コロナ禍3年目の2023年がもう終わろうとしているが、今年観た展覧会・常設展でまだ感想を書いていないものがあり、とりあえず駆け込みでサクッと感想を書いておきたいと思う。
O先生曰く、展覧会とはエフェメラルなものであり再現不可能である、と。確かに!であり、だからこそ、手を変え品を変えのカラヴァッジョ展を追いかけたりもするのだし。
国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ ー フリードリッヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」展は、久々に作品の並びの妙に心動かされたし、フォルクヴァング美術館と西美作品のコラボにより今まで気づかなかった新発見もあり、なかなかに展覧会らしい展覧会だったと思う。それに、写真撮影可だったのもポイントが高い。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2022nature.html
特に目を見張ったのは、モネ《舟遊び》とリヒター《雲》が並んだコーナーだった。
(左)クロード・モネ《舟遊び》(1887年)国立西洋美術館 (右)ゲルハルト・ヒヒター《雲》(1790年)フォルクヴァング美術館
モネの描く揺蕩う川面に散り映る雲と、リヒターの描く透ける陽光を孕む群雲が、コーナーの中で出合い頭、それぞれに呼応し、コーナーを超えて拡大する空と風景がどこまでも広がっていくかのように思えた。「自然と人のダイアローグ」というテーマを象徴しているような作品の並びであり、展示空間であった。褒めちゃう。
また、二つの美術館作品が並ぶことにより、私的に新たに気づいたことがある。ゴーガンのサインである。
ポール・ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》(1889年)国立西洋美術館
ポール・ゴーガン《扇を持つ娘》(1902年)フォルクヴァング美術館
西美《海辺に立つブルターニュの少女たち》は常設展示で何度も観ていたが、ゴーガンのサインの上に描かれている小さな花たちが、単なる道端に咲いている花ではなく、サインを彩っている花なのだと、ようやく気づくことができたのである。(花は少女たちのイメージに沿っている可能性もあり?)
ポール・ゴーガン《扇を持つ娘》一部拡大
なぜならば、《扇を持つ娘》のサインの下にも青い花が描かれていたのだから。
ポール・ゴーガン《扇を持つ娘》一部拡大
まさか傲慢なイメージのゴーガンがサインと花をセットにするような、ちょっとオトメチックな面をも持っていたのか?と驚いてしまったのだ。多分、今ごろ気づくなんて、と、ゴーガン好きには嗤われるのかもしれないが、元々古典絵画好きなので許してね。
ということで、やはり展覧会は作品の並びの妙がキモなのだとつくづく思ったし、その妙がエフェメラルなものだからこそ、実際に観なくちゃ何も言えないなぁと思うところでもあった。