kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「子宮の日」と「地球の日」

2017-04-20 23:27:18 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」264回、

http://www.ustream.tv/recorded/102309153

ゲストは、児島淳子さん 鹿児島県民総合保健センター健康増進部長

この人の話を聞いたおかげで毎年4月9日は「子宮頸がんを予防する日 子宮の日」として啓蒙活動を強める大切な日だと理解しました。「子宮の日」で検索してみましたら、

http://www.studio-yoggy.com/blog/pr/74370/

にこんなことが書かれています。

「日本では毎年約1万人の女性が新たに子宮頸がんにかかり、1日に約10人の方が亡くなっているそうです。子宮頸がんの特徴としては、20歳代後半から30歳代後半の方が発症しやすく、早期に発見し治療行えば、治る確率は高いそうです。しかし、驚くのは子宮頸がんの検診受診率。アメリカは85.9%の一方、日本は24.5%とかなり低いのが現状のよう」

児島さんの話にも厚労省の受診率目標は70%だとありました、児島さんたちの努力もこれからだという思いがします。そのためにも「子宮の日」キャンペーンが意義あることでしょう。因みに76歳の妻に「4月9日は子宮の日って知っていた?」と聞いたのですが、知りませんでした。

私が6月で80歳になることを思えば、80年前の今頃はまさに母親の子宮に守られていたわけで「子宮の日」は自分の命を見つめる日になる、と思うのです。すると言葉が似てることもあり「子宮と地球」が自ずと繋がり、人間をはじめすべての生命を守る母胎としての地球の存在が身近になります。

4月22日が「アースデイ・地球の日」です、これについては、

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アースデイ  で。

二つの大切な「日」を自分の命を母胎と地球に引きつけて、思いを深めることの意義を知った2時間でした。


『資本論』目から鱗 2 「賃金か賃銀か…」回答

2017-04-20 20:04:24 | kaeruの『資本論』

友寄さんの事例の出しかたは、

19・「賃金」を、なぜ「賃銀」と表記するか、その理由

というのです、その説明文【 】内。

【 「賃金か、賃銀か」ーーこれは、よく出る質問です。

    ドイツ語の「賃金」(Lohn)を最初に翻訳したころ、明治の初期は、一応、形式的には金本位制を採用していましたが、実質的には銀が通貨として流通していました。そのため、「銀行」とか「賃銀」とかの漢字が使われたのだと思われます。

  ただ、そういう日本の特殊な歴史的事情だけでなく、当時のヨーロッパでも、マルクスは、「賃労働と資本」や「賃銀、価格および利潤」で、そのことを強調しています。その意味では「賃銀」と表記する理由は、単なる日本での翻訳上の問題だけともいえません。

  それにしても、賃金を〝ちんぎん〟と読ませるなら、銀行の「金行」と書いて〝ぎんこう〟と読ませるようにすればよさそうなものですが、銀行はいまでも銀行と書いてだれもなんともいいません。なんとも首尾一貫してない話です。】


『資本論』目から鱗 1「賃金か賃銀か」

2017-04-19 23:42:59 | kaeruの『資本論』

雑誌「経済」のバックナンバーを拾い読みしていましたら、2008年5月号の大特集「マルクスの経済学のすすめ」に「目から鱗が落ちる」20の事例(友寄英隆氏・当時「しんぶん赤旗」論説委員、寄稿)がありました。

以下はその19事例目です。

「賃金」を、なぜ「賃銀」と表記するか、その理由

もう一つ、その第2例目は、

「自分の頭で考えろ」とマルクスが言っていること

最初に、第2例目です。

【『資本論』の学習会の講師をやりながら、絶えず強調してきたことは、解説書などを読むまえに、まず自分の頭で徹底的に考えるということでした。

何回目かのとき、それまであまり気がついていなかったマルクスの次の文章が目に飛び込んできて、改めて、我が意を得たりと思ったものです。

「それゆえ、価値形態にかんする部分を別にすれば、本書を難解だと言って非難することはできないであろう。もちろん私は、新たなものを学ぼうとし、したがってまた自分自身で考えようとする読者を想定している

この文章の「価値形態は難解だ」というところはだれでも知っていますが、その直後に、マルクスがこんなに大事なことを言っているとは、案外見逃している人が多いのです。】*アンダーラインは友寄氏

さて、第19例の「賃金と賃銀」については、「まず、自分の頭で考える」でいきましょう、友寄氏の回答は明日に。


『資本論』と私の前歯。

2017-04-18 22:36:17 | kaeruの『資本論』

   こんな訳の分からないタイトルなのは、今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」が関係してます。(【 】内)

【『資本論』は、冒頭の章で「前歯を折る」と戦前から言われてきました。マルクスも序文で「すべて初めはむずかしい」ということわざを引き、第1章(商品)のむずかしさに読者の理解を求めています

以前、職場で『資本論』の学習にとりくんだことがあります。「価値形態論」に入ると、むずかしいという声が一斉にあがりました。“前歯が折れそう”になりました

とくに貨幣が生まれる秘密を含んだとされる「簡単な価値形態」が難解でした。初版で調べると、「簡単だから分析がいささか困難」とあります。一瞬、「簡単だから?」と首をかしげました

容易なということではなく、単純なという意味です。商品の中のいろんな規定が未発展で、隠され、分析が困難というわけです。マルクスは「抽象力」を働かそうといいます。特別な知識がなくても、ていねいに読めば分かるようになっています。読むたびに、分かるところが増えた実感も得られます

マルクスも、叙述の改善にかなり努力しました。エンゲルスの忠告を受け入れ書き直した経過を、不破哲三さんが雑誌『経済』の『資本論』第1巻150年特集の連載で紹介しています

この特集で経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)さんは「もっとも大きな知的衝撃を受けたのは、価値形態論」と書いています。「本というものはこれだけのものを遺(のこ)すことができるのだ、という希望を与えてくれた」とも。来年はマルクス生誕200年。記念すべき年に、自分の歯でかんで面白さを味わいたい。】

日本での『資本論』は1920年(24年完結)の高畠素之訳が初の完訳ですので「戦前から」とはその頃からでしょうか。とはいっても丈夫な歯は折れなかったのでしょう。作家宮本百合子は1939年の春に『資本論』を読み出します。これは不破哲三さんの書かれた「宮本百合子と古典学習」によりますが、『空想から科学へ』『反デューリング論』『賃金、価格および利潤』『経済学批判』などを読み終えて『資本論』にかかるのです。

そして、1939年3月30日に獄中の夫・宮本顕治に出した手紙に、

「このごろ、やっと大部な著作(『資本論』のこと)の読書にとりかかって、感歎おくあたわず、です。涙ぐむほどの羨望です。純粋の羨望であって、腹の中では顫えるようです。小説においても、文芸評論においても、こういう態度に些か近づくことを得れば、本当に死んでもいい、そう思う」

と書きました。不破さんはこれについて、「マルクスの方法の核心をしっかりつかんだものこそがいえる言葉」と評しています。

kaeruの歯は入れ歯ですから折れる心配はありませんが、自分の歯で噛むのとは違う心許なさを感じつつの食事です。でも食事が体づくりの基本ですから心許なさを感じつつも食べます。ならば読書学習は精神をつくる素でしょうから、たとえ残っている前歯がすり減っても、口に入れ飲み込み脳味噌という胃袋へおさめていけば、幾らかでも精神の活力にはなるでしょう。


初代の手紙ー「私にはある非常が…サヨウナラ」

2017-04-17 22:08:21 | 葉山そして人

偶々飲む機会があって、隣に座っての初顔合わせでした。ですから桜井さんの名前も耳にした時、葉山町でそう多く聞く苗字ではないし、宜しくで済みそうになりました。すると向かいにいた「葉山新聞」の山本氏が「ほら、川端康成の初恋の人の息子さん」と言葉を添えてくれたのです。

そういえば以前この新聞社が「伊豆の踊り子」に関わった企画で文芸講演会と称した集いを計画したことを思い出しました。その講演会には行ってませんし康成の生涯についても疎かったので「伊豆の踊り子」の元は康成の初恋が悲恋で終わったのか、程度の感じだったのです。

でも、その初恋の人の息子さん本人だとなると俄然関心が強くなるのは、ある種の野次馬感覚なのかもしれません。

さて、昨日の続きです。初代からの「驚きべき」手紙とは、

「おなつかしき康成様

  お手紙有りがとう御座いました。此の頃手紙を出しませんで失礼致しました。あなた様はおかわりなくお暮らしのことと存じます。私はあなた様におことわり致したいことが有るのです。私はあなた様とかたくおやくそくを致しましたが、私にはある非常が有るのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ないのです。私今、此の様のことを申し上げれば、ふしぎに思いになるでせう。あなた様は、其の非常を話してくれとおおせでせう。私は其の非常を話すくらいなら死んだ方がどんなに幸福でせう。どうか私のやうなものは此の世にいないと思って下さいませ。あなた様が私に今度お手紙を下さいます其の時は、私はこの岐阜には居りません。どこかの国で暮らして居ると思って下さいませ。私はあなた様の◯!を一生わすれません。私はもう失礼をいたしませう。私は今日が最後の手紙です。此の西方寺に下さいましても私は居りません。さらば。(略) お別れ致します。

康成様     サヨウナラ」

「葉山新聞」紙面では手紙の紹介のあと、この「非常」とは何か。破談から2年後の川端の日記に「千代(初代)は西方寺にて僧に犯されたり。自棄になりて、家出す。……」とあると説明があます。

この「非常」な事実を、初代さん自身が娘に話したそうです。その娘は隣席の桜井靖郎さんの父違いの姉に当る人でした。桜井さんは姉さんからきいていたのでした。

「伊豆の踊り子」という名作の陰の秘話であり悲話。それで初恋の人・伊藤初代さんのことをウィキペディアでみてみました。かなり詳しく書かれています、一読してみて下さい。                                           

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/伊藤初代            


川端康成の初恋の人

2017-04-16 23:12:07 | 葉山そして人

昨日の話ー川端康成の初恋の人の子ーの続きです。

昨日紹介しました「葉山新聞」の昨年6月10日号に川端康成と初恋の人・伊藤初代の手紙が紹介されています。

先ず初代から康成に出された手紙です。(若干書き換えています)

「あなた様が私のやうな者を愛して下さいますのは、私にとつてどんなに幸福でせう。私は泣きます。私も今日まで沢山の男の方が手紙を下さいました。それには愛とか恋とか書いてありました。私はその返事をどう書いてやればいゝのか、私には分かりませんでした。私はみんなあなた様の心におまかせ致します。私のやうな者でもいつまでも愛して下さいませ。私は今日までに手紙に愛すると云ふことを書きましたのは、今日初めて書きました。その愛といふことが初めてわかりました。」

伊藤初代は川端康成の初恋の人というより婚約者と言うべきでしょう。「葉山新聞」の紙面には「婚約した時の写真」として康成初代と共に仲人役の三明永無という康成の友人が写っています。婚約の日は大正10年10月8日ということです、康成23歳初代16歳とあります。

上の手紙は婚約直後ですが、この後それまでは頻繁に来ていた初代からの便りが来なくなります。康成の未投函の手紙です、

「僕が十月の二十七日に出した手紙見てくれましたか。君から返事がないので毎日毎日心配で心配でじっとして居られない。手紙が君の手に渡らなかった、お寺に知れて叱られているのか、返事するに困ることあるのか、もしかしたら病気じゃないか、本当に病気じゃないかと思うと夜も眠れない。とにかく早く東京に来るようにして下さい。恋しくって恋しくって、早く会わないと僕は何も手につかない。二十七日に出した手紙にはいろいろ詳しく書いたが、あんなことは君の都合でどうでもよろしい。僕は君の云う通りにして上げる。早く何とか思ふ通り返事して下さい。一人で旅することは僕が心配だし心細いから止めて下さい。必ず迎えに行く。そして何とかして汽車に乗れたらそれでよろしい。東京に来てからのことで心配なことあるなら、それも君の思う通りにしてあげる。厭なことなぞ決してない。父様の方は安心してゐなさい。台湾の方も僕が責任を持って好くしてあげる。国にも帰してあげる。国に帰るにしても、東京にしばらくいる間不自由ないように色々考えていたが、急なことだし、思ひ通りにならない。そんなことは辛抱して下さいね。誰が何と云っても僕を信じていらっしゃい。君の思ふ事何でも承知してあげる。早く手紙下さい。毎日どんなに暮らしているかと、手紙が来ないと泣き出すほど気にかかる。僕は十日前後に必ず行く。知れてもいいから汽車に乗れたら大丈夫だ。君が悪く人から云われる所は僕が皆代わりに引き受けて上げる。お父様の方は安心していっらしゃい。病気じゃないか。病気なら病気とはがきだけでも下さい。君の思う通りに書いて下さい。」

この手紙は先に書きましたように未投函ですから、初代は見ていません。ですからやがて届いた初代からの手紙は、これに対する返事ではありますんが、康成にとって驚きべきものでした。

それはこの手紙のなかに書かれている「お寺」の深く関わることですので、当時の初代の置かれていた環境について触れる必要があり、少し長くなりますので明日に回します。      


川端康成の初恋の人の子。

2017-04-15 22:08:57 | 葉山そして人

先ほど会って、酒を過飲み交わしてきた人が川端康成の初恋の人を母親とした方でした。この人を招いて母親であった「川端の初恋の女性が死に床で語ったことは何か」を聞く集いが昨年の6月あったのでした。主催は地元の「葉山新聞社」、当時の

紙面に康成が彼女と婚約した時の写真が載ってます。ここにもアップしたいのですがタブレットが情報満杯容量不足、アップアップのためご覧かけられないのが残念です。

彼女は婚約後康成に別れの手紙を出します、「私のやうなものはこの世にいないと思って下さいませ」。この離別の謎を語ったのが葉山在住の桜井さん、康成初恋の女性初代の三男でした

 

「桜井さん、お歳は?」

「今年80です」、同じ年齢です。

康成の作品は「伊豆の踊り子」プラスいちに位しか読んでいませんでしたが、桜井さんとの出会で一気に身近な作家になったのは不思議です。  


『資本論』第1巻刊行150年ということ。

2017-04-14 22:45:23 | kaeruの『資本論』

11日と12日につぶやきました雑誌「経済」の5月号買って来ました。何時も買う逗子駅前の本屋が去年暮れに閉店、ならば置いてあるか?と思いつつ京急新逗子駅のあるビル内書店に向かいました、棚にさしてあるかなと見ましたが無い、やはりダメかと下に目を下ろすとナント平台に!

これは嬉しい事です、積み上げるというほどではありませんが5、6冊はあったでしょう、その一冊がこれです。

今年・2017年が『資本論』第1巻刊行150年です。下の頁は新日本出版社刊の『資本論』第1巻の序言の終わりの頁で「1867年7月25日」、マルクスが筆を置いた日付です。


下の頁は、5月号の第1頁で『資本論』第1巻が発行された1867年9月14日の20日ほど前の8月24日に死去した電磁気学の創始者マイケル・ファラデーについて書かれてます。そして「1680年代を起点として、今日……発展してきたICT(情報通信技術)革命の盛況がある。『資本論』150年はまた、電磁気学150でもあると言ってよいだろう」と結ばれてます。

こうしてブログという手段で、80歳の手習的に『資本論』に目を向け、何かと発信できるのも150年間の科学の発展があるからなのです。やはり19・20世紀の激動期を経て科学的社会主義の理論も鍛えられ、資本主義社会の変革をリードしています。

我が人生の最期の世紀である21世紀が、この理論の科学性を実証するでしょう、自らの心身の活動を通じてもその実証活動に加わりたいと思います。


川柳の力。

2017-04-13 23:03:46 | 「てんがらもんラジオ」

てんがらもんラジオ263回、石神紅雀さんの川柳教室で紹介された川柳は、http://blog.goo.ne.jp/chidori-t/e/4be9130415ff4caa064eabd5056db44f で。

先日、作家田辺聖子氏の『道頓堀の雨に別れて以来なり』について「つぶやき」ましたが、この本は上下で1330頁余とても読み切れませんでしたが、川柳史の表面だけでも伺えて面白いものでした。

そこで、

 です。

この面白さは、鬼平に出てくる「これは、たまらぬ」の嘆声に類するのです。どんな風な川柳がそういうものなのか、目次代わりの川柳を、

この後もありますが、できましたら是非手にとって広げてみて下さい。

以前、川柳は「人生万華鏡」とつぶやきましたが、この文芸はそんな生やさしいものではないと思えてきます。世の中綺麗事では済まない、とか物知り顔に言います、そうだ確かになどと相槌をうつ暇な人もいます。

綺麗事ではない世の中を綺麗にカバーする文芸と汚れを取ろうとする文芸があるならば、川柳の底力を示すのは後者です。綺麗にしようとすると表現が力を持ちます、汚れが酷ければより力を込めます。

さて来月の「川柳教室」の題は「さわやか」、晩春というより初夏です。

    爽やかを探せば目線空に向く   kaeru

    国会前青年の声爽やかに         kaeru   


昨日に続きます。

2017-04-12 23:51:15 | kaeruの『資本論』

これは不破哲三さんの『不破哲三 時代の証言』(中央公論社刊)の終わりの方の頁です。この本は読売新聞から「時代の証言者」の一人になってくれとの申し込みがあり、2010年11月1日から12月11日まで掲載されたものを元に、その後本になったものです。

読売新聞から申し込みがあったとき、「意外な新聞社からの意外な話に正直驚きました」と「まえがき」に書かれています。

今日の「つぶやき」でこれを載せたのは、頁の中ほどに「もう一つは、『資本論』の形成過程の研究です。」という部分で、ここに『マルクスと『資本論』ーー再生産論と恐慌』に触れています、カッコ内に2003年と見えます、

その後、雑誌「経済」連載後『『資本論』はどのようにして形成されたか』を2010年1月に出版しています。この連載出版で不破さんは「『資本論』の形成史への今回の取り組みは」3回目になると書かれてます。

1回目が『『資本論』とエンゲルス』(雑誌「経済」での最終回・15回目が1996年12月号)、2回目の『マルクスと『資本論』ーー再生産論と恐慌』。すると今回の連載で4回目になります、「理論の研究には切りがありません」の一行が深く思われます。

当掲載を深い関心をもって手にしたいと思います。