Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

南風

2013-04-14 20:48:07 | 日記・エッセイ・コラム
蒲公英、土筆も珍しくなくなった今頃ですが、母の日、父の日、夏向けの薄着など、衣料品を見ていると昨年のことを思い出します。
これがいけません。しんみりしてしまいます。
何故かというと、昨年父の日にステテコをプレゼントした事を思い出してしまうからなんです。
また、このステテコを父が愛用してくれました。昨年一夏着用してくれました。
その事を思い出してしまうのです。じんわりしてしまいました。
昨年、ぼけた父に案外喜ぶのではないかと選んだ絵柄が、キティちゃんのステテコでした。父は隠していましたが、どうも猫好きなようでした。
そして、実の所このステテコを、父はとても喜んで愛用していたようでした。洗濯している時以外は何時も掃いていたものです。
ほとんど室内に居たので知らない人は知らないのですが、2回ほど回転寿司に着て行きました。
平気平気、大丈夫とそのまま食べに行ったものです。
この回転寿司のお店も、父が入院していた時に既に入る気になれないでいました。一緒に行ったという思い出が、もうだめだと分かった時に辛いものに変わっていたのでした。
生前でさえ、もう逝ってしまう人と思うと、もうあの家族団欒の思いでは、こんなにも辛い気分を起こさせるものなのだと実感していました。
喜ぶ顔を思い浮かべて選んだ商品、本当はこんな猫や、可愛いものが好きな人らしいからと微笑んだ、その品選びの時の気持ちを思い出すと、あんな風にその人に、物を選ぶ事がもう無いのだと喪失感を覚えるのです。
肉親の死に対面すると、寂しさ、喪失感、それ以上に胸苦しい思いというものに襲われるのだと、この歳で始めて知りました。
祖母、祖父、その他親戚の人々、多くの死に出会って来ましたが、流石に1親等の死との出会いは格別に堪えるものなのですね。不仲であった父でさえです。