常の日常と、特に如何と言う事も無く変わる事のない朝食後の午前中、私は10時のお八つ迄外遊びに出て帰宅した。私は何かお八つが用意されているかどうかと一寸不安に思っていた。お八つは何時も母が出してくれていたのだ。今日は父からかな?、祖母からかな?、どんなお八つが用意されているのだろうか?。そんな事を考えて「只今。」と玄関に入ると、私は階段のある部屋を通り、次の間の居間に足を踏み入れようとした。
あれっ!と私は目を疑った。私は居間側の、問題の起こった障子の前に母が立っている姿を認めたのだ。昨日の今日、しかも未だ今日の昼前だ。昨日の喧騒から丸1日と経っていない。そうじゃないかなと私は思った。何故母がここに?、しかもこんなに早く!。驚くというより不思議だった。母と共に里に帰る時、私達は何日かこの家を留守にするのが常だったのだ。事が無かったにしても帰宅が異常に早すぎる、私はもう母の姿をこの家で見る事は無いと感じていただけに、あまりにも素早い母の行動に非常に面食らった。
居間に立った母は私から顔を背けるようにして向こうを向いていた。母の体の姿勢自体は私から見ると真横向きで、彼女の正面に障子戸は有った。何だか不自然な母の姿だと私は思った。多分、母は恥ずかしかったのだろう。照れて私と顔を合わせられなかったのだと思う。もしかしたら、母の里方の実家で彼女は受け入れてもらえずに婚家に帰され泣いていたのかもしれない。兎にも角にも母は私達家族の家の中にいたのだ。
私は開いた口が塞がらないと言う状態でポカンと口を開いて母を見上げていた。すると、私のまじまじと見上げる視線の中、彼女は何やらもぞもぞ手をこまねいていたが、遂に意を決したように振り返った。その母の顔はと言うと、妙に目を細めた笑顔だった。その後は姿勢をやや私の方へ屈むようにして向けると、
「只今。」
と小さな声でお道化たように言った。母の声は一応明るく聞こえたので、私は母が泣いているのでは無かったのだとほっとした。そうするとこの時の私は、やはり私から顔を避けていた母の顔が泣いているのだと確かに感じていたようだ。
何だ、この人帰って来たのか、私はそう思たりしたが、私にはそんな帰宅した母の事もそう気にはならなかった。彼女がいてもいなくても私の生活に殆ど大差無かったのだから当たり前かもしれない。
「お母さん、いなくて寂しかったでしょう。」
細々と笑顔で母は声を掛けて来た。私は全然と首を振った。少々嫌味っぽい気分だった。すると母はえっと驚いた風だった。
「お母さんがいなかったんだから、寂しかったでしょう。」
母は意外だという顔で再度私に問いかけて来た。
「全然そんな事無かった。お父さんとお祖母ちゃんがいたもの。」
この私の返事に、母の顔は不満を通り越して怒りの形相へと変わった。そんな事だと思ったというのだ。その後ぶつぶつと母は口の中で独り言を言っていたが、どうやら母の実家では向こうの祖父母や兄弟が口をそろえて、子供が可愛そうだ、きっと寂しがっている、皆小さい子の世話に困っているぞ。等々言ったのだろう。母の言葉もそんな事を呟いていた。