上田城築城から明治維新まで288年間のうちわずか40年間の城主真田氏が上田を代表しているのは何故か、その理由を三つ上げていると本を紹介しながら書きました。その理由とは、と述べるまえに本と執筆者を紹介します。
あらためて書名は「第ニ期 物語藩史 第三巻」でここには新発田藩、長岡藩、上田藩、小諸藩、諏訪藩、飯田藩、郡上藩がおさめられています。出版社は「人物往来社」で上田藩の執筆者は横山十四男氏、昭和41年6月の発行です。
横山十四男氏の著書を、以前紹介したことがありました。
ここです👉 2014年7月12日「続 平林堂という本屋」
その本・『上田藩農民騒動史(増補新版)』(1981年11月発行)によると「1925年上田市に生まれ、旧制上田中学校、東京文理科大学日本史学科卒業し中学校高校教諭を経て大学助教授」とあります。
それでは「その理由の第一には」からはじめます。
《 真田氏が上田・小県(ちいさがた)の地元の土豪から成長した大名で、上田築城とその領域支配の基礎がためをした。
《 第二には、戦国末期、武田氏滅亡後の混乱期に真田氏が上田・沼田(群馬県)地方に独立小王国を形成して、隣接する上杉・北条・徳川などの大勢力に伍して、一時万丈の気を吐いたこt、それに加えて関ヶ原合戦のさい、昌幸・幸村父子は、東軍の勢力下に塗りつぶされた甲信越地方にあって、孤塁上田城に拠って西軍にくみし、徳川秀忠の中山道軍に敢然としてたち向かったこと。その時しかじかの軍功をたてた某(なにがし)が我が家の祖先である、と称する旧家が今なお当時の感状を保存して上田・小県地方の各地に散在している。
《 第三には、関ヶ原役後、追放され牢人となった幸村が、大阪の陣には、入城して豊臣方の有力武将となり、徳川勢をさんざんに悩まし、いくどか家康の心胆を寒からしめたうえ、壮烈な戦士を遂げていること。
さて、この第三のところが今回の「真田丸」に当たるところです。大河ドラマではどういう話になるかわかりませんが、伝説によれば幸村は生きのびて秀頼をまもり薩摩へ逃れた、ということです。なお、秀頼ファンの大阪岸和田ではだんじりに秀頼と幸村を彫り込んだものがありました。
信州・上田ー大阪ー(広島を通って)ー薩摩へ、という物語になるかも。