kaeruのつぶやき

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沖縄の高校生の「声」。

2014-07-06 22:26:33 | kaeruの孫録
琉球新報2014年7月6日(日)09:46
 「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」。4日、那覇市内で開かれた高教組(県高等学校障害児学校教職員組合)の定期大会で、政府による集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更の閣議決定を受け、生徒たちが不安げに質問してくるようになったとの報告が現場の教諭たちから相次いだ。高校生たちは「戦前」に回帰しかねない危険性をはらむ国の変化を敏感に感じ取っているようだ。
 本島北部のある高校。30代の教諭が授業を始めようと教室に入ると「辺野古に基地が来ると危ないよね」「戦争が始まるの?」と率直な疑問が相次いだ。
 「こんなことは初めてだ」と教諭は驚いた。そして、沖縄に在日米軍の専用施設の74%が集中すること、米軍が他国と戦争した場合、基地が集中する沖縄が攻撃の標的になる可能性を指摘する声があることを説明した。
 「じゃあ、これからどうすれば良いの?
 閣議決定で決まったらもう変えられないの?」。生徒たちの問いは続いた。同教諭は「20歳になったら君たちには投票権がある。どういう政治をしてほしいか考え、そして選挙に行くことだ」と伝えた。
 本島中部の高校でも「先生、集団的自衛権について話そうよ」と声が上がった。40代の教諭は「担当する4クラス全てでこの話題が出た」と生徒の関心の高さを感じた。
 本島南部の学校に勤める50代の教諭は「『先生、普通の授業している場合じゃないよ』と言われた。今まで基地問題について話をしても反応しなかった子たちが、今回は自ら議論を提案してきた。世の中が今までと違っているということを感じ取っているのだろう」と語った。
 「教え子を再び戦場に送るな」。4日の定期大会会場に掲げられた言葉。日教組が1951年に制定したスローガンで長い歴史を持つ言葉だが、ある教諭は「この言葉の重さをこれほどかみしめたことは今までなかった。私は一人の教え子も戦争には行かせたくない」と力を込めた。(仲井間郁江)

( http://news.goo.ne.jp/topstories/region/385/be16b4fadaf653b5645a67b11b4b30e9.html )

 

 石垣島の孫は中2ですが、いま多分彼らの周辺でも同じような不安が話されているでしょう。

 「教え子を再び戦場に送るな」、「子どを孫を戦場に送るな」

 世界の子どもの声に耳を傾けよう。


ある俳句人の「言葉」。

2014-07-06 21:52:42 | 本のひと言

 この本の 「はじめに」 からの引用です。

≪弊社が皆様のお蔭で無事創業七十周年を迎えるにあたり、何か意義のある

記念事業はないかと考えていた折、天啓のごとく閃いたのが、今次の大戦を俳

句で詠んで残そうというアイデアでした。私事で恐縮ですが、私は男ばかり五人

兄弟で全員が出征し、兄と弟は戦死、私は辛くも生き残りました。両親は昭和の

初めから松瀬青々に師事して俳句に親しんでおりましたが、その悲しみを直接

詠った俳句が一句もなく、僅かに母の回想句が数句あるだけでした。

   あきらめて居れど萩咲き月見れば   米子

 父浪華は主宰する俳誌 「青門」 に昭和27年 「跡をたずねて」 を六回のわたり

連載しました。この三男の墜落した地への慰霊の紀行文や母の句を読み、この

悲嘆を二度と繰り返してはならない、戦争体験者が存命の内に何とか俳句という

表現形式でこの戦争を記録しておかねばならない、という思いにつき動かされまし

た。これは生き残った私の義務のようにさえ思えたのでした。≫

 そしてこの人(マルホ株式会社名誉会長 高木二郎・俳号 青二郎)は、全国紙

に「昭和20年8月15日をどこでどのように迎えたか、前書きをつけて俳句を送って

ください」と募集広告を出して呼びかます。10941名が応募、昭和60年12月 『昭

和20年8月15日を詠う 昭和万葉俳句集』 を刊行し、さらに三年後 『同 前書集』

を世に送り出しました。

 この引用した言葉のあと、この本のついて語られているのですが、本の内容は

季語に関してかなり専門的になるもので、ここではその部分は略します。

  マルホ株式会社については、http://ja.wikipedia.org/wiki/マルホ