kaeruのつぶやき

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川端康成の初恋の人

2017-04-16 23:12:07 | 葉山そして人

昨日の話ー川端康成の初恋の人の子ーの続きです。

昨日紹介しました「葉山新聞」の昨年6月10日号に川端康成と初恋の人・伊藤初代の手紙が紹介されています。

先ず初代から康成に出された手紙です。(若干書き換えています)

「あなた様が私のやうな者を愛して下さいますのは、私にとつてどんなに幸福でせう。私は泣きます。私も今日まで沢山の男の方が手紙を下さいました。それには愛とか恋とか書いてありました。私はその返事をどう書いてやればいゝのか、私には分かりませんでした。私はみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまでも愛して下さいませ。私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました。」

伊藤初代は川端康成の初恋の人というより婚約者と言うべきでしょう。「葉山新聞」の紙面には「婚約した時の写真」として康成初代と共に仲人役の三明永無という康成の友人が写っています。婚約の日は大正10年10月8日ということです、康成23歳初代16歳とあります。

上の手紙は婚約直後ですが、この後それまでは頻繁に来ていた初代からの便りが来なくなります。康成の未投函の手紙です、

「僕が十月の二十七日に出した手紙見てくれましたか。君から返事がないので毎日毎日心配で心配でじっとして居られない。手紙が君の手に渡らなかった、お寺に知れて叱られているのか、返事するに困ることあるのか、もしかしたら病気じゃないか、本当に病気じゃないかと思うと夜も眠れない。とにかく早く東京に来るようにして下さい。恋しくって恋しくって、早く会わないと僕は何も手につかない。二十七日に出した手紙にはいろいろ詳しく書いたが、あんなことは君の都合でどうでもよろしい。僕は君の云う通りにして上げる。早く何とか思ふ通り返事して下さい。一人で旅することは僕が心配だし心細いから止めて下さい。必ず迎えに行く。そして何とかして汽車に乗れたらそれでよろしい。東京に来てからのことで心配なことあるなら、それも君の思う通りにしてあげる。厭なことなぞ決してない。父様の方は安心してゐなさい。台湾の方も僕が責任を持って好くしてあげる。国にも帰してあげる。国に帰るにしても、東京にしばらくいる間不自由ないように色々考えていたが、急なことだし、思ひ通りにならない。そんなことは辛抱して下さいね。誰が何と云っても僕を信じていらっしゃい。君の思ふ事何でも承知してあげる。早く手紙下さい。毎日どんなに暮らしているかと、手紙が来ないと泣き出すほど気にかかる。僕は十日前後に必ず行く。知れてもいいから汽車に乗れたら大丈夫だ。君が悪く人から云われる所は僕が皆代わりに引き受けて上げる。お父様の方は安心していっらしゃい。病気じゃないか。病気なら病気とはがきだけでも下さい。君の思う通りに書いて下さい。」

この手紙は先に書きましたように未投函ですから、初代は見ていません。ですからやがて届いた初代からの手紙は、これに対する返事ではありますんが、康成にとって驚きべきものでした。

それはこの手紙のなかに書かれている「お寺」の深く関わることですので、当時の初代の置かれていた環境について触れる必要があり、少し長くなりますので明日に回します。