私がホイッスラーを知ったのは、先にも書いたように、2005年のテート・ブリテン「ターナー・ホイッスラー・モネ(Turner・Whistler・Monet)」展を観てのことだった。そこでは「風景画家」としてのホイッスラーに焦点が絞られていた。その解説によれば、ロンドンに渡ったホイッスラーは(クールベに影響を受けたからだろうか?)産業革命によるロンドンのスモッグや汚染されたテムズ川河畔の風景をリアルに描くようになる。その汚染された大気を描くにあたり、ホイッスラーはターナーの光と大気から影響を受ける。しかし、その後「唯美主義」的に、そこにある「現実」を暗いモノトーンの色調に沈めることにより覆い隠してしまうようになる。
さて、第2章の風景画作品だが…やはりテムズ川湖畔を中心とした近代化を急ぐロンドンの姿が描かれている。しかし、その近代化(工業化)のもたらした現実にあまり言及されていないのも確かだ。あ、別にいいんですよ。今回は「唯美主義」にスポットを当てた展覧会でしょうから。
《オールド・ウェストミンスター・ブリッジの最後》はテムズ川に架かる古い橋の建て替え風景と働く労働者を俯瞰で描く。澱んだ川面に艀が行き交い、対岸に立ち並ぶ工場煙突からの煙が空を覆っていく。画家が「現実」を描いていたころの作品だろう。
《オールド・ウェストミンスター・ブリッジの最後》(1862)ボストン美術館
今回の展覧会ではホイッスラーが陸軍士官学校で地図製作していたことや、ゆえに画業はエッチングから始まったことなど、初めて知ることも多かった。ということで、エッチングの興味深い作品が色々あった。初期のエッチング集「テムズセット」では《ロザーハイツ》が構図的に面白く、バルコニーの背後に開けるテムズ川と船着き場。港の匂いが感じられるような風景だ。《テムズ河畔の倉庫》は重層的な奥行きの構成と、それにともなう空からと奥からの光(テムズ川の川面の光)が印象的である。基本的に版画家は光に対して繊細な感性を持っていないと上手く構成できないと思う。レンブラントなど恐ろしいまでに研ぎ澄まされた感覚と技術を持っていたし...。
《ロザーハイズ》(1860)大英博物館
《テムズ河畔の倉庫》(1859)ヴィクトリア&アルバート博物館
ホイッスラーの曲がり角的作品《肌色と緑色の黄昏:バルパライソ》(油彩)は、現実の行き詰まり全てから逃げ出した画家の、憑き物が落ちたかような清々しさと透明感に溢れた作品だ。黄昏の色の光の諧調に凪ぎの海が淡くきらめき、しっくりと調和した静けさに満ちている。多分画家がふっきれたということなのだろう。
《肌色と緑色の黄昏:バルパライソ》(1866)テート美術館
後期のエッチング集「セカンド・ヴェニスセット」はラスキンとの裁判で破産した後の作品だが、エッチングの線がヴェニスの醸し出す大気と光そのものを描き出そうとしているかのように魅力的だ。運河の水面に揺蕩う光が古い建物に幻想的に映える。《ノクターン:溶鉱炉》は特に建物の奥からの強烈な熱光の表現がみごとだ。一瞬、レンブラントのエッチングを想起した。
《ノクターン:溶鉱炉》(1879/80)大英博物館
やはり私的には、ホイッスラーは風景画家として魅力的なのだと思う。ということで、また続きます(^^;
さて、第2章の風景画作品だが…やはりテムズ川湖畔を中心とした近代化を急ぐロンドンの姿が描かれている。しかし、その近代化(工業化)のもたらした現実にあまり言及されていないのも確かだ。あ、別にいいんですよ。今回は「唯美主義」にスポットを当てた展覧会でしょうから。
《オールド・ウェストミンスター・ブリッジの最後》はテムズ川に架かる古い橋の建て替え風景と働く労働者を俯瞰で描く。澱んだ川面に艀が行き交い、対岸に立ち並ぶ工場煙突からの煙が空を覆っていく。画家が「現実」を描いていたころの作品だろう。
《オールド・ウェストミンスター・ブリッジの最後》(1862)ボストン美術館
今回の展覧会ではホイッスラーが陸軍士官学校で地図製作していたことや、ゆえに画業はエッチングから始まったことなど、初めて知ることも多かった。ということで、エッチングの興味深い作品が色々あった。初期のエッチング集「テムズセット」では《ロザーハイツ》が構図的に面白く、バルコニーの背後に開けるテムズ川と船着き場。港の匂いが感じられるような風景だ。《テムズ河畔の倉庫》は重層的な奥行きの構成と、それにともなう空からと奥からの光(テムズ川の川面の光)が印象的である。基本的に版画家は光に対して繊細な感性を持っていないと上手く構成できないと思う。レンブラントなど恐ろしいまでに研ぎ澄まされた感覚と技術を持っていたし...。
《ロザーハイズ》(1860)大英博物館
《テムズ河畔の倉庫》(1859)ヴィクトリア&アルバート博物館
ホイッスラーの曲がり角的作品《肌色と緑色の黄昏:バルパライソ》(油彩)は、現実の行き詰まり全てから逃げ出した画家の、憑き物が落ちたかような清々しさと透明感に溢れた作品だ。黄昏の色の光の諧調に凪ぎの海が淡くきらめき、しっくりと調和した静けさに満ちている。多分画家がふっきれたということなのだろう。
《肌色と緑色の黄昏:バルパライソ》(1866)テート美術館
後期のエッチング集「セカンド・ヴェニスセット」はラスキンとの裁判で破産した後の作品だが、エッチングの線がヴェニスの醸し出す大気と光そのものを描き出そうとしているかのように魅力的だ。運河の水面に揺蕩う光が古い建物に幻想的に映える。《ノクターン:溶鉱炉》は特に建物の奥からの強烈な熱光の表現がみごとだ。一瞬、レンブラントのエッチングを想起した。
《ノクターン:溶鉱炉》(1879/80)大英博物館
やはり私的には、ホイッスラーは風景画家として魅力的なのだと思う。ということで、また続きます(^^;