Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

青い事典、その4

2016-09-28 16:43:09 | 日記

 事典から離れて、少し日常を過ごして、ふとまた事典の事を思いだして、

どっさりと畳に本を置き眺めてみると、やはり好きな項目を捲ってしまいます。

 『私って、やっぱりこれらが好きなのね。

そう思い目に映るのはピラミッド、スフィンクス、ツタンカーメン王のマスク、

宇宙、天体、アンドロメダ座の写真

原子、電子のモデル図、化学記号表、などでした。

ミクロもマクロも計り知れず、とても不思議で興味深いのでした。

また、悠久の時や、人の造形物、過去や未来など、歴史的建造物。

物質が様々に変化する科学、特に化学など、美しい生物の世界も興味深いのでした。

複眼のトンボの目など、現実に見るくるくると動く丸い目が可愛いと、

枝先などに止まっているトンボの顔をそーっと眺めたりするのでした。

 さて、トンボの目玉が可愛いからと、私がいくら大好きだからと言ったとしても、

何百何千のトンボの目玉だけをもらうよりも、

1枚のトンボのポートレートの写真をもらった方が、とても嬉しいのは当たり前です。

皆さん、この感覚の違いが分かりますよね。

 違うかもしれませんが、当時全く気が付きませんでしたが、

ある日Fさん(どうもEさんが、順当だったようです。しょうが無いのでこのままです。)が、

私に黒い仁丹のようなものがいっぱい詰まったフイルムケースを見せてくれます。

「これなんだと思う?」

さあ、仁丹みたいね、でも、形がまん丸じゃないものもあるし、色も黒くない物があるし、と、

私は手にもらってフイルムケースを覗き込んでみます。

さっぱり分かりません。

仁丹なら食べられるけど、まさか、「○○の胃」みたいな腹痛のお薬?かなぁ。

等話し合います。

 Junさんの好きな物だっていうんだけど、分かる?

分からない、全然、さっぱり、と私。

そんな話をFさんとしたものです。

 全く解決しない話し合いに、Fさんは、それJunさん要らないなら私が貰っていい?と聞くので、いいよと答えます。

それくれた人も…貰っていい?と、此処はFさん、何だか小声で遠慮がちでした。

さっぱり訳がわかりませんでしたが、私にはこの時何だか惜しい気持ちが湧いてきました。

フイルムケースの方ではありません。

『人?』

何でしょうか?何だか引っかかる物言いだと思いました。

でも、訳の分からないままに、何だか人の使いをして回っているようなFさんを気の毒に思い、そのご苦労を労いたくなりました。

いいよと私は答えます。

「フイルムケースの方も、何でも、Fさん好きなら持って行っていいよ。」

 

 

 

 


スタンド型です

2016-09-28 16:07:44 | 日記

デスクトップパソコンです。かなり古いものです。

このパソコンからブログを始めました。

最初は書くのが楽しくて何でも書いていた物です。

写真も投稿したり、お題か何かの写真で入賞して、写真スタンドか何か貰ったこともあります。

ネット応募も何件かして、抽選でクオカードやブドウ、食品、エコバッグ、電池パックなども当たりました。

電子図書も購入してみたり、他にもいろいろ、チャットもしましたね。楽しかったです。

テレビ電話も設定したりましたが、他との交信が成立せずに終わりました。残念でした。

でも、 すっかりオタクになっています。

 

 


青い事典、その3

2016-09-27 20:56:54 | 日記

  家に帰ると、早速事典を開きます。

ぱらぱらページをめくると、一番見たかった項目を眺めます。

やはりツタンカーメンのページだったと思います。

天体や科学、有名な偉人など、思いつくままに繰ってみます。

そして後は少しずつページを開きながら、興味の湧いた場所で手を止めるとそのページや項目を読み込むのでした。

  それから1週間ぐらいは事典に夢中な日々を過ごしていたと思います。

放課後が待ち遠しかったものです。

気に入った所はもちろん、新しい場所で興味を惹かれる場所を探しては読み込んで行きます。

そして、ほぼ興味のある所を読み終えると、また何時もの日常に戻って行くのでした。

 只、買って貰った時の約束を覚えていました。

一生懸命勉強するから、そうです、私はせっせと勉学に励んでいました。

直ぐに結果は出なかったかもしれませんが、成績を上げたいと真面目に授業を受けていました。

しかし、今までも真面目に授業を受けていたので、そう変化が出るわけがありません。

自分でもこれ以上どう成績向上が出来るか模索してみますが、答えは出ないのでした。

授業中しっかり聞いて内容を理解する。プリントや計算をきっちりとやり上げる、しかしそれ以上はどうにも手の出しようがありませんでした。

遂に、成績を上げるにはどうしたらよいかと思案にくれるのでした。

  結局、成績は上がらなくても、一生懸命勉強している事には変わりなく、約束は破っていないと妥協して、自分なりに納得するのでした。

  それでも、目に見えて成績を上げることが出来ない後ろめたさが残り、それ以降私は外出を控え、家で百科事典と睨めっこ、読み残してある所に少しでも興味が湧く事がないかと丹念にページを繰り、文字を読み進めてみるのでした。

 


青い事典、その2

2016-09-27 13:34:38 | 日記

 希望の事典が来た時にはとても嬉しかったものです。

ホームルームの時間に教室で、担任の先生からはいと事典を渡されて、その真新しい青さが目に染みて美しいと思いました。

早く家に帰って中身が見たいと心が躍ったものでした。

うきうきと嬉しく自分の机に戻ります。

 当然、クラスの皆からそれなりの歓声や、好機の目が注がれました。

いいなー、買ったんだ、買ってもらえてよかったね、等々、羨ましそうな声やにこやかな笑顔が私の目に映りました。

でも、もう5年生ですから、その中の幾つかはお愛想であると感じていました。

 席に来ると、Fさんだったでしょうか、Junさん、あんまり嬉しそうじゃないね、と言うので、

分かるのかなと私は思います。

買ってもらえなかった人に遠慮して、満面の笑みでは無かったのは確かです。

この頃、私に限らず、いかにもの幸福感を気持ちのままに、思いっきり爆発させるような子はあまりいないのではないかと思います。

それでも、感情を抑えていなくても、やはり幸福の絶頂にいられなかったのは確かでした。

『5年生では、はっきり遅いよ。

事典を手元に置くには遅いという先生の指摘が心に掛かり、はっきり学業で皆に後れを取ってしまったという現実感が、事典の重みとして私の手ではなく心にのしかかっていました。

私はもう一度事典を見て、その基調となっている美しいロイヤルブルーの青い色を、本当に私好みの青い色だと再確認するのでした。

 クラスの何人かは、今頃、しかもあんな事典を買うんだ、と内心笑っているだろうなと思うと、私は手放しで喜ぶということもできません。

美しい青い色を見ながらも、少し気分が沈みます。

 「中身見ないの?」

ぼーっとしていた私にFさんが言うので、何だか触るのもったいなくて、高いから、など言って曖昧な微笑をします。

 あの後百科事典を広告で見て、本来の冊数の多さや値段の高さが分かり、百科事典がかなり高価な書物というのが分かっていました。・・・

それでも、家には、私にはこれが百科事典なのだと思い直すと、折角の家にとっての高価な買い物を、私の方がきちんと役立てないと、と思うのでした。

 「見てみようか。

Fさんにそう言うと本を閉じていたスナップボタンを外し、青い身開きを開きます。

真新しい印刷と綺麗な紙、新しい本特有のしっとり感でページとページがくっ付きます。

 「そうよね、ページの落丁、無いページが無いか見ておかないと」

と、Fさんに助言されて、パラパラとページ数も確認してみます。

いくら1冊だけとはいえ百科、1枚1枚はとてもすぐには確認できません。

「多分大丈夫だと思う、何か興味のある物ある?調べてみようか?」

と、私が言うと、FさんはJunさんの好きな物でいいよ、Junさんの本だものと言ってくれます。

何を調べたでしょう?

当時の話題のツタンカーメン王だったかもしれません。エジプトとか。

美しい写真や挿絵、宇宙や天体、原子や中性子のモデル図などがページと共に流れていきます。

知識が後を引きかけて来ましたが、続きは家でという具合でホームルームもお開きとなり、

重い事典を大切に抱えると、私はすぐに教室を出て下校するのでした。

 

 

 

 

 

 


青い事典、その1

2016-09-26 16:24:45 | 日記

 翌日、職員室で私は、担任の先生に嬉しく申込書を提出しました。

担任の先生はあれっという感じで、これ申し込むのと言われます。

小学生向けの1冊だけのコンパクトな百科事典でした。

そして、とても悪戯っぽそうな目つきで、フーンという感じになりました。

 他に事典持ってないの?今更でしょうこんな(安っぽい)事典、ポケットといっても大きいよ。

と言われます。見本は展示してあったと思うので、大きさや重さは大体わかりました。

確かにポケットに入る小型ではないし、机にどんと重く置いて調べるタイプです。

そして百科というにはコンパクトな収納量です、1冊だけですから。

 普通は小学2年で揃える物だよ、百科事典なんて。どーんとぞろっとね。

まだ持ってなかったの?家に無いの?

せめて4年生までには、それでも遅いくらいだよ、5年生では遅いよ、百科事典を家に置くには。と言われます。

 思いの外に先生の反応が冷ややかで、話が長くなったのでびっくりしていました。

百科事典にそのような取り揃え時期があったなんて、全く知りませんでした。

「君のお父さんも、案外だなぁ。」

と、先生はちょっと呆れた感じで、以ての外だと言うと、

一言いって置かなくては、と言い、意気に燃える一本気な教育者の顔をされるのでした。

 結構厳しくて、真面目で、教育熱心な先生であったなと、これを書いていて思い当たりました。

後に中学の校長先生になられたと聞いています。

後日談なのですが、このかなり後に、家で父が「5年で遅いやの、5年で遅いと言われたんだ」と、泣いていたのを見たんですが、これに関係あるのでしょうか?当時は全く気が付きませんでした。あんなにしょ気ていた父は初めて見ました。