さて、まさかのカラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》来日である。福岡だけの展示というのは狙ったものなのだろうか? まぁ、カラヴァッジョ好きは遠路遥々でも観に行くしね。ということで、《洗礼者聖ヨハネ》久々の再会を果たしたのだった。眼福
で、嬉しいことに、展覧会場は一部を除き写真撮影が可であり、《洗礼者聖ヨハネ》のクリアな写真も撮ることができた
カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1602-03年)カピトリーノ美術館
チリアコ・マッティのために描かれた作品にはカラヴァッジョの瑞々しい勢いを感じる。子羊(?)を抱く聖ヨハネは屈託のなさそうなポーズをとり、観者に向かって微笑んでいるように見える。
ミケランジェロのシスティーナ天井画《イニューディ》からのポーズ引用が指摘されている。ベルリンの《勝ち誇るアモル》もだが、ポーズ引用だけではなく両者がチェッコ・デル・カラヴァッジョがモデルとされている点でも共通しているのが興味深い。
ちなみに、2006年のデュッセルドルフ「CARAVAGGIO ―Auf den Spuren eines Genies 」展では、この《洗礼者聖ヨハネ》とベルリンの《勝ち誇るアモル》が向かい合うように展示されていた。
※ご参考:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/81aae4cc18103fa9b365a27d750b80ac
さて、この《洗礼者聖ヨハネ》には《笑うイサク》説がある。通常描かれる洗礼者聖ヨハネの持物の欠如とともに、抱き寄せているのが子羊ではなく角のある雄羊であることもその一因で、更に大元の根拠として、左下部に描かれているのが赤い炎でありアブラハムの燔祭(イサクの犠牲)の残り火であるとの説である。故に、寸でのところで命拾いをしたイサクが喜んで笑っていると...。
今回の会場照明はしっかり観察できる明るさがあったので、接近して写真も撮った。遠目には赤布がはみ出したのか?とも見えるのだが、じっくり見るとそうではなく、石か薪を描いた上から赤が塗られているのだ。それが「炎」だと言われれば確かにそう見えるのが不思議である。
美術ド素人の私的見解を言えば(「The Burlington Magazine」掲載論考を読んで以来だが)、案外《笑うイサク》説も妥当なように思えるのだ。カラヴァッジョの人を煙に巻くscherzoのような気がするしね。
で、下↓写真はカラヴァッジョによるレプリカ《洗礼者聖ヨハネ》(ドーリア・パンフィーリ美術館・所蔵)である。
カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1602-03年)ドーリア・パンフィーリ美術館
興味深いことに、ドーリア・パンフィーリ作品の左下部分には赤い炎が見えない。でもね、このレプリカ作品も本当に眼を喜ばせてくれる良い作品なのだよ。
ということで、続く...。
WikipediaでPalazzo degli Albertiを検索すると下記の文章が出てきます(翻訳機能による日本語訳)
「3 つの主要な作品(ベッリーニ、リッピ、カラヴァッジョ)は、現在ギャラリーを所有する銀行によって2010 年にヴィチェンツァに移送されましたが、当時はプラートに戻る運命ではなかったようです。プラート市の市民と当局は、2013年にこの決定に反対し、さらに美術品が移転されるという脅しに反対して行動し、監督当局からプラートでのコレクションとその場所に対する制限を取り付けた作品は2018年4月にコレクションの歴史的な本拠地に戻った。ギャラリーは予約制で一般公開されています。」
ヴィチェンツァ市民銀行プラート支店(アルベルティ宮殿を支店として使用)の副社長室に設けられた美術館で、同銀行破綻によって一時閉鎖されていたが、近年再開されたとのこと。花耀亭さんが行かれたのは2006年なので、プラートから離れる前であり、ラッキーでしたね。
なお、私が昔プラートに行ったのは1988か89年頃で、当然フィリッポ・リッピとフィリッピーノ・リッピを見るのに夢中であり、カラヴァッジョのことは眼中にありませんでした。アルベルティ絵画館のリッピ作聖母子は2016年の都美ボッティチェリ展に出品されたのでよく覚えていますが、出品作品リストを見ると「ヴィチェンツァ市民銀行」となっていて、プラートから離れていた時期に当たります。カラヴァッジョ作「荊冠のキリスト」は見たことがないので、将来またプラートに行くことがあったら、アルベルティ絵画館を予約する必要がありますね。(フィリッポ・リッピのフレスコ画は修復後の状態を見たいと思うし、また、同じくリッピ作のスピリト・サントの割礼を時間がなくて見損なったので、プラートには再度訪れたいと思っています。)
ついでながら、本題の洗礼者聖ヨハネのテーマについて。木村太郎著「カラヴァッジョを読む:二点の通称《洗礼者聖ヨハネ》の主題をめぐって」(2017年)は当然お読みになっていますよね。数年前にI先生の講義を聴講していた時、学生さんの一人がこの本について発表したことがあり、その時にカピトリーノの洗礼者聖ヨハネとボルゲーゼの洗礼者聖ヨハネの解釈を17世紀から19世紀までと20世紀以降現代までに分けて、バリオーネやベッローリなどの伝記作家、そしてデニス・マーン(1953年バーリントンマガジン)やロベルト・ロンギ、レットゲン、さらに宮下氏などの研究者がこの2作品の主題を何と解釈しているかの一覧表が配布されました。もしご興味があればお送りします。
むろさんさんがプラート再訪される折には、ぜひ、アルベルティ絵画館もお楽しみください♪
で、実は2014年秋にもプラートのパラッツォ・プレトリオで「傑作展」と称した同コレクション展を観ました。移転反対の成果だったのかもしれませんね。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/300dd292445ca6ff986849cd5fae939c
で、「研究者がこの2作品の主題を何と解釈しているかの一覧表」に興味津々です(^^ゞ。よろしければ送っていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたしますm(__)m
で、「静物画の技法で描いたヌード」とのご感想、なるほどです。カラヴァッジョは静物も人物も同じように描いているはずですから(^^)
ちなみに、若干異なるのですが、スルバランも聖人像が静物画(人形)のように感じてしまいます(汗)。カラヴァッジョもスルバランも静物画を得意とする画家だからかもしれませんね。