タイトルに、その1とか2とかつけたのは著者は七句について各々評価を下し、これが「よい句です」と示すため16ページにわたって判断内容を述べているからです。それもこの入門書を読む人を「甘やかす入門書を書きたくない」という姿勢で書かれているのでその紹介にもかなりな量を必要とすると思ったからです。
本当はkaeruの紹介などで知ってもらうより著書そのものを読んでもらえればよいのですから、先に本と俳人を紹介しておきます。ある意味では逃げ道をつくっておこうというわけです。
著者は俳人・秋元不死男、書名は『俳句入門』角川選書。この本に対する角川書店の紹介文を紹介しておきます。「俳句の作りかたと味わいかたを豊富な実例を引いて懇切にとく。俳句入門書の古典的名著。」
秋元不死男を知ったのは西東三鬼の文章を読んでいて、こんな俳句「死が近し端より端へ枯野汽車」にまつわる話が書かれていました。
それは、
《 死が近し端より端へ枯野汽車
という句が出来た。それから数日後、私は用事のため上京して、横浜で秋元不死男を訪ねた。私達は昔から、お互い俳句を見せ合う習慣があったから、この時も、手帖に書いたこの句を見せた。
不死男はしばらく私の句をみていたが、おもむろに、彼の句帖をひらいた。それは息子の小学生が使う雑記帖で、表紙に「具象を重んずべし」とか「凝視」とか、不死男一流の金言が書いてある、不思議な句帖である。
その句帖の、不死男がだまって指さした一句は
死が近し枯野をわたる一列車
というのであった。
私達は、しばらく顔を見合った後、同時に笑い出した。笑は仲々とまらなかった。
類句とか類想というけれど、これはあまりにひどすぎる。第一「死が近し」という言葉は、不死男も私も、独自の言葉として、はじめて俳句に取入れたのだ。観念的には類似のものだが、言葉の実感は個人的なものだーー等々と、私達はまじめに語りあった。
年齢は一つちがい、共に新興俳句運動に没頭し、所こそちがえ、仲よく臭いめしを食い、戦後はおなじ「天狼」に属し、俳句観も共通していると、横浜と兵庫県に離れていても、こういうことになるのか、これは大いに危険であるぞーーと私は考えたことだ。》
ここが頭に残っていて、秋元不死男という俳人の名を追うようになりました。
長くなりました、次へ。