次の時には普通に遊びに行ったと思います。
そこでやはり災害の話になり、私の方は相変わらず罹災した人々の様子が気の毒で可愛そうで見ていられ無かった事、
あんなに悲しんでいる人を見てはいけないと思ったという意見を言うと、
Lさんの方の見解は私とは違ったものでした。
「Junちゃん、私はあれは見てよかったと思う。」
と、Lさんが言うので、えーっと私はびっくりします。
前回もそう言った話は聞いていましたが、こうやって普段の遊ぶ状態に戻り、
落ち着いて改めてLさんの話を聞くと、やはり私にはLさんの意見にはどうしても同意できない感情が湧いてきます。
それは怒りにも似た感情でした。
如何して悲しんでいる人々を見てよかったという話になるのかと、内心憤って来たのでした。
Lさんでもちょっと酷い物言いだと思ったので、今回はこの話を掘り下げて討議する事になりました。
「酷い目に遭って苦しんでいる人なのに、如何してそんな人を見てよかったと言うの?」
私の語調には、はっきりと怒りが表れていました。
可愛そうだけど、と小声でLさん。そして、きっぱりと私はやっぱりあれを見てよかったと思う。
とLさんの口調には確りとした彼女の意思が籠っていました。
えー、Lさんがそんなに冷たい人だなんて、
私は意外な彼女の面を見たようで、俄かには信じられ無い気分でした。
もしかすると、Lさんは人を憐れむという事を知らない人なのかしら。
彼女が?そうなんだろうかと、
もしそうなら、憐憫の情という物を、よく出来た彼女に、よく出来る人だからこそ尚更、
私は彼女に持ってもらいたいと思うのでした。
ねぇ、Lさん、何でも物事なんだけど、可哀そうな事ってあるの知っている?
と、試しに訊いてみます。
どんな例を引いたか覚えていませんが、彼女はきちんとその場合は可哀そうだと答えたと思います。
そうすると、憐憫の情については普通にLさんにはあるのだと私は思います。
尚更、何故Lさんがあの場面を見てみてよかったと言うのかが、私には全然分からなくなってしまいました。
いう言葉が無くなり沈黙した私に、Lさんは話し出しました。
「私はあれは見てよかったと思うの。」
あんな風に人々が悲しむような酷い災害を、如何したら無くす事が出来るかを考えなければいけないと思うの。
とLさんは今後の解決策、あのように酷い目に人が合う酷い災害を出さない為に、今後如何したらよいかを考える為に、
嘆き悲しむ人々を目の当たりに見て来てよかったと思うのだと静々と言うのでした。
当時の私にはこのような考え方は想像だにしない、できない事でしたから、びっくりと言うよりも、
遥かに次元の違う話を目の前に提示されたという感じで、開いた口が塞がらないというような、
思考が固まってしまったような、どうにもこうにも身動きが取れないような状態に追い込まれてしまいました。
このLさんの話に、私は如何答えようもなくて、困っている人を出さない、そうね、困った人を助ける、そうね、
そんな事を呟いてみるだけなのでした。
私には分かりません。あんな酷い災害を出さない為に今後どうしたらよいかなんて。
如何したらいいの?
逆に質問してしまいます。
如何したらあんな酷い洪水が起きないようにできるの?
それはLさんにも答えられない謎なのでした。
幼児にするとなぞなぞの時間です。想像さえできない事のお喋りの時間です。
少なくとも私にとってはそうでした。