「そうだよ、時計の針を見てご覧。」
『こんな小さい子に本当に時計の針が読めるもんか。』内心きっと目尻を上げて、彼女は猜疑心を含む目付きで自分の子と同い年の訪問者を見下した。それから、彼女はさっと玄関正面に掛けられた時計の下迄進むと、自分の正面、今しも眼下になった小さな訪問者の顔に悠然と笑って言った。
「お八つの時間だろう。」
さて、彼女と玄関の子供の母親は、普段から同い年の子を持つ母親同士、よく自分の子供の成長具合についてお喋りしていた物だ。家の子はあれが出来る、またはこれが出来る様になった。家もよ、または、え、まぁもう、等言い合えば、別の日には、そんな事がね、家はサッパリ。困ったものね、家の子には、等言ったりする。ある時はいいわねぇと相手を持て囃し、自分の表面を取り繕いながら、その実内心では密かに嫉んだりしていた。この様に双方共感を持って和やかに話す場合もあれば、時には一方が自慢気に高笑い、一方が心ならぬ追従笑いに甘んじたりする。親同士が切磋琢磨、子を持つ親の世の常の習いであった。
そんなご近所の、子を持つ主婦連が集う恒例の井戸端会議の席上で、つい数日前の事だ、この彼女の家の玄関に今正に来ている子の母親は、同じく子持ちの主婦達を前にこう公言した物だ。
「家の智はもう時計が読めるんだ。」
へー、ほーと、一様に響めきが揚がった。
『まさかね』、彼女達、その時その場にいた主婦連は皆思った。いくら何でも早過ぎるだろう。眉唾。言うに事欠いて。何かの思い違いだろう。三者三様にこの様に思った。智というこの子の母親の言葉を他の母親達は全く信じなかったのだ。
「そんなの、小学校に上がっている子だって、未だ出来て無い子がいるっていう話だよ。」
陰でひっそり、ある年嵩の子を上に持つ母親が、他の母親達に言った物だ。また、他の彼女達の主婦仲間の1人はこうも言った。「眉唾眉唾、大風呂敷。あそこの嫁さんも案外言うもんだねぇ。」と。