偶々飲む機会があって、隣に座っての初顔合わせでした。ですから桜井さんの名前も耳にした時、葉山町でそう多く聞く苗字ではないし、宜しくで済みそうになりました。すると向かいにいた「葉山新聞」の山本氏が「ほら、川端康成の初恋の人の息子さん」と言葉を添えてくれたのです。
そういえば以前この新聞社が「伊豆の踊り子」に関わった企画で文芸講演会と称した集いを計画したことを思い出しました。その講演会には行ってませんし康成の生涯についても疎かったので「伊豆の踊り子」の元は康成の初恋が悲恋で終わったのか、程度の感じだったのです。
でも、その初恋の人の息子さん本人だとなると俄然関心が強くなるのは、ある種の野次馬感覚なのかもしれません。
さて、昨日の続きです。初代からの「驚きべき」手紙とは、
「おなつかしき康成様
お手紙有りがとう御座いました。此の頃手紙を出しませんで失礼致しました。あなた様はおかわりなくお暮らしのことと存じます。私はあなた様におことわり致したいことが有るのです。私はあなた様とかたくおやくそくを致しましたが、私にはある非常が有るのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ないのです。私今、此の様のことを申し上げれば、ふしぎに思いになるでせう。あなた様は、其の非常を話してくれとおおせでせう。私は其の非常を話すくらいなら死んだ方がどんなに幸福でせう。どうか私のやうなものは此の世にいないと思って下さいませ。あなた様が私に今度お手紙を下さいます其の時は、私はこの岐阜には居りません。どこかの国で暮らして居ると思って下さいませ。私はあなた様の◯!を一生わすれません。私はもう失礼をいたしませう。私は今日が最後の手紙です。此の西方寺に下さいましても私は居りません。さらば。(略) お別れ致します。
康成様 サヨウナラ」
「葉山新聞」紙面では手紙の紹介のあと、この「非常」とは何か。破談から2年後の川端の日記に「千代(初代)は西方寺にて僧に犯されたり。自棄になりて、家出す。……」とあると説明があます。
この「非常」な事実を、初代さん自身が娘に話したそうです。その娘は隣席の桜井靖郎さんの父違いの姉に当る人でした。桜井さんは姉さんからきいていたのでした。
「伊豆の踊り子」という名作の陰の秘話であり悲話。それで初恋の人・伊藤初代さんのことをウィキペディアでみてみました。かなり詳しく書かれています、一読してみて下さい。