kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

白狐の思考能力。

2017-09-16 21:35:30 | 非詩的なつぶやき

寺沢恒信さんの『意識論』に紹介されている話で、「思考とは何か」という話の事例です。

【 北極地方の雪原に住む白ギツネを捕るために人間がつぎのような仕掛けを考えた】というふうにして話がはじまります。

雪原の上に木の台を置き、そこに弾丸をこめた銃を固定します。銃の後部に滑車を付け丈夫なヒモの端を引き金に結びもう一方の端を銃の前面にのばしてきて先に肉を結び付けます。〈人間の狙いがわかりますね〉

【 白ギツネが来て肉をくわえて引くと、】肉→ ヒモ→ 滑車→ ヒモ→ 銃の引き金→ という順で銃口から弾丸が前にいる狐に当たり白ギツネが死ぬ、のでした。

さて、白ギツネはこの経験から学ぶのです。

【 そのうち銃は発射されているのに肉だけ取られて白ギツネの死体はどこにもない、〜調べると銃口の前の雪に穴を掘ったあとがある。白ギツネは銃口の前に穴を掘って自分はその中に入り、口さきだけを穴から出して肉をくわえて下向きに引いたのである。ひもは引かれ、引き金が動いて銃は発射されるが、弾丸は穴の中にいる白ギツネの頭の上をとびこし、白ギツネは無事に肉を取ることができたのである。】

死んだ狐は殺されたという事実を通じて後に続く仲間の学習材料になっているのです。

【 白ギツネは他の個体がうたれて死んでいるのをみて(知覚して)、これにもとづいて銃口から危険物が水平に飛び出すということを分析し、穴を掘って自分の身体の位置を低くすることによって危険物をさけるという問題状況の解決をみいだしたと考えられる〜】

寺沢さんは、【 考えられるが、そうだとすると白ギツネの思考能力は相当なものである。】と。   

本当にそうだと思います。

仲間の死から学んで、生き続ける道を開いた白ギツネ、ヒロシマ・ナガサキの死者をはじめ戦争の経験から学ぶべき日本人。問題状況の解決に日本人の「思考能力」が大きな役割を果たさなければならない、と考えます。


麻雀と資本論

2017-09-16 20:31:18 | 葉山そして人

久し振りに麻雀やりませんか、のお誘いのメールがあり出かけて来ました。二、三ヶ月前かに同様のメールがあって予定していたら都合で取りやめとの連絡でしたから、前回から半年くらい間があいたでしょう。

それで前回は? と見たら

同じようなタイトルで、我ながら?です。

この時は『マンガでわかる!麻雀』と『理論劇画 マルクス 資本論』を紹介したのでした、暇でしたらこちらも、

http://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/82564dcf693931d463e7e9fa47fbfcfa

 

先日の13日にも「資本論」に触れていまして、こんなことを言ってます、

( http://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/311833e27ae3605ce6c4f97882fba4e7 )

「kaeruのような雑な脳にとって一ヶ月近く資本論的ページから目が離れると、論理展開が読み取れなくなるのです。」「せめて一週間に半日くらい目をならしておかねば、と思いました」と。

麻雀も卓を囲む期間が半年くらい離れると、チーだとかポンだとか意味が分からなくなり、「牌がもらえるヤツ」などと訳のわからぬことを言いながらやって来ました。さて、今回参加して歓迎されたのは持参したアイパッド、これで麻雀の点数が分かる、のだそうです。

そう教えてくれたのは、80余歳のご婦人でカルチャーセンターの麻雀教室に行っている人、教室にタブレットを持って来た人が披露していたそうです。早速その場でアプリを入れなん回かゲームしてみて、やはり得点がはっきりすると盛り上がりも違います、今日の最高得点が記録されました、もちろん私の結果ではありません。


資本論の理解も継続性に欠けるとうろたえてしまう、麻雀も普段の生活の中には出てこないことは資本論の学習と同じことで、半年ぶりに卓を囲むと迷い出し弱気になります。

「継続こそ力」は万物共通の真理なのです。    

それにしてもネットに溢れる麻雀関係のアプリの多いことに感心しながら、麻雀感覚の継続性を保つためにもと「猿でも分かる麻雀入門」的なアプリを入れておきました。それにしても資本論に関係する情報の少なさ、特にマルクス・エンゲルの理論に立ち還り「科学的社会主義理論のルネサンス」の立場から接近して理解を広げ深め得るネット情報がまことに少ないのです。

井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」を努力目標に「つぶやき」続けましょう。