花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ボッティチェッリとフィオリーノ金貨。

2015-05-28 00:40:47 | 展覧会
仙台⇔東京を往復していた時、Bunkamuraザ・ミュージアム「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美」展を観た。一番興味深く見てしまったのは、実は「フィオリーノ金貨」であった。

ルネサンス関係の本を読んでいると、フィオリーノ金貨(フローリン金貨)が多々登場する。実際に目にした実物は意外に小ぶりで、日本の小判とは趣が違うなぁと、面白く眺めてしまった。金の含有量が多い金貨は、褪せずに美しい金色を保つものなのだね。


≪フィオリーノ金貨≫ 1252-1303年 金、直径2cm、グラッシーナ(フィレンツェ)、アルベルト・ブルスキ・コレクション、Grassina(Florence), Collezione Alberto Bruschi

当時のフィレンツェ商人社会において重視された取引契約書には、当時の画家への支払い金額も記され、現代の研究者たちによってかなり明らかになってきているようだ。ちょうどマイケル・バクサンドール『ルネサンス絵画の社会史』(平凡社)を読んでいたら、私の大好きなベルリン国立絵画館の《バルディ家祭壇画》に関する記述があった。


ボッティチェッリ《聖母子と二人の聖ヨハネ(バルディ家祭壇画)》(1485年)ベルリン国立絵画館

「・・・材料と技術という区分方が絵画の価値を算定する際の基礎だったということなのである。たとえばジョヴァンニ・ダーニョロ・デ・バルディがサント・スピリト聖堂の家族礼拝堂に設置する祭壇画の代金としてボッティチェッリに支払った資料がある。

1485年8月3日 水曜日
サント・スピリト聖堂の礼拝堂で78フロリン15ソルドの支払い。サンドロ・ボッティチェッリに、彼の算定した金貨75フロリンに対して支払った。算定の内訳は次の通りである。ウルトラマリン代2フロリン、金と板の調達に38フロリン、<画家の腕前に対し>【per suo pennello [彼の絵筆に対し]】35フロリン。」(p40)

ボッティチェッリはあのフィオリーノ金貨78枚を手にしたのだと思うと(皮袋になんか入れて渡されたのだろうか?)、なにやら画家が身近に感じられる。更に材料費抜きの技術料が35フロリンだということは、工房の助手たちへの支払いも込みだったのかどうか?なんていう心配までしてしまうのだから、お金って人を現実的にするものなのね(^^;;


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Buonasera( ☆∀☆)3 (momo)
2015-06-07 23:40:37
行ってきたんですけどね…
渋谷のあの交差点で、お気に入りのストラップをなくしたんです…(*_*)
テンション下がった状態で観たからか、上の空~でした(涙)
あの金貨がそんなだったとは…う~む…
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momoさん (花耀亭)
2015-06-09 23:45:24
わぁ~、ストラップ残念でしたね!!
お気に入りのものは代用がきかないから....よくわかります。展覧会もそれどころじゃなくなりますよね。
私も先月お気に入りの日傘をバスに忘れ、結局出てこなくって悲しかったです。思い出しても悔しいもの...(^^;
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