Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

1533回 「眠っているような」

2012-04-20 15:08:14 | アート・文化
 今日は曇り、花曇ですね。
今朝から花粉症のお薬を変えてみました。以前いただいて眠気が出たので、当時は仕事をしていた時でもあり元のお薬に戻していただいたのですが、今年はまた使ってみる事にしました。
当時の薬局の方の「一般的によく使われているお薬で、使っている人が多い」という言葉が印象に残っていたからです。私って一般的な人なので、こちらのお薬のほうが向いているのではと思っているんです。
今回は家にいるので、心置きなく試す事ができます。
     「眠っているような
 季節が眠っているような花曇
まだ肌寒いようなそんな日
うつらうつらと花曇
曇天頭にあるようにもしかすると寒気?
どきどきの動悸春の兆しあるような雨の兆し?
緩んできた筋肉の緊張や痺れこれって
悪い?曇り胸の内に悪心の続き?
病の兆しは花曇以前より
久しぶりに見た日記したためる父
無心に書きつつ居る父の姿を見て回復?
滞り曇り
眠っているような花曇今日の日は薄い日中
 (久しぶりに訂正)

夏の怪(4)

2012-04-18 15:57:54 | アート・文化
 いきなり昨年の7月の「夏の怪(3)」の続きです。
なんだか完結したくなったんです。
 私は恐る恐る庭に出てみました。それでも、未明の薄い明るさは真夜中とは違った安心感を与えます。
庭の中央へ近づく頃には平常心を取り戻していました。視界も動く内にすっきりとして、頭も冴えて来たようでした。
庭の中央で、私は佇み辺りを見回しました。いつも見慣れている梅ノ木、灯篭、低木、などなどが親しい安心感を与えてくれるので、私の落ち着きは増すのでした。
見上げた空には庭木の葉が茂り、覆いかぶさるような葉まで視界がきかないのを一寸不安に感じた時、伯父の「そら、始まるよ」の声が聞こえました。
思わず顔を下げて伯父を見ると、何も。
何も始まった様子はありません。「何が?」何が始まったのだろうと不安に感じたのは薄暗がりのせい。何が始まるのだろうと期待と楽しさが沸いて来たのは、未明の明るさと近親の伯父がそこにいたからでした。
すぐには、特に変化は無いように思われました。が、一瞬の後に、それは現れ始めました。夏の早朝の怪。
むずむず、先ずは顔がむずむず。そして足、腕、などなど。何やら盛んに細かい物がうごめいている感触。
私はとっさに顔を触りました。指に触れるようなものは何もありません。腕を、足を、ムズムズっと来るたびに払いのけようと、気味悪い感触の主を探しました。
嫌な事に、感触は段々と強まり、そのムズムズの原因となるような細かい生物が無数に体に取り付いている感覚がまして来ました。
思わず悲鳴を上げそうになり、盛んに手で拭い去ろうと腕を触ると、そこには、…

…手には、掌の中には、何も無くムズムズはまるで宙に消え失せたように思えました。
まさか、あれだけはっきりした感触の主がいないなんて。
私は、振り払ったのかと地面も見てみましたが、あれだけの無数の生物の全ても残骸も何も、服にさえも何も痕跡を発見できないのでした。
不思議に思い始める間も、むずむずは足に、腕に、むっさりと集りついてくるのです。そのたびに私は手で拭い去ろうと、盛んに掌で払うのですが、予想するようなごろごろとした柔らかい感触には出会えないのでした。
私はしげしげと手を、掌を見つめ観察し、何も無い事を確認し考察し、そしてべっとりと濡れ滴る腕の水分に気づきました。
飽和水蒸気

私は自然の起こす夏の早朝の怪に、胸塞がれるような驚きと地球の大気を感じ、水の惑星地球を感じ、…全てを理解すると科学の一事象を体験させてくれた伯父を、大変怒り、一目散に入り口の伯父の横を通り抜け、すり抜ける時に伯父を睨み付けることを決して忘れず、部屋にとっって返すと布団に寝転びすやすやと寝てしまいました。夏の怪の正体が分かった安堵感で驚きの反動からぐっすり寝込んでしまいました。
次に目が覚めると8時近かったかもしれません。
私は、その日1日が始まったばかりのまだ朝の内に庭に出ると、「夏の怪」を体験させてくれた伯父のことを、近親の伯父の事だからと善意に解釈する事にしました。
自然の科学を体験させてくれたのだ。
ありがたいことだと。
これらの顔は?
もちろんその後同じ体験をした、いとこや我が子の顔かも知れません。
特に私の長男の時には、濡れた庭石で滑って転ぶなど大層不憫で可哀想なことでした。それを母親の目の前で目撃させるなど言語道断でした。
親子二代にわたってこの様な不快な思いを味わわせた伯父を、私は大層怒らずにはいられませんでした。
こちらの言葉で、憎まれる事をする、とはこのことです。

偉人の言葉(二)

2012-04-16 08:23:02 | 日記・エッセイ・コラム
 前回の「偉人の言葉」の続きです。
何を書いているかというと、祖母の思い出ですね。ふと書きたくなったから書き出した、昨晩も携帯から書き込もうとして、本文を入力しようとした所で気が失せたという、気ままなエッセイです。
 祖母は、吊られていた冊子に目を留めて、家康さんかというようなふふっとした表情と仕草をして、二階の廊下を眺めていましたが、私にちょっと微笑むか何かすると、部屋の中に注意が向いたようでした。
さらっと部屋を流して歩き、また元の日めくりの所に来ると、今度はよくよく詞書きと冊子を眺め、これがカレンダーとしての機能より、短冊としての機能を果たしている事に気が付きました。
あの子がこんな言葉を好むとは、選ぶとは、そんな事を呟いて、父の品がよく置かれている家具を調べていたようでした。
この間、私はそれほど祖母の行動を気にも留めずにいました。これがそれほど印象に残っているのは、祖母が二階に来たという記憶が私の記憶の中では初めてだった事と、後の深い記憶のせいでしょう。
そして何より、私はこの祖母が大好きだったのです。末の孫に近い私は、祖母にとっても扱いなれた孫であったのかもしれません。
その後、夕飯時に二階の冊子や言葉書の事が祖母の口から取り沙汰されて、祖父や父がなにやら話し、話題になっていた事を覚えています。家康さんの言葉はその意味のままに重荷を持っていたようでした。
その後も2、3回、私が部屋にいる時に祖母はやってきた事があります。「重荷」が話題になった時も在ります。
「あんたは重荷を背負っている」
とか、
「あんたが一人で背負わなくても、一緒に背負ってくれる人がいる」
「やっぱりあんたが一人で背負わないと」
「あんたが背負わなくても背負う人は沢山いる」
「あんな重たいものを背負うなんて」
「あんたには荷が重過ぎる」
「無理に背負う事も無い」
「…」
などなど、
2、3回の中でこんなに話したかと思うほど、重荷の話題は多く、記憶に残ってしまいました。が、今はそれも薄れてしまったように思います。
あまりの言葉の重荷に、苦しくなって「もう重荷の話は沢山、聞きたく無い。」
そんな事を入って祖母の話を聞かなくてもよいとさえ言ったような気がします。
最後に2階で祖母を見た時、祖母は「あんたの好きなようにするといい」そう言って静かに微笑んでいたように記憶しています。
私は、浮き立つように晴れ晴れと気分が軽くなりました。
冊子の言葉に対する祖母の私への最後の言葉。
我が家の偉人の言葉かもしれませんね。

1532回 「切り替わり」

2012-04-15 17:14:29 | アート・文化
 4月は切り替わりの時期にもなるのでしょう、引継ぎや仕事に慣れるため、いろんな事が滞っているような気がします。
ページが古くなっているのではないか、違うページを開いているのではないか、そんな気分になってしまう事があります。
その内、順調にいろんな事が動き出すのでしょう。期待しています。
     「切り替わり
 少し慣れて落ち着いた頃
緊張が解けて不安が薄らいで
そんな期待に胸膨らむ頃
満開の桜咲くまで花吹雪くまで
寒暖の波の間に昼夜の間に
何時しか落ち着いた新しい暮らし
私にすれば思い出
青い皐月晴れに繋がる4月
   (私のページのテンプレートも和風に切り替えました。4月15日より)

偉人の言葉

2012-04-15 10:43:47 | 日記・エッセイ・コラム
 結構昔、10歳になるかならないかという頃、私の寝室(実は両親と共に寝ていたので、私だけの部屋というわけではありませんでしたが)には日めくりカレンダーかけてあり、1枚1枚に「偉人の言葉」または「英雄の言葉」というものが書かれていました。もちろん印刷です。
「人間は考える葦である パスカル」
というような感じです。
もっと書き出そうと思ったのですが、他に思いつくものがこれから書く一つだけなので、思いつく方は様々な先人の言葉を思い出してみてください。
世界の偉人、日本の偉人、など、年によって掛けられる日めくりの言葉は違っていましたが、その年は「日本の英雄の言葉百選」であったように思います。百選というからにはカレンダーではなかったかもしれません。
「人の一生は重荷を負うて行くが如し、急ぐべからず、焦るべからず」
というような言葉があったと思います。徳川家康だったような気がしますが、昔の事なので定かではありません。
重荷という言葉が何故か父には共感を呼んだようで、この冊子を吊るした時からこのページを目に留め、私にも声に出して読んで聞かせるなど、特別なページだと私に感じさせるものがありました。
この冊子のこの言葉が私にとって印象深いのは、他にも特別な思い出があるからです。
ちょっと気になって検索してみました。徳川家康の言葉に間違いなかったのでほっとしました。
正確には「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。 急ぐべからず。」のようです。
 さて、この冊子は幾つかの言葉をめくり飾られ、1ヶ月ほど後には徳川家康に落ち着き、このページだけが吊るされるようになりました。
時折父が口に出して読むので、側にいた私も日々人生の重荷を感じるようになりました。
思い出してみれば小学3年生の頃、それは9歳の事であったかもしれません。
人生にそんな重荷があるとは、晴れやかな人生を夢見ていた少女が将来について漠然とした不安を感じ、影の兆しを感じたそんな頃。
あれは4月から梅雨に入る前の頃、気候や明るさ、湿度の爽やかさなど、思い出してみるとその頃のように思います。
ある日の日中、不意に祖母が私達の部屋に来ました。または来たのを見たであったかもしれません。
この時私は1人、この冊子の言葉を見る祖母の姿を目にしたのでした。
また私は祖母を二階で見るのが初めてだと感じていました。とはいえ、部屋と祖母の組み合わせに違和感を感じていませんでした。
それは日中の落ち着いた光景だったからでしょう。光の入る縁先、障子戸の側に立つ何時もの祖母。和室と和装の女性、階や部屋が違っても何時も見慣れている人物の光景だったからです。
戸外を思いやりながら障子戸の傍ら、採光の中に佇む婦人。思いやっていたのは家内であったのかもしれません。