通夜、葬儀と無事つつがなく終わり、現在ほっとして記事を書いています。
涙に暮れた一昨日、家もお線香の香りに包まれ、蝋燭の炎に穏やかな気持ちとなり、在りし日の若い頃の父を思い出し、再び涙を滲ませた通夜、葬儀。
今日の日は天候も良く、桜もほころび、穏やかな春の日となりました。
川の色も穏やかな色をしていました。雪解け水なのでしょう、ゆったりと満ち足りて流れていました。
明日からは暫く読経の声が続く毎日となります。おりんの音が響くのが気持ちよく聞こえてきそうです。
遺影の写真を見ていると、とても若く見えます。ほんの十何年か前のものですが、父の年から見ると70代、そんな年には見えない若さです。
30代からこんな感じの顔、いや、もっと若い頃もこんな顔をしていたように思うと、遺影を見ながら尽く々々思った事です。
子の欲目ではないような参列の方の感想でもあります。
私が20代の頃の父を知っている訳が無いのですが、やはり若い頃の父の写真があり、過去に何度かそれを見てきたことから、思い起こして感想が湧くわけです。
遺影にはもちろん白髪があり、遺体の方は黒髪がまだ残っていると感慨深い感じなのですが、それなりの年が分かりそうで分からない70代の父です。
若い頃から面立ちがほとんど変わっていない、そう感じた70代の父の写真でした。
精神的にも『万年青年』などと称していた父、50代になるころまで自ら口にしていたのが、いつの頃からか聞かなくなってしまったと思っていましたが、内心やはり若いままだったのかもしれません。
…
個人を褒め過ぎてしまった。
春の陽気のせいと一笑に付してください。
穏やかな春の日、父も穏やかに彼岸へと春の川を渡れますようにと願っています。合掌。
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だって、迷ってうろつかれると嫌ですもの