Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

愛想尽かしとは

2016-09-21 21:05:25 | 日記

 私がかー君の家への訪問を打ち切ろうとした時、私の考えには、いきなり切られる人の事も考えてよという、おー君の言葉が浮かんで来ました。

急にぱったりと遊びに行かなくなると、かー君にはやはりショックが大きいかもしれない、私はそう考えました。

かー君のことを考えると、私は徐々に愛想尽かしされた方がよいだろうと考えます。

 私が嫌な子だから別に来てもらわなくていいや、あんな子来なくなって良かった。

と、かー君に思われるようにして去った方がよいだろうと結論します。

そこで、そうなるには私はどう行動したらよいだろう、と考えます。

 私はかー君の事が嫌いではありませんでした。

遊びに行くくらいですから、どちらかというと好感を持っていました。それは確かです。

同級生として勤勉であり、優等生であり、品行方正な彼に尊敬の念を抱いていました。

私の方がお友達というには、おこがましいかなと感じ、彼の迷惑や重荷にならないようにしたいと思っていました。

ただ、お付き合いしたい、好きだという感情までは、確かに無かったのです。

その点、ご両親の判断は間違っていないのでした。親はよく子供のことを見て考えているものですね。

私も親になって分かります。我が子が大事です。

 私は、お母様の方から申し出があった、そのすぐ次のかー君のお誘いの日に、意を決して出かけて行きます。

 

 

 


終止符は変わらないのに

2016-09-21 20:15:09 | 日記

 その日はおー君の家に入ることもなく帰った気がします。

玄関まで行って、おー君の方に何やら用が出来たとか、さようなら、とお別れです。

私はほっとしました。

 何となく気が進まず彼より遅れがちに歩いて  おー君の家まで行った私です。

それでも、そんな私におー君は、帰り道の途中まで笑顔で送って来てくれました。   

この時も、やはり私は過去のようにおー君と並んで歩こうとは思いませんでした。 

 彼よりやや遅れがちに歩いていくと、おー君は私を待ちながら振り返って言いました。

「僕、今英語を始めたんだよ。

英語?中学になると必ず皆がするようになる勉強だけど、僕はもうはじめたんだ、そんな事を話し始めました。

そして、私に

「ねぇ、Junさん、中学に行ったら君、英語が嫌いになって、苦手になるといいよ。

など、勝手な事を言い始めました。

 彼は相変わらずにこにこしていて、声もにこやかでしたが、話の内容は私が不利になることだと私にも分かりました。

中学で皆が必ず学習することになる英語を、私が苦手になるという事は、私にとって良い事とは思えません。

『おー君、相変わらず自分勝手なことを言うのね。

と私は思いました。

 過去に内緒話を聞いた時にも、その話を私に覚えておいてもらいたいから、おー君は私と付き合っているのではないか、そんなことを感じたものです。

私は幼かった過去でさえ、時々、おー君にいいように利用されているだけなのではないか、と感じていたのです。

 今回も、この彼の言葉に、内心苦い思いを抱いたものです。

『彼は何のために私を誘ったんだろう?

やや呆れて、坂道の下に掘られたトンネルのところで、もうここまででいいわと、私が言ったのか、

彼が送るのはここまでと言ったのか、もう覚えていませんが、そこで分かれました。 

 彼は別れ際にまた妙なことを言ったものです。

「でも、Junさん、後から英語が堪能になってね。

私は再び彼が何を考えているのか分から無くなって困惑してしまいました。

ここまでくると、私はとてもにこやかな顔などできません。

眉根に皺を寄せて、

「一旦苦手になった物を、得意には成れない。

と彼に言います。当たり前ですよね。

一旦嫌いになった物を好きには成れない。そう突っぱねると、彼は少し考えるような感じでしたが、

やはり同じ言葉を繰り返しました。

「それでも、中学で英語を嫌いになって、その後、随分経ってからでも、英語が好きになって堪能になってね。そうしよう。

というのです。

 私はそれは無理、云々、あれこれ言い合っていると、何時まで経ってもお別れになりません。

私は大概にしてもう帰ろうと、

ええ、ええ、そうういう事もあるかもしれないでしょうよ。無いかもしれないし。

と言うと、彼は漸く納得して、それでお別れとなったのでした。

 このように、おー君は、こちらが勝手だなと思う内容を言った後、またこちらの事を考えているような事を言うのです。

所謂、情にほだされて長々と付き合ってしまう、というような所がありました。

私はもうこの時期は、そんなおー君の態度にきっぱりと見切りを付けていました。

私の中で彼との交友関係の歴史には、きちんとピリオドが撃ち込まれていました。


ちょっとしたケーキ

2016-09-21 19:52:07 | 日記

 敬老の日のプレゼントは、ちょっとしたケーキにワインでした。

両親は一時、赤ワインのポリフェノールが体に良いと、赤ワインを飲酒していた時期がありました。

ケーキの方は、敬老の日用のケーキも出ていましたが、普通のショートケーキにしました。

食事後のデザートとしては重すぎるので、簡単な小さめのケーキにしたのです。

父はもう亡いので、食すのは母だけですが、美味しいと言ってほおばっていました。

 母は年寄りの食慾にしては旺盛な方ですが、時にはあまり欲しくないと言って少食になります。

具合が悪いのかなと思っていましたが、特に体調が悪い様子はないので、よく観察していると、おかきをぼりぼり。

そうです、間食していたんですね、食欲がない時は。

 それからは、食欲がないという母には、

「また、間食したね。

と、言い放つことにしています。

そうすると母は、

「だって食べたいんだもの、年寄りのすることだから大目に見てよ。

とか

「もう先が少ないんだから、好きにさせてよ。好きなものを食べさせてよ。

などなど言います。

ご飯より、おかきを食べて過ごしたいとまでいうのです。

困りましたね。

 大体は母は、お菓子に囲まれた幼少期から独身時代までを過ごしているので

(母の里がガラスケース入りの駄菓子の量り売りや、既製品のお菓子を置いているお店でした。

塩やたばこ砂糖に豆など、万屋さんみたいな物でした。食べ物に溢れていたわけです。)

小腹がすくとお店の物をちょこちょこ食べていたという、この癖がいまだに抜けるはずがなく、今後も先が思いやられる状態です。