Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

眠くなりました

2016-12-28 19:51:11 | 日記

 連日のお掃除が効いて、もう眠くなりました。

今朝の伊勢物語の話から、頭に浮かんだ芥川の段を検索してみました。

ある男が、長く思っていた女の人を盗み出したという段です。

 私は男が女の人を背負って逃避行している間に、男の人の背で女の人が鬼にさらわれてしまうのだと間違えていました。 

全文古典の教科書に出ていなかったのか、問題が途中省略で設問になっていた物をしたせいか、

シューベルトの魔王と混同していたのか、

兎に角今回の検索で正しい作品を知る事が出来ました。

それで、在原業平についても再認識できたのが面白かったかなと思います。

 丁度この段が、実話では業平が連れ出した女性が追手に連れ戻されてしまったという事でした。

お話では女性は鬼に食べられてしまう事になっています。

悲恋ですね、私は記憶の中の話の筋はどうでも、昔からこの男性に同情していたものです。

 前振れの長く思っていたに心引かれ、やっと男性の決心というか段取りが付いたのか、

女性をお屋敷から盗み出すというところにも、男性の並々ならぬ思い入れが伺えて、

この男性に頑張れと応援したくなってしまう物があるのです。

 筋立てが良いのでしょうか、すんなりと話に没頭してしまいます。

それで、という感じです。2人はうまく暮らせるのかしら?

そう思っていると、女性は本当に深窓の令嬢ですね、夜の野の草露を見た事が無いという流れもほーっと思わせる下りです。

思わず2人の恋の行く手に興味は募るばかり、と、お蔵入り。

話はお蔵に入ってしまいます。

 雷です。でも、雷が鳴っていなくても女性の危難は防げなかったんじゃないでしょうか。

それでも、女性から離れずに男性が寄り添っていれば、この悲劇は防げたのかもしれません。

共に危難に会うとか、助かるとか、そして、その後嘆く男性の詠んだ和歌も胸を打ちますね。

残された者の悲哀が痛切に胸に響きます。

 如何したんでしょう、うろ覚えというより、間違えて覚えていたこの段のお話を、

私は今朝、如何して思い出してしまったのかとても不思議です。昨晩、または早朝、夢でも見たのかしら?

 離れ離れになってしまった2人ですが、夢で逢いましょうですね。

現実には2人共生きて分かれてそれぞれの人生を歩んで行った。そんなお話も検索で読むことが出来て興味深かったです。

 

 


早いですね

2016-12-28 08:52:36 | 日記

 スターウォーズのレイア姫役の女優さんが無くなりましたね。

60歳だとか。早いですね、心臓麻痺だったようです。お悔やみ申し上げます。

私は先に書いた通りスタートレック派ですが、スターウォーズも話題になっていただけに当然知っているし見てもいます。

人間寿命は分かりませんね、寿命90の年代の人を多く見たと思ったらこんな調子です。

 先の東京の先輩にも、私と同郷の友達が多くいたと聞き、その後、

「はは…、如何して何県の人はああ早死になのかしらね。」

と言われて、カチンと来てしまったという話は以前にも書いたのですが、

口に出すほどにお寂しかったのかなと、後々思った事でした。

知っている人が先立って行く事は寂しい事です。特に愛着のある人なら尚更です。

 さて。今日も今日とて年末の大掃除の続きです。今朝は何故か伊勢物語を思い出してしまいました。

古い品物を多く整理したせいかもしれません。

 


こたつむりです

2016-12-28 08:40:34 | 日記

 こたつに潜り込んで動かない、むかし何かのアニメで読んだ「こたつむり」になることですね。

こたつとかたつむりが上手く掛け合わされていて、その容姿もうまく言い当てている絶品の造語だと思いました。

本当に全くその通り、こたつに潜り込むと動きたくありません。

その内うとうとと、ありがたくなって寝てしまいます。

私ぐらいになると昼食の後は自然な午睡状態に入ります。

よくありがたくなってそのまま行きたいという話がありましたが、それは誰しも憧れる終末なのかもしれません。

眠るように、です。

 このように、寝て過ごすですね、風邪を引かないように気を付けながら、穏やかな暖を取ながら、すやすやです。

温風ヒーターのこたつが最良です。下掛けの上に横になり、直接こたつの中に潜り込まないのがコツですね。暖か~い

 

 


指に来る雑巾絞り

2016-12-27 18:10:31 | 日記

 毎日少しずつ掃除をするつもりが、一区切りつく所までしようとすると、短時間では終わらないのでした。

窓ふき程度なら、30分、1時間と案外短い時間で終わるのですが、片付け、掃除機、拭き掃除、整理と続けると、

軽く2時間、3時間と過ぎてしまい、それが連日になると疲労感が、キーを打つ指が痛いです。

雑巾絞りが効いていますね。今日は早めに切り上げます。

 10年くらい前の事、資格試験を受けに上京したことがあります。

その時、都内在住の同窓会の先輩にご挨拶したいと思い、電話しました。

以前同窓会でお話した事があり、顔見知り程度ですが、名前と出身地を言えばお互いに分かる感じでした。

 さて、気安く電話してみます。

年末ですが、まだ大みそかまでは2週間くらいの余裕がありました。

お会いして会話でもと申し出ると、そうねえという感じでした。

でも、そうねえ、大掃除や新年の準備で忙しいから、暇な時間が無いわとの事でした。

ご主人が会社に勤めていた頃は会社の若い人が手伝いに来てくれたけれど、退職したら来なくなったから、

少しずつ片付けしたり準備したりしているから、お会いする暇がないわ、との事でした。

 私は唖然、最初の手応えでは会えそうな雰囲気だったので、最終的にお断りのお返事にがっかりしました。

そこで、都内に住む同期生の人に電話して会う事になりました。

私は元々2人に会うつもりでした。日帰りするには時間に余裕がなかったので、

折角とった1泊なので、会える人に会ってこようと思っていたのです。

 同期の人からOKの返事をもらいながら、先輩についてぶちぶち、小言を並べて、

年末までまだたっぷり2週間はあるのに、そんなに準備にかかるかしら。と、

行き成り電話が掛かって来て、私の不満を聞く同期生こそよい迷惑です。

 そうですね、順番からいくと、この同期生の人はMさんです。苦情を並べて申し訳なかったです。

近年全然連絡していませんが、お元気な事と思います。お子さんも大きくなられた事でしょう。

 こんな出来事から10年程して、私も一人で大掃除や新年の準備をしてみると、

やはり結構時間が掛かります。そうそう毎日掃除できる訳ではないし、休みながらあれこれしていると、

今日は何処の窓ふき、今日はあそこの片付け、どこどこの整理、と、

やはりあっという間に2週間なんて過ぎてしまいます。

 うーん、あの時、先輩について文句を言ってしまって悪かったなと、今になって反省しています。

普段から少しずつ片付けですね、一気にはきついです。今日は疲れました。

Mさんに先輩の事を頼んでおきました。その後どうなったでしょうか、先輩もお元気でおられる事と思っております。

 

 

 

 

 


遺影を見ながら

2016-12-26 21:40:12 | 日記

 仏間の掃除をしていて、畳を拭きながらここに父の亡骸が寝かせてあったと思い、

長押に掛けられた祖父母の遺影を見上げながら、思えば改築前の此処も仏間の位置、祖父母の最後の場所であったと思い、

両方共に座敷として使い、それぞれを見送った場所だと思った事です。

 祖母亡き後、残った祖父は1人でそのまま仏間を寝所にしていましたが、

その後祖父も亡くなり、仏間は空き部屋となったのです。

 私が思うに、家の主夫婦が使っていた後だから、今度は新しく当家の主になった両親が仏間に入るべきだと思っていました。

所が父は、お前達が座敷で寝るといいと言い出し、私達姉妹がこの部屋で寝る事となりました。

 「お父さん、お祖父ちゃんが亡くなった後だから、座敷で寝たくないんでしょう。」

と、私は言ったものです。

すると父は、そんな事は無い、いやならお父さんとお母さんがこの部屋に来ようかというので、

その方がいいんじゃないの、と言いつつ、私は妹にどうするか尋ねました。

 お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが亡くなった部屋で寝るの嫌じゃない?

こう尋ねたのです。

妹は嫌じゃないと即答したので、そう、と、私は妹と2人でこの部屋に移る事を了承しました。

 今から思っても、次の主夫婦が当家の座敷に移るのが当たり前だったのではないかと思います。

こう思いながら祖父の写真を見上げ、在りし日の面影など探りながらふとこんな場面を思い出しました。

祖母が亡くなって2年程した頃だったでしょうか、お盆でもなく、お彼岸でもない頃、

夏でもなく冬でもなく、何時になく菩提寺に参拝に行った事がありました。

 発案は祖父であったようで、祖父はこの日、またはこの年で合っていると父に言い、

墓所で何やら父と口喧嘩などして居たようでした。

無事に墓参りも済ませて、祖父は両親を家の墓の前に残したまま、私が釣鐘の傍付近に1人でいた所へやって来ました。

この頃の祖父は背筋もまだしゃんとして、話し方も何時もと変わりありませんでした。

 「JUnちゃん、あんたの代になったら墓を立て直してね、お父さんとお母さんは甲斐性が無いから。」

祖父は微笑して私にこう言うので、私は一瞬ポカンとして、口を開けて祖父の顔を見上げたものでした。

何故ならば、在りし日の祖母からも同じ言葉を私は過去に受けていたからでした。

 祖父までも、いや、祖父が言った言葉だからこそ、とても重く、ずんと私の心に沈み込んで来ました。

分かったね、お父さんとお母さんは甲斐性が無いから、再びそう言ってじっと私の顔をほぼ真顔で祖父が見つめるので、

今はもう祖父母の意志となったこの言葉に、私はうんと頷かざるおえませんでした。

 頷いたからには成し遂げなければ、当時もそう思っていましたが、もう40年近く過ぎた近年、

父が亡くなってからこの言葉を思い出しました。

当時は私自身の貯蓄はほとんど無いくらいでしたが、父が残した貯金などが幾らかあり、上手く母を説き伏せて、

お母さん、あんな古いお墓に自分も入りたくないでしょう。

と言うと、案外すんなり墓の改築に踏み切ってくれたのでした。

家のお墓は江戸期の青石で出来ているという古さでした。私で十何代目かになります。

 現在が私の代という程の事は無いのですが、その上、両親に比べると私の方が甲斐性が無いのですが、

祖父との約束を果たしてとりあえずホッとしました。

来年は祖母の50回忌、仲の良かった祖父母を共に法要して50回忌を終えたいと考えています。

 今日、両親に比べると私の方が甲斐性が無かったなと祖父の遺影を見上げつつ、

それでも、祖父母の亡き後座敷に移らなかった父の事を再び思い出すと、

やっぱり、祖父の言っていた通り甲斐性の無い両親だったのかなと、そんな事を思いながら座敷の大掃除をしたのでした。