「えっ、お前如何してそこにはそうなの。」
電話の前で正座していた父は、急に背筋がしゃんとしたような、ピシャリと背中を打たれたような雰囲気で姿勢を正し、
顔だけをこちらに向けると、素っ頓狂に近い顔をして私を見つめました。
だから、そこはいいの、即OKしていいから、私に取り次ぐ迄もないの。
向こうから連絡があったら即OKの返事をしてね。私の方は何時でもいいのだから、
向こうの気が変わらない内に早めによいとお返事してね。
そう私は父に話して置きました。
父は信じられないという顔で、降って湧いたような私の態度の軟化に多分呆然としていたのだと思います。
社会人になって何年目か、2度目の会社で落ち着いて勤めていた頃です。
その頃は何人か、私が過去に出会っていた人達から父の所へ、電話または訪問して、
お付き合い、結婚等の打診が来ているようでした。
「お前、○○という物を知っているか」とか、電話が掛かって来ているけど出るかとか、
付き合いたいと言っているけれど如何する、など日常の所作に紛れて聞かれたり、
直接掛かって来た受話器を持った父からそのまま聞かれる事がありました。
そうねえ、知っている人とか、あまり、話した事が無い人だから、とか、如何とも、
そんな風に私自身曖昧であったり、付き合う気が無い場合は父にはっきりそうと伝えたり、
あれこれと父に聞かれればその都度、私は自身の考えを如何こうと話して来たのでした。
只、最終判断は父の方でしていたようです。皆その後話の進展は無かったのですから、
父の方で体よく断ってしまったのでしょう。(私が断った以外は原因不明)
そんなある日、私は居間に入ると、受話器を手に電話口に座っていた父に気が付来ました。
その時ふと、何時になくある人の名前を思い出し、父にその人の名前を言って、もしその人から電話が掛かって来たら、
結婚したいなどの連絡があった時にはと、上記の言葉を言って置いたのでした。
「連絡があったらでいいのよ。」
と続けて私。
何か約束がしてあるのかと聞く父に、特に、そうでは無いけれどと私は答え、
気持ちがあれば連絡して来るでしょうから、来られるでしょうし、
そうしたら、即OKしておいてね。私はよいのだから。
その人唯1人だけはそうはっきりと、父に自分の意思表示をして置いたのでした。
このように、いろいろな事があり、過去に何度となく異性に対しての拒絶の言葉を父に繰り返して来た私でさえ、
「娘十八番茶も出花」の頃には、ちゃんとそれなりに思う相手と出会えるものだという事です。
今現在自分の半生を翻ってみても、
唯一無二と言える人に出会えた、誰しもそんな人に出会う時がちゃんと来るのだと思う事です。
私のように親その他等の障害が多いかもしれません、でも、皆さんもその時をにこやかに迎えられるようにと願っています。