Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

1つの区切り

2016-09-04 20:55:06 | 日記

 2年制の大学に通っていた私の短い学生生活はあっという間に過ぎてしまいました。

就職先が決まらないまま公務員の待機期間で自宅に1年、その後資格を取る為に専門学校へ通って1年と、あっという間に4年制の大学へ行った同級生と同じ年月を過ごしてしまいました。

こうなると、期間だけでいえば普通の大学に行ったと同じ事だと、県外に行くなら費用の関係で短大でないとダメだと言った父につい不満を言ってしまいます。

就職が決まらないのも何だか父のせいに思えてしまいます。

 私の学校は、大学の有る地元での就職が多い学校であったので、跡取りだからと出身地に帰って来たのですが、こちらの就職先が決まらず、最初の年はまだ公務員になれるかもしれないという希望がありましたが、1年間採用されることが無く、次の年になるともう就職浪人という立ち場になってしまいました

この間親の方でも短期のアルバイトなど頼んでくれましたが、全く就職には結びつかないのでした。

当時お社会は卒業後1年過ぎると何処へ行っても後の祭りです。

公務員にしても待機期間の内に来てくれれば何とかなったのにと親戚の人に言われる始末です。勿体なかったねで済ませられてしまいました。

 父は後々、お前の時には失敗したとよく口にしましたが、この父の言葉を聞くたびに私は内心かなり腹立たしく思ったものです。大学の所在地にはそれなりに就職先も多くあったのですが、全く就職活動せずに帰って来てしまったことが悔やまれました。また、公務員名採用者名簿に載っているからと、気楽に思ってしまったことも就職で失敗した原因だと思えます。

この頃は、跡取りの責任でもあるきちんとした就職先が決まらないので、かなり気落ちした時期でした。

家の家業も無く、安定した就職先を希望していた私は、公務員試験に受かったことでホッとしていたのですが、受かって採用予定者の名簿に載るだけでは安全圏ではなかったわけです。

 それでも、3年目には親戚の紹介で小さな会社に勤務することになり、漸く一息つくことができました。

この頃は友人の結婚ラッシュでした。私は県内外の友人の結婚式に参加して楽しく過ごしていました。友人スピーチも頼まれたので四苦八苦したものです。

そんな時式場で、どちらの方かと聞かれ、ご兄弟はと聞かれることもありました。姉妹の上だというと、それではだめねと言われ、婿取りさんをお嫁にはもらえないと言われることもありました。   

やはり世間の常識では姉妹の上は跡取りとして家に残る、というのが普通の時代でしたね。今もそうだと思います。

 それから1年程して社会生活にも慣れた頃、ある日私は遠出して外出先から電車で帰ってきました。

駅の出口に向かうと、中央の入り口から入って来た2人連れがいます。

何気なく先を歩いていた男の人と目が合うと、め―さんに似ていました。ハッとしましたが、め―さんがこんな所にいるとは思えませんでした。

私が2人に近付くにつれて、先を歩いていため―さんに似ている人は横にそれていったのですが、後の人に此処は何処だっけ?と聞いている声が聞こえました。

め―さんの声かな?と考えていましたがはっきりしませんでした。似ているようにも思いました。戸惑っている内に私は駅の出口を出てしまいました。

振り返ってガラス越しの駅内を見ても2人の姿は認められず、私はふと、その時の自分の年齢を考えていました。

24か

そして、ある日のコンパでのめ―さんの言葉を思いだしていました。

 「Junちゃん、23までは結婚しちゃだめだよ。結婚するなら23を過ぎてからにしなさい。」

急な話なので私にはよく分からず、返事もせずにいると、め―さんが繰り返されました。

23まで結婚しちゃだめだよ、結婚するなら23を過ぎてからにしなさい、いいね。そう言われるのです。

お酒の席の事だ、そう深い意味もないのだろうと、私は、ええ、分かりました。と答えておきました。

結婚するなら、23を過ぎてからですね。と。

 そうか、と思います。23は過ぎてしまいました。め―さんとのこの会話をすっかり忘れていたけれど、そんなことめ―さんと話したことがあったなと。

最後の合宿となったあの日よりかなり前のコンパの時のことです

め―さんの事情が変わる以前の事、約束というわけのものでもないけれど、私が23歳になるまでにめ―さんにその気があれば、お嫁に迎えに来るという意味かなと私は勝手にそう解釈したりもして、ほんのりと嬉しく感じていました

今まで、何となく無意識の内に結婚について考えなかったのはそのせいかなと自覚します。

 そうだ、もう24歳になったのだから、私も結婚について本格的に考えなければいけないな、そう思うと、今、め―さんに似た人に会ったことが1つの区切り、過去への借別の時なのかもしれないと考えます。

 私は駅の方向に振り返りました。そして今すれ違った人が、さもめ―さんであったかのようにさよならと手を振るのでした。

 …ここまで長かったですね、「娘十八番茶も出花」の頃のお話です。お粗末。

 

 

 

 


台風12号

2016-09-04 15:09:07 | 日記

 台風の影響で大雨です。

雷鳴も聞こえてきます。

台風が離れていても空は一つ、雲も繋がっているのですね。

雲といえば、夏は飛行機雲をよく見ました。日に何本も目にすることが有り豪快でした。

空の好きな友人を思い出しました。その人は性悪説を信じていました。性善説を信じたい私には彼女は異色の存在の友人でしたが、当時私をよく気遣ってくれました。元気でいてくれるよう願っています。


後日談

2016-09-04 10:56:11 | 日記

 その後、本当に父が送ってくれました。言葉の綾、話だけと思っていましたが、何時も何でも面倒ぐさがり屋で動きたがらない父には珍しいことでした。

電車で帰ってもいいよと私が言っても、いや、お父さんが送って行く、と言い張って下宿先迄送ってくれたのです。 

  さーさんのことは残念に思いました。私にとっては、まだ好意を持ったばかりの頃だったので、心に傷を負う事はありませんでしたが、お話を断り悪い事をしてしまったと申し訳なく思いました。またその後、会わせる顔がないと私は益々サークルから足が遠退いたのでした。

 友人の恋の方もその後うまく行きませんでした。何度か相談に乗り彼女の話を聞きましたが、彼女の悩みはそーさんのお家の家業にあったようでした。

嫁いで家のお手伝いすることになると不安だというのです。

あの日のそ―さんの話では、家業を継がずに勤めたい業種があるとの事でした。その話を彼女にしましたが、先の事は分からないからと彼女は不安を隠せない様子でした。

確かに先の事は分かりません。当時の私には如何言い様もありませんでした。

せっせと前向きに進めて来たけれど、如何しても気乗りしないのなら、家業が難しいからと私が反対したことにするといいよ、付き合いを進めたのが私なのだから。と、言っておきました。

好きなら家業なんて気にならないんじゃないの?とも言っておきました。 

 彼方も此方も上手くいかないものですね。

この後適齢期に入る頃には友人達の見合い、恋愛話などの話も聞くようになり、益々縁談など思うように進まないという事を多く耳にする様になりました。

男女の中には横槍が入るのは常のようです。確りガードしておかないければなりません。学生時代には分からなかった事でした。

 


頑なな父

2016-09-04 06:44:41 | 日記

 一体、と思います。どうしたというのでしょうか。父は断れと言うのです。

「電話して、お父さんに送ってもらうことになったからと言って断りなさい。

そういって私に背を向けてしまいました。

 先日そーさんに会った後、友人を送って別れた後、さーさんと2人になった時さーさんは夏休みの終わりに一緒に帰りませんかと仰って下さったのです。

どうせ帰る場所が一緒だし、荷物も持たなくて車で運べるから楽でしょう。とのとてもありがたい仰りようでした。

僕も一人で帰るより話し相手がいる方がありがたいからと。

 今回と違い長旅です。迷いましたがお互いの為に良さそうです。友人のことでお世話になり感謝していたことや、何よりさーさんに感じた信頼感からオッケーする事にしました。

 その日家に帰ると父に早速報告です。

夏休みの終わりにさーさんが向こうまで車で乗せて行ってくださるそうなので送ってもらうことにした。私も楽だし、さーさんも話し相手がいていいんですって。

そういうと、父はそうかと言っていたのですが、今日の日になって急にダメだと言い出したのです。

 如何したの?さーさん地元出身だし、高校も大学も確りしているし、加えて次男だから上手くいけば家に取っても良いお婿さんなのに、と、私はその方向で父にアプローチしてみますが、やはり答えは同じでした。

「今、電話して断りなさい。」

と、父は再度言うのでした。 

 さて、問題なのはさーさんの彼女です。でも、友人と3人で出かけたあの日の帰り道で、さーさんから直接彼女はいないと聞いていました。

私にするとこの父の頑なな態度が腑に落ちませんでした。父にもその日帰ってから、さーさん彼女はいないんですってと言ってありました。

何が気に食わないんでしょう?送ってもらうと言ってから数日経った今日の日になって、父にどんな変化があったというのでしょう。

当時も、今も謎です、不思議に思っています。