Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

今日の思い出うを振り返ってみる

2020-07-18 11:06:10 | 日記

うの華 17

 今までも、あれをしろこれをしろと、父から指図されて色々な事を習い覚えて出来るようになった私だったが、更に自分の人生がこの先努力の連続だという事に気付かされた。私は未だこの世に生を......

 雨です。昨日は曇り空を持ち堪えていましたが、雨ですね。
昨日、母の所へ読本と国語辞典を送付しました。母は辞書を繰る事が出来るかしら?、と、やや心配です。また、周囲の人が迷惑がるだけかもしれない、とも思いました。何しろ母は何でも人に尋ねるのが趣味のような人ですから。「これなんて言うの?」、とか、「どうやって調べるの?」、何て言っては、周囲の人を煩がらせそうです。
 ゆっくりでも、自分で調べてくれたらいいなと思います。読本は10分で読めるストーリの本です。読書を楽しんでくれたらよいなと思います。このご時世、室内でのんびりと、落ち着いた時間を過ごしてくれるようにと願っています。本は繰り返し読むと発見が有りますから、何度か繰り返し読んでもらえるといいですね。運動して疲れた時、暇な時、時間潰しに本は良いと思いました。
 
 さて、父の墓前に花を供えに行った時の事、ふと私の小学生時代の出来事を思い出しました。私は読書と作文が大好きで、本で読んだ表現を盛んに作文に書き込んで活用した時期が在りました。その為でしょう、先生からも作文の出来を褒められました。面と向かって同学年でも優れていると一言頂いた事が有ります。
 そんな事が有って程無くして、ある日父が私の宿題の作文を見せて見ろと言い出しました。汗ばむ時期のことでした。私は文中で汗が多く出た事を書いていました。その私の作文を読んだ父は、これでもいいけどと、この部分は「滝のように汗が流れる」と、言う風に書けない物かと言ったのです。
 父から文章の添削を受けたのはこれが初めてのことでした。私は非常に驚きました。まさか父が添削できるとは思わなかった事と、思いも掛けなかった彼の文章の巧緻さにです。
 しかし、この1文は小学生の私が書くには出来過ぎた文章です。それで直ぐに父に抗議しました。学年でも私の作文は出来が良いのだ、私以上に書ける人はそうないと先生から聞いている、その私がこんな文章表現を全く書かないのだから、こんな表現を同級生は誰もしないと思う。と言って、変でしょう、不自然だと抗議しました。が、父は書いておきなさいと譲らず、渋い顔で私は自分の作文中のこの1文を訂正しておきました。
 すると案の定、先生から呼び出しがかかりました。やっぱりね、この事だわと予想しつつ私は先生の所へ。先生の机で例の作文を示されながら、
「この文章、さとさんが自分で書いた?。」
と、問われました。
 私は困りました。正直に話せば父が困るだろうと、父の身を案じ、言葉少なにまぁ、…、ええと頷きました。すると先生曰く、何時ものあなたの文章と違うからと一言、そしていいわと、私はこの先生から解放されました。
 その後机に戻った私は暗い気分で、顔色も悪かったのでしょう、当時のクラスの友人に何かあったのかと問われました。それで今回の作文の内情をその友人に吐露して、父には悪いが正直に真実を先生に話したかったと打ち明けました。すると、友人も、正直に言った方がいいんじゃない、と、アドバイスしてくれました。そこでそうだねと、私は真実を先生に打ち明けに行き、その場で叱られる事を覚悟していたのですが、私が見詰めた先生の顔には思いの外穏やかな笑顔が浮かんでいました。そうして、先生は分かりましたと、「お家の人には先生の方から言っておいてあげます。」、という言葉を受けました。私はこの時、事態がどうなったのか、どうなるのか詳細は飲み込めませんでしたが、内心ほっとしました。 
 その後、この件で父から何か言われる事は無く、父の私の作文に対する添削も、以降は全くありませんでした。私は、自分の文章ではない文章を書かなくて済むことにほっと安堵し、素直に喜んだものでした。
 唯、当時、父の巧みな文章表現には酷く驚きました。私に取って衝撃的だったと言ってよく、文章でそんな表現が出来るのだと、作文の妙に感服しました。父の手法というより、創作表現、形容、比喩という手法の成された文に驚いたのです。事実を有りの儘に伝える以上の、インパクトを与える文章という物があるという事に驚きました。
 墓参中、この事を思い出した私は、高校時代父から言われた言葉、「お前作家にならないか」、を思い合わせて、実は私では無く、この言葉を私に言った父自身が作家になりたかったのではないか、と考えた事でした。

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