、そんな相続の煩雑さが、家の場合はすんなりとした図式になるということ、普通の図式になりました。
これも、父が長命で母が世間一般の平均寿命の形で残ったおかげです。
普通の家族の系図の流れ、家族の繋がりや安定感など、社会の単位の家族の大切さ、年金や福祉の制度のありがたさ、等々を感じた父の最期でした。