葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

七月のはじめに……。

2014-07-01 22:02:39 | せいじの政治カフェ

 七月のはじめ、といっても既に一日の大半は過ぎあと二時間です。今年

も後半に入って早くも第一日目が過ぎます、こんな言葉があります。

≪人間の一生をかりに七十年といたしましょう。七十年を日に直せば、閏年は

ないものとして二万五千二百日になります。もし四季の推移を暦に合せるた

めに、一年おきに一カ月だけ長めるといたしますと、七十年間に三十五カ月

の閏月が入ることになり、これを日に直せば千五十日となります。さてこの七

十年間の合計二万六千二百五十日の内、一日として全く同じ事が起きるとい

うことはございません。さればクロイソス王よ、人間の生涯はすべてこれ偶然

なのでございます。≫(ヘロトドス 『歴史』)

 

 「偶然」のいえば、こんな言葉も。

≪成人男性の1回の射精では約5億匹の精子が放出されるそうです。そして、

自分の体長(100分の6ミリくらい)の何千倍、何万倍の山あり谷ありの道を走破

(泳破?)して、卵の膜を破ることができるのはそのうちわずか10匹、そしてつい

に卵のなかにはいることができるのはただ1匹です。この精子は仲間のなかだけ

で言えば5億倍という競争を勝ち抜いたのです。(略)

 ある助産婦さんは、精子と卵が出会って受精卵になる確率は、海底に落ちてい

る1円玉を探し出せる確率より小さいとどこかに書いておられました。≫

 (徳永俊明 『「生活」とは何か』)

 

 「必然」とは「偶然」ではないということです。

 山宣の記念碑の碑文として書かれようとした、

 「好むにせよ好まないにせよ、やがては来るその日の為に」

 は、人間の意向にかかわらず「必ず来る日」がある、と。

そして、そのことを時の権力・天皇制政府はもっとも恐れていたこと、

をこの碑文を巡ってのやり取りは示しています。

コメント (2)
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