季語としての「冬の虫」について昨日歳時記の解説を紹介しました。あくまでも鳴く虫に拘っているということでした。それならば「冬の草」はどうなんだろうというのが今日のつぶやきです。
歳時記は『角川大歳時記 冬』からです。解説に触れる前にこの写真を、
前日刈った草をビニール袋に詰め込んで外に置いておいたのですが、袋に付いている水滴は外側ではなく内側です。袋の内外の温度差が露になって内側に付いていたのです。袋の中は蒸れているのでしょう、草は温かさを持っています虫が住むわけです。
さてそういう「自然」をどう解説しているか。
《 冬になり霜が降り始めても、なお青さを残して枯れ残っている草の総称だが、常緑の草も含めてよい。本来は枯れた草も含めての冬草のはずだが、俳句では枯れた草は「枯草」「名の草枯る」といった別の季語として扱い、「冬草」「冬の草」の場合は枯れ色のなかに残る健気な青さに興趣を感じ取るという方向になっている。冬青草という呼び方があるのも、同じ美意識によるもの。~》
この「健気な青さ」に、寒気に対しの温かさを感じられよう。
生きる弾力冬草を踏めばあり 阪本謙二
冬草にふかくも入るる腕かな きちせあや