kaeruのつぶやき

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『資本論』と私の前歯。

2017-04-18 22:36:17 | kaeruの『資本論』

   こんな訳の分からないタイトルなのは、今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」が関係してます。(【 】内)

【『資本論』は、冒頭の章で「前歯を折る」と戦前から言われてきました。マルクスも序文で「すべて初めはむずかしい」ということわざを引き、第1章(商品)のむずかしさに読者の理解を求めています

以前、職場で『資本論』の学習にとりくんだことがあります。「価値形態論」に入ると、むずかしいという声が一斉にあがりました。“前歯が折れそう”になりました

とくに貨幣が生まれる秘密を含んだとされる「簡単な価値形態」が難解でした。初版で調べると、「簡単だから分析がいささか困難」とあります。一瞬、「簡単だから?」と首をかしげました

容易なということではなく、単純なという意味です。商品の中のいろんな規定が未発展で、隠され、分析が困難というわけです。マルクスは「抽象力」を働かそうといいます。特別な知識がなくても、ていねいに読めば分かるようになっています。読むたびに、分かるところが増えた実感も得られます

マルクスも、叙述の改善にかなり努力しました。エンゲルスの忠告を受け入れ書き直した経過を、不破哲三さんが雑誌『経済』の『資本論』第1巻150年特集の連載で紹介しています

この特集で経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さんは「もっとも大きな知的衝撃を受けたのは、価値形態論」と書いています。「本というものはこれだけのものを遺(のこ)すことができるのだ、という希望を与えてくれた」とも。来年はマルクス生誕200年。記念すべき年に、自分の歯でかんで面白さを味わいたい。】

日本での『資本論』は1920年(24年完結)の高畠素之訳が初の完訳ですので「戦前から」とはその頃からでしょうか。とはいっても丈夫な歯は折れなかったのでしょう。作家宮本百合子は1939年の春に『資本論』を読み出します。これは不破哲三さんの書かれた「宮本百合子と古典学習」によりますが、『空想から科学へ』『反デューリング論』『賃金、価格および利潤』『経済学批判』などを読み終えて『資本論』にかかるのです。

そして、1939年3月30日に獄中の夫・宮本顕治に出した手紙に、

「このごろ、やっと大部な著作(『資本論』のこと)の読書にとりかかって、感歎おくあたわず、です。涙ぐむほどの羨望です。純粋の羨望であって、腹の中では顫えるようです。小説においても、文芸評論においても、こういう態度に些か近づくことを得れば、本当に死んでもいい、そう思う」

と書きました。不破さんはこれについて、「マルクスの方法の核心をしっかりつかんだものこそがいえる言葉」と評しています。

kaeruの歯は入れ歯ですから折れる心配はありませんが、自分の歯で噛むのとは違う心許なさを感じつつの食事です。でも食事が体づくりの基本ですから心許なさを感じつつも食べます。ならば読書学習は精神をつくる素でしょうから、たとえ残っている前歯がすり減っても、口に入れ飲み込み脳味噌という胃袋へおさめていけば、幾らかでも精神の活力にはなるでしょう。