歳時記とありますが、この歳時記のことです。
これは増訂版で増訂版の昭和47年28版、初版本は昭和9年(1934)です。
この本の目次が、これです。
この目次は冬として1月からはじまっています。括弧書きで(十一・十二月は巻末
にあり)とあります。その冬の最初が 「一月」 で季題として 「一月、去年今年、新年、
元日、元朝、……、」と続きますが 「正月」 はありません。
6、7日と写真でお見せした 『「正月」のない歳時記』 とはこの本の(初版本)こと
です。ただそれだけでしたら何のこともないのですが、なぜないのか?が面白いの
です。そこには虚子のしたたかな商売人気性が伺えるし、水原秋桜子との確執の
深さが見えてくるのです。
それを見せてくれたのがこの本の著者・西村睦子さんです。
6日には 「本の内容は季語に関してかなり専門的になる」 と書きましたが、この
専門というところが面白い部分でした。 一般に「専門」というと難しいということにな
るし事実そうなんですが、すこし踏み込むとそこに面白さがあるのでした。この本の
場合は拾い読みをして次の部分に眼がとまりました。
≪昭9 虚子編 〔新歳時記〕
文学的な作句本位な歳時記。~ 時候・天文・地理・人事・動物・植物と
いった区分を廃し、1月から12月まで月別に分け、雑多に題を並べ簡潔な解
説を加えている。明治36年、自ら採用した新年・春・夏・秋・冬という部立を捨
ててしまった。≫
さて、「正月」について何といっているか、
虚子編「新歳時記」の「一月」にこう書かれています。
≪一年の第一月。今も舊暦の習慣が残っていゐて、正月と呼ぶ人もある。が、極寒
中の舊暦の正月とは感じが違ふ。≫
西村さん曰く、≪最も大事な行事であった「正月」は旧暦一月の名称であるから、
虚子は「歳時記」から落してしまった。≫
その背景を≪大正8年1月号の〔ホトトギス〕で太陽暦移行を断行した虚子は、「春」
「正月」「初」と結びつくものは徹底的に排除し、極力太陽暦へフィットしようと努力≫と
書かれています。
ところで、昭和9年という時期に、なぜ、なんの前触れも無しに「正月のない歳時記」
が刊行されたのか、そこには虚子の「背叛者(虚子の弁)」・水原秋桜子に対して、先
手を打つところに狙いがあった、と著者・西村さんは断じています。
その辺が、俳句界も人間界の一部であるというあたりまえのことが、「衝撃的」に分
かって面白い所なのですが、長くなりますので明日に。