花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

初めての台北(7)「旧台湾総督府」

2019-12-18 23:58:23 | 海外旅行

三日目は朝から雨が降っていた。「(旧)台湾総督府=(現)総統府」見学に行く計画だったので、空模様が恨めしかった

朝食をOご夫妻と一緒した後、総督府へタクシー移動のためロビー集合ということになり、少し時間の余裕があったので、ロビー脇のベーカリーに注文予約に立ち寄った。ベーカリーを出ると、O夫妻がスーツ姿の男性と話してるのが見え、歩み寄った私にYさんが小声で「総支配人なの」と教えてくれた。そのうえ、タクシーに乗る私たちを総支配人がお見送りしてくれたので、なんだかVIP気分になってしまった

タクシーの中で聞いた話では、O夫妻はロビーで話しかけられ、普通のホテルマンだと思っていたらなんと総支配人だった!とのこと。ちなみに、O夫妻はセレブオーラが出ている!と日頃思っていた私は、なるほど!だった。ホテルマンは人を見る目に長けているしね

さて、タクシーは総統府庁舎の正面横に止まった。雨の中、三人で傘を差しながら受付入口を探してぐるっと巡ることに...

雨降りだったため建物全体の写真が撮れず、代わりに、中に展示してあった模型を撮ったのが上記写真↑である。

ようやく見つけた入口は建物裏側の右端にあった。パスポートのチェックと荷物検査を受け、入場シールを頂いた。Yさんの話では、係りの方は男性の胸にはシールを貼り付け、女性には胸に触らないようにシールを渡していたそうで、Yさんはその配慮に感心していた。本当に台湾の人たちって思いやりがあると思う。

見学は、日本人数人が集まったグループを、日本語ガイドさんが引率して案内してくれた。このボランティアのガイドさんは80過ぎのおばぁちゃまで、多分幼少期に日本語教育を受けられたのではないかと思うが、とつとつとした日本語ながらも、とても楽しそうに案内してくれた。感謝!! 

「総統府が建設されたのは1919年のこと。当時台湾は日本の植民地で、台湾を統治する「台湾総督府」として建てられました。中央の主塔は当時台湾で最も高い建物とされ、台北市内のいたるところからその姿が見られたといいます。完成から今まで、外観も少しずつ変化しています。1945年には連合軍の空襲により半壊していますが、戦後修復されましたまた、台湾総督府は植民地統治の中心となったため、建物自体も国威を示すために随所に当時の最新技術や特殊な工法が導入され、独特な設計となっていて、それらの解説があります。」(「TAIPEI NAVI」サイトから引用)

https://www.taipeinavi.com/miru/14/

ガイドさんのお話で面白かったのは、日本時代に「喫煙室」が設けられていたこと! その頃に分煙が実施されていたなんて先進的!と思ったら、どうやら防火対策だったようだ。それと、中央塔の「エレベーター」! 当時、この庁舎には電気が引かれていなかったのに?!  実は、電気ではなく人力で、担当者が偉い人の動きに合わせて滑車を動かしていたらしい

建物は空から見ると日本の「日」の形になっているようで、確かに中庭が建物の棟で分かれている。風情のある中庭は、造園の形が台湾の国花である「梅」の形をしているとのこと。

見学コースには台湾の歴史を語るパネルや映像展示室などがあり、現在の民主化された台湾へ至る困難な道のりもディスプレイされていた。ガイドのおばぁちゃまが「ひまわり運動」の写真の前で、今の香港みたいに若い人たちが立ち上がって...と話していた。そして、本当に今は平和で民主的であり嬉しい、と...しみじみ。

現役庁舎である「総統府」の様子を映す映像には、現総統の蔡英文さんもカメオ出演されていたが、見学コースの終わりごろには蔡さんと一緒にカメラに写せるコーナーもあった(笑)。

ということで、台湾の歴史のなかで日本はどうであったのか...日本人として考えてしまう「旧台湾総督府」見学でもあった。