希望の事典が来た時にはとても嬉しかったものです。
ホームルームの時間に教室で、担任の先生からはいと事典を渡されて、その真新しい青さが目に染みて美しいと思いました。
早く家に帰って中身が見たいと心が躍ったものでした。
うきうきと嬉しく自分の机に戻ります。
当然、クラスの皆からそれなりの歓声や、好機の目が注がれました。
いいなー、買ったんだ、買ってもらえてよかったね、等々、羨ましそうな声やにこやかな笑顔が私の目に映りました。
でも、もう5年生ですから、その中の幾つかはお愛想であると感じていました。
席に来ると、Fさんだったでしょうか、Junさん、あんまり嬉しそうじゃないね、と言うので、
分かるのかなと私は思います。
買ってもらえなかった人に遠慮して、満面の笑みでは無かったのは確かです。
この頃、私に限らず、いかにもの幸福感を気持ちのままに、思いっきり爆発させるような子はあまりいないのではないかと思います。
それでも、感情を抑えていなくても、やはり幸福の絶頂にいられなかったのは確かでした。
『5年生では、はっきり遅いよ。』
事典を手元に置くには遅いという先生の指摘が心に掛かり、はっきり学業で皆に後れを取ってしまったという現実感が、事典の重みとして私の手ではなく心にのしかかっていました。
私はもう一度事典を見て、その基調となっている美しいロイヤルブルーの青い色を、本当に私好みの青い色だと再確認するのでした。
クラスの何人かは、今頃、しかもあんな事典を買うんだ、と内心笑っているだろうなと思うと、私は手放しで喜ぶということもできません。
美しい青い色を見ながらも、少し気分が沈みます。
「中身見ないの?」
ぼーっとしていた私にFさんが言うので、何だか触るのもったいなくて、高いから、など言って曖昧な微笑をします。
あの後百科事典を広告で見て、本来の冊数の多さや値段の高さが分かり、百科事典がかなり高価な書物というのが分かっていました。・・・
それでも、家には、私にはこれが百科事典なのだと思い直すと、折角の家にとっての高価な買い物を、私の方がきちんと役立てないと、と思うのでした。
「見てみようか。」
Fさんにそう言うと本を閉じていたスナップボタンを外し、青い身開きを開きます。
真新しい印刷と綺麗な紙、新しい本特有のしっとり感でページとページがくっ付きます。
「そうよね、ページの落丁、無いページが無いか見ておかないと」
と、Fさんに助言されて、パラパラとページ数も確認してみます。
いくら1冊だけとはいえ百科、1枚1枚はとてもすぐには確認できません。
「多分大丈夫だと思う、何か興味のある物ある?調べてみようか?」
と、私が言うと、FさんはJunさんの好きな物でいいよ、Junさんの本だものと言ってくれます。
何を調べたでしょう?
当時の話題のツタンカーメン王だったかもしれません。エジプトとか。
美しい写真や挿絵、宇宙や天体、原子や中性子のモデル図などがページと共に流れていきます。
知識が後を引きかけて来ましたが、続きは家でという具合でホームルームもお開きとなり、
重い事典を大切に抱えると、私はすぐに教室を出て下校するのでした。
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