kaeruのつぶやき

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一人の民、大勢の民。

2016-05-24 22:32:27 | 「真田丸」

「真田丸」第20回「前兆」での聚楽第落首落書事件、その犯人について「民の仕業だ。大勢の民が、殿下に対して、同じ思いを抱いた。それが、あの落首になったのだ」と三成の言葉を一昨日の「つぶやき」で紹介しました。

   ドラマでは犯人としての尾藤道休の首をもっての幕引きがはかられましたが秀吉の怒りはおさまらず罪の無い近住の住民をも磔にと、それを糾す三成に切腹を、と申し渡す時、北政所寧の出現でおさまったという筋書でした。

  道休と同じ門番17人がとらえられ磔にされたことはドラマで触れられましたが、史実ではこの後も道休の住んでいた一帯が焼かれたり、住民が60余人磔になっているそうです。

   このように天下人の怒りにあえば情け容赦なく命が奪われる「民」とは、当時どういう人たちだったのか、という思いがわいてきます。その時この図が目に付きました。

  この時点での「真田丸」登場人物の関係図です。真田家など「家」毎にグループ分けされてます。左下に4人がどのグループにも入っていませんが、いずれも伊達家とか元黒田家とかで、左端上の「出雲大社の巫女 出雲阿国」だけがグループ外の人でしょう。

  誠にドラマを見ての浅い受けとめなのですが、当時の「民」とはここで描かれている枠、グループ分けに入っていない人々のことになるのでしょう。血縁関係はもとより主従関係も含めて枠外の人々ということです。

  先にあげた三成の言葉のあと信繁に、「だから殿下は、あれほど恐れたのかもしれませんね」というセリフがあります。この枠外の人々を恐れる天下人・豊臣秀吉ということです。勿論この言葉は脚本家・三谷幸喜が言わしめたことですが、不自然には聞こえませんでした。

   時の権力者にその時代の「民」への「恐れ」がどういう形で現われるか、この時代には「残虐さ」をもって現れたのですが、400年後の現代では何をどう恐れているのでしょうか。