花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

東京国立博物館「本阿弥光悦の大宇宙」展 サクッと感想(1)

2024-02-04 21:08:16 | 展覧会

東京国立博物館「本阿弥光悦の大宇宙」展を観た感想を サクッと書きたい。いやぁ、私的に本当に面白かったのだ

公式サイト:https://koetsu2024.jp/

作品リスト:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2617

オープニングは上↑ポスターでもわかるように《舟橋蒔絵硯箱》だった。本阿弥光悦の斬新な意匠と造形に改めて時代を超越する美の力を感じる。アーテイストとしても凄いし、プロデューサーとしても素晴らしいし、展覧会では多才な本阿弥光悦(1558-1637年)の世界を堪能させてもらった。

 「光悦」印(木製)(年代不詳)

今回、展示の本阿弥家「家系図」を見ると京都の上層町衆が繋がっていて、俵屋宗達とが義兄弟だったり(?)、雁金屋や楽家とも縁戚関係だったり、法華宗を信仰する一族集団(職能集団)を形成していたのが面白い。本阿弥宗家についても、分家の光悦自身についても、初めて知ることが多く勉強になった。

それに、本阿弥家の家職が刀剣類を研いだり鑑定したりする仕事だとは漠然と知ってはいたのだが、「折紙」付きの意味を初めて知り、本阿弥家の鑑定書の威力が如何に大きかったのか、ちょっと驚くほどだった

下↓は「折紙」の裏に捺印した本阿弥宗家の「本」の印影と銅印である。

 

本阿弥本家「本」印影と銅印(安土桃山時代 16世紀)

やはり刀剣類を扱っているので、光悦もさすがに素晴らしい短刀(腰刀)を所持していたようだ。

(上)志津兼氏《 短刀 銘 兼氏(金象嵌 花形見)》(鎌倉~南北朝 14世紀)

(下)《刻鞘変り忍ぶ草 蒔絵合口腰刀》(江戸時代 17世紀)

腰刀は朱塗りに金の蒔絵の忍ぶ草が繊細に施されており、見た目には朱色と言うよりも金色に輝いていた。雅な趣とともに光悦の美意識が偲ばれる《忍ぶ草》でもあった。

図録に「「花形見」の意味」についての佐藤寛介氏の短い論考があった。謡曲の「花筐」は「日本書紀」の継体天皇に取材した狂女ものであり、テーマは想いの成就にあるという。佐藤氏は...

「短刀花形見が謡曲花筐に由来するものならば、それを所持していることで想いがいつか成就することを意味しているのではなだろうか。....傍系の息子が皇位を継承したように、分家の出身であっても本家を継ぐことができるという、心の内の秘めた想いが短刀花形見には込められているように感じられるのである。」(「図録」 P46)

確かに分家の光悦の多才さは本阿弥一門の中でも群を抜いていただろうし、そのような「想い」を持っていたとしてもおかしくないと思う。

しかしながら、腰刀の短刀においては、光悦の義兄弟でもある本阿弥宗家第九代光徳(1556~1619年)が所持していた短刀《銘 備州長船住長重 甲戌》の方が波紋の鮮烈さにおいて、凄い! と思った。本阿弥宗家の実力を見たような気がしたのだ。

長船長重《短刀 銘 備州長船住長重 甲戌》(南北朝 建武元年(1334年))

(次回に続く



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