葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「てんがらもん129回」、焼酎から学ぶ。

2014-08-21 23:38:04 | 「てんがらもんラジオ」

 「てんがらもんラジオ」129回は、

 http://www.ustream.tv/recorded/51632526 です。

 

 今回のゲスト・垣内弘一郎さんは3月まで鹿児島県弁護士会会長で、現在

鹿児島ローターリークラブ会長を務められている方です。

 さて、今回のゲストの話をまとめるとなると、なかなか難しいのです。

 それは垣内さんの前の向井さんの焼酎の話のインパクトが強かったからだ

と思います。 そのせいか焼酎の話と弁護士としての話に共通のところがあ

るように感じました。

 

 それは、5月22日の「てんがらもん」での前会長・伊藤学而さんの話への

共感です。 専門知識をもって地域に貢献しようとする職業人としての姿勢へ

の期待です。

 今回の垣内さんの話でも、裁判員制度になって一般の人が裁判の判決に

係わるようになり専門的知識が求められる。それに対して弁護士として専門

的なことをどれだけ分かりやすく説くか、が大切なことになって来ているとの

話でした。 このような努力は、専門家が一般的な人々のなかで活動しょうと

すれば必ず取り組まなければならない課題です。

 

 こういう話が焼酎とどこで結びつくのか。

 それは鹿児島での焼酎の消費量にヒントがありそうです。一人あたり全国平

均で年間7.7リットルに対し鹿児島は22.1で、ダントツの1位です。ここで向井

さんの話を思い起こすと、鹿児島での焼酎の銘柄は昔は120位だったとか。

いまやその数を知らず、だそうです。 

 「焼酎といえば鹿児島」というつながりは飲めない私でも知っている国民的常

識ではありますが、それが今日の隆盛を迎えるにはかならずやそれなりの理由

があるはずです。 各地の地場産業の衰退の話の多いなかで、それは貴重な教

訓であろうと思います。

 

 向井さんが感心した焼酎「二十四番線」に、その教訓をみる思いがします。

これを造り出した西伊敷商店街では「地元の誇りや歴史を感じられる名物」

を狙ったと語られています。

 その地域での存在感を発揮していくことが、全国的な評価を高めていくこと

になる。専門性を発揮することが、一般的な普及に通ずる。こんな風に言える

のではと思います。

 上の写真は「70歳ー旅の途中」さんの昨年10月28日の「てんがらもんラジオ」

の一景です。

 今日の「kaeruのつぶやき」はなにやら「課題追求の旅の途中」で日付の変わり

目にきました、お休みなさい。

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水出先生のこと。

2014-08-20 18:29:52 | 信州、なかでも上田。

 兄の几帳面さは私にはないもので、自分の日記から「小池家(私の旧姓)」

の「歴史」を抜き書きしたものがあります。

 

 その昭和28年3月25日(水)に、

「清司(私の名)が受験した上田高校の入学試験発表を見に行くが落ちる。

26日朝、一中(上田市立第一中学校)の水出先生が見え、「清司君が落ち

る筈がない。何かの間違いだ。暫く待って呉れ」とのこと。

 との記述があり続いて、4月8日付に、

「清司の上田松尾高校(当時の名称)全日制の『入学許可通知書』が到着。」

 とある、10日には、

「清司が上田松尾高校に入学で父が同行。補欠7名(内女1名)の話が校長

よりあり。担当は真山先生。」

 

 以上が兄の日記にある私の高校入学の経緯です。

 ここで先生が言われた「落ちる筈がない、何かの間違いだ」の間違いが先生

の口から語られたのはこの後、48年後でした。

 「落ちる筈がない」当人の私は、何かの大きな間違いをしてしまい、合格点に

達しなかったのだと思いこんでの48年間でした。

 こういう事情があって県内でも有数の進学高校であった高校生活にはあまり

思い出もなく、高校卒業後は高校ばかりか中学校の同級生との繋がりも二三

人の友との賀状くらいでした。

 

 ある夏、帰郷の際その友人の一人に電話をしたところ、「水出先生が小池に会い

たがっている、いま直ぐ電話をしろ!」と電話番号を教えてくれました。その場で掛

けて耳にした時の先生の声は今でも耳に残っています。

 「小池か!すぐ来てくれ。俺は君に話さなければ死んでも死にきれないことがあ

るんだ」と。

 丁度一緒に帰郷していた弟の車で向かいました。

 

 そこで聞いた話。

先生は「当時、箝口令が敷かれていて言えなかった。君は合格していたのだ。 君が

落ちたと知って俺はそんなはずがない、これは高校側になにか間違いあったのだ。

教師たちも集まって検討した、同じ結論だった。高校側の状況を知りたいと思って、夜

遅かったが良く知っている高校の先生の自宅に行って事情を話した、調べてみるとの

ことで、その結果分かったのは数字の写し間違いだった。」

 各科目の合計900数十点の9を7と見間違えていたのだそうです。

先生の怒りはそこから始ります、当然合格者にするべきだ、と。 しかし高校側は既に

発表したあとで、訂正が出来ない、補欠者として入学させたい、と。

 「高校の校長が謝りに来る、という。俺が校長がきたら殴ると言ったのだ、どうしても我

慢ができない。」

 それで、先生は「水出を表に出すな」ということで、向うの校長とは会えなかったそうです。

「それからこの問題には箝口令が敷かれたのだよ。お前にもお前の家族にも、言えなかった」

 それでも、それから45年くらいたってからは、私の同級生の誰彼には 「実は小池は…」 と

話をしていたようです。 先の年賀のやり取りをしたいた友人もその一人でした。 

 

 「水出安雄」で検索してみたら、

http://ydoffice.asablo.jp/blog/2014/08/17/7416071 などがありました。

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帰路途上。

2014-08-19 22:33:59 | 信州、なかでも上田。

上田駅から告別式会まで同級生の車、同乗者二人ももちろん同級生。

車中、日本一の長寿県の話から車の運転の話へ、三人とも77歳で

運転は日常のこと。90歳で運転している知人もいるとか。

 

タブレッ入力で調子がよくありません。

以下明日に。

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三度目の8月18日。

2014-08-18 11:59:49 | どこまで続くかこのブログ
 このタイトル、なにか意味があるわけではありません。日中は暑過ぎて
ぼんやり過ごし、3時から俄か庭師の四日目にでかけて、今夜はお疲れ
モードで、手抜き「つぶやき」です。
 去年と一昨年の8月18日の「つぶやき」をそのまま載せておこうという
わけです。
 それでも、去年は「あまちゃん」だったのか、という感慨も浮かびます。
 そして、一昨年の「老女」の一人に昨日お会いしていたので、俄か庭師
も二年前の続きであり、二年の間隔をおいて、自分の周辺になにか動き
が出てきた兆しかとも感じています。
 
2013-08-18 | あまちゃん
  NHK朝ドラで去年は 「あまちゃん」 はなかった、何をやっていたのだろう?
 
「純と愛」 はその後だし、まだ早朝出掛ける仕事をやっていたし、朝ドラを見る
 
こと自体あまり無かったのかも知れません。

 さて、来年の今頃 「あまちゃん」 がどう語られているのか、忘れられているの

か、多分ドラマとしての存在感を決定していくのは 「3・11」 を挟んで最終回へ

の展開によりますが、「kaeruのつぶやき」 の 「人気記事」 10位中下位4つが

「あまちゃん」 関係、みなさんのなかでも 「あまちゃん」 への関心が高まってき

たということでしょう。 (それにしても上位の3,4,5を選挙関係とはgooですね)

このブログの人気記事

 
 
    • 学ぶべし、老女パワー

      2012-08-18 | どこまで続くかこのブログ

      77歳という年齢だけならAさんを老女と呼んでもおかしくないでしょうが、

      来週ミャンマーに一人旅で出かける、それも片言の英語より身振り手振

      りで何処へでも行ってきた実績がある、というご婦人をそう呼ぶのは気

      が引けます。 その調子でベトナムを歩いてきたのは数年前と聞いてい

      ました。 ミャンマーに足を運ぶのは三回目だそうで、前回北京五輪の時

      中国から入ろうとしたら国境で、阻止されたそうです。今回は、民主化の

      影響もあり一回目よりかなり広くまわれると期待しています。

       

      97歳のBさん、郷土史家として現役の日々を送られておられる。「なんで

      もかんでも忘れてしまうから、なんでもかんでも書いておく」 と白紙を自分

      で綴じたノートにびっしり万年筆で書き連ねてありました。 夫を戦死させ

      た戦争への怒りが、その後のこの人の姿勢となっています。 地元の 「憲

      法9条の会」 の活動家でもあります。 人間がぎりぎりのところまで自分の

      信念に忠実に生き抜いていく姿には、 「敬すべし、 学ぶべし」の思いを深

      くします。

       

      このお二人と会議の準備の打合せをしてきたばかりで、これからもこれ

      らの方と何らかの活動を共にする機会をつくるべきだとの思いを強くして

      きたところです。 老いていくなかに、さらに強まる精神のあり方を少しで

      も自分のものにできればと思いつつ。

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続 信州の声。

2014-08-17 20:37:55 | 信州、なかでも上田。

 昨日、上田の中学校の同級生からのメール、「きょう水出先生が亡くなった」。

 干支で私たちのひと回り上ですから、89歳です。 一昨年の賀状に「もう賀状は

だせない、来年から失礼する」とあり、昨年からありません。

 この先生について、

猪瀬氏と「言い訳」と先生のこと。 (2014-01-06) で触れました。 

 この「先生」が水出先生です。明後日の告別式で最後の別れとなります。


 さて、昨日の中川村曾我村長の 「黙ってはいられない」 の内容です。

 冒頭 ≪私は会社をやめて、田舎暮らしをしたいと思って、中川村に来

ました≫ と述べています。経歴紹介 “1955年生まれ。京都大学卒業後、

広告代理店勤務を経て、2005年から現職(3期目)”です。

 村長としての発言、≪安倍首相は、(略)地方切り捨てをはばかりません。

「美しい国」と言いますが、実際には美しさは村に宿っていて、それこそが

大事なのです。美しい村を破壊するなら、そんなものは価値のない国です。≫

≪安倍政権は集団自衛権行使を容認する閣議決定をしましたが、行使を容

認する限り、私は積極的に自衛隊員募集をすることができない。行使すれば

村の若者がアメリカの戦争の下働きをさせられ、命の危険にさらされることに

なります。もし亡くなることが起きてしまったら、“募集に協力した自分のせい

だ” と思わざるをえません。

≪長野県南部は、国策に協力して満蒙開拓団に多くの人を送りだしました。

首長たちを含めて当時の人たちは、みな空気を読んで与えられた役割を

まじめに演じあい、互いにがんじがらめになっていったのでしょう。またそう

なってしまわないよう、おかしなことにはおかしいと言わねば、と思っていま

す。≫ 

≪さまざまな国民の運動の高まりには、真の意味での国民主権の国を生み

だそうとする力を感じます。一方で、集団自衛権が行使されれば、国民がも

のも言えない雰囲気が一気につくり出されてしまうかもしれません。

 日本はそういう岐路に立っています。だから今こそ、みんなが声をあげるの

が大事なのではないでしょうか。≫


 満蒙開拓団には1932年に第1次移民39人が県下より参加しています。

1939年には旧大日向村が吉林省に220戸入植で全国初の分村。1942

年には第11次移民で、義勇軍980人は全国一位でした。


 長野県からの満蒙移民に関してこんなブログがありました。

http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/110533aee0f939432a04de5d313c74b8

 

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信州の声。

2014-08-16 21:18:25 | 信州、なかでも上田。

この写真は昨日の「しんぶん赤旗」の一面のものです。

長野県中川村は、県の南部に位置し人口約5千の村です。 内容に関連して「つぶや

き」 たいこともありますが、早朝の 「散歩」 と午前中神社の祭り準備、午後はお寺で

の盆行事、夕方孫たちと共に送り火。 一日神様と仏様に仕えて生身が疲れました

ので、明日にします。

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信州賛歌 。

2014-08-15 18:50:44 | 信州、なかでも上田。

 雑誌 「サライ」 の9月号の表紙に 「特集 日本一の長寿国 健康の秘訣

は信州にあり」 という文字が目に入りました。

頁をめくると、これです!

      

長生きの秘訣は?

都道府県別 平均寿命ランキングで男女とも一位

都道府県別幸福度ランキングでも一位!

下の写真の表は、長野県が平成24年発表の「日本で一番いい県 ランキング」

で総合1位になったものです。

 

 記事全体の紹介は、「サライ」の愛読者であり「信州の主」のワイコマさんに

お任せしたいと思います、

 ワイコマさん!勝手言ってすみません、

 後でも結構ですからお願いします。

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俄か庭師 Ⅱ 。

2014-08-14 22:05:38 | 葉山そして人

 俄か庭師のこと 2012-07-30 

 約2年前、ブログをはじめた頃です。当時写真を取り入れることなど出来もせず、

ただ短文を「つぶやき」、書き連ねていた頃のことです。


 この人の庭の手入れを頼まれ今朝伺って来ました、と言っても今朝で三日目です。

上田へ行く前に二回、朝の涼しいうちの3時間ほど、枝が伸びた梅の木や芝生の刈り

込みなどをしてきました。

 この写真は、庭の芝生の上の鉄製の椅子をどかしたところです。

 

 全体で100坪くらい、芝生が50位でしょうか。写真の示すように、椅子の

下の芝生は伸び放題です、廻りと比べてみるとよく分かります。

 ところでこの家に住んでいるのは、80余歳の奥さんと90余歳のご主人

です。二年前にはご主人も二階から降りて来て話しあったのでしたが、一

年前位から二階では日常の暮らしが困難になっていました。

 今回うかがった時には一階の庭の見える部屋のベットで寝たきりになっ

ていました。ですから、この一年庭に出て来られるのはほとんど奥さん一

人なのです。

 

 芝生も椅子の下以外はかなり歩き踏まれているのです。奥さんの話では

ご主人から離れることも難しいし、自分の身体もきついので外出がかなり

少なくなったそうです。

 するとこの庭の踏まれ具合からみて、かなりの頻度で庭歩きをされている

と言えます。洗濯物の干しから入れはもちろん、たまにはご主人の手をとっ

て出て来られることもあるでしょう。そういう日々が奥さんの健康を支えてい

るに違いありません。もちろん歩数計など付けてはいませんが、かなりの運

動量になっているでしょう。

 

 そういえば、庭の手入れを頼まれたのは手入れをする前夜奥さんと話す

機会があり色々の苦労を聞き、なにか手伝う事がありますかに、何より庭

のことが気になっているのだ、とのことでした。

 

 この庭が好きでこの家を離れなかったご主人、どちらかといえばマンション

に引っ越すことを希望していた奥さん。でもこの庭がご主人の奥さんへの一

番の贈りものだったのかなと思います

 

     ばさばさと夏の草切る雲の下    kaeru

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こころの一部を残して……。

2014-08-13 22:28:39 | 信州、なかでも上田。

 こころの全部をふる里に残してきてはこちらにいるkaeruは放心状態になって

いるわけで、生身の人間である以上いまのところそういう状態になるわけにも

いかず、一部を残して戻ってきました。 戻って来て生身ではない亡父母を迎火

の煙で迎えました。

 

 こころを残した場所のひとつにこんな所があります。 車中で土産物を買うため

どこか近くの「道の駅」によろうと話し合っていた時、目についたのが此処です。

「道の駅」ならぬ「まちの駅」です。たぶん上田は過ぎて佐久市内だったでしょう。

店内におかれた生産品にこんな「案内」がはってあります。

「よかった」と思い買ったのが、これです。

昔、習字に使った文鎮です。

 

 坐りのいい石の周りを幾重にも紙を張り、手応えのある手に優しい物です。

 このところ 「てんがらもん」での大迫さん、花田春兆さんの光明学校の話など

があったので、「よかったら買ってください」の文字が目に入りました。

 北佐久農業高校の生徒の生産品もそうですが、こういう物を買う時、お金と

いうものは人と人とを結びつける役割が本来の姿であって、人を支配する力

としての金力は、お金としては邪道であろうという気が強くします。

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続 故郷は……。

2014-08-12 22:57:44 | 信州、なかでも上田。

本日の「つぶやき」は、昨日の「つぶやき」へのチトセさんのコメント

へのkaeruの返信を以ってそれとします。

お休みなさい。

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