花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

《神秘の子羊》のユトレヒトDOM塔。

2020-04-05 19:39:11 | 西洋絵画

ファン・エイク兄弟《神秘の子羊》の修復調査によると、子羊の上部左寄りに描かれているユトレヒトの「DOM(ドム)塔(Domtoren)」は後筆ではなく元々描かれていたとのこと。

精細画像を拡大して見ると、子羊の上方左寄りに見えるのは、確かにユトレヒトのDOM塔なのだ。

http://legacy.closertovaneyck.be/#viewer/id1=37&id2=0

https://en.wikipedia.org/wiki/Dom_Tower_of_Utrecht

《神秘の子羊》の背景には、エルサレムの尖塔(?)やら、フランドル都市の教会や街並みが描き込まれているようだが、中央寄りの目立つ位置に何故フランドル地方では無いユトレヒトのDOM塔が描かれているのか? それも精霊から放つ光を近くで浴びているし、美術ど素人の私にはちょっと不思議だった。

下記写真は2006年に撮った「ユトレヒトDOM塔」。

 

去年(2019年)春に再訪した時は、残念ながら尖塔部は修復工事中だった。

DOM塔は1321年から1382年にかけて建設されたと言う。当時からその高さと威容はネーデルラントでも有名だったに違いない。ヤンがハーグでビネンホフ城の仕事をしていた頃、ユトレヒトに行きDOM塔を見て素描した可能性は大いにあると思う。

もしかして、《神秘の子羊》背景を描きながら、空間が空き過ぎてちょっと寂しいなぁ、手持ち素描のユトレヒトDOM塔を入れちゃえ♪ などということがあったかも??と、美術ど素人的に楽しく妄想しているのだが...(;'∀')



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6 コメント

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Unknown (通りすがりのもの)
2020-04-05 21:02:57
素人考えですが、エイク兄弟の活動範囲をフランドル地方と考えるとちょっと変ですが、低地地方と考えると納得できるのでは。お書きになっているように、ユトレヒトにほど近いハーグの宮廷での記録がファンエイクの初出の文献記録ですし、ユトレヒトもフィリップ善良公がその治世で征服した土地とされています。しかし、ユトレヒトの塔も実見されているのには感服いたします。
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通りすがりの者さん (花耀亭)
2020-04-06 01:15:29
おっしゃる通り、確かにエイク兄弟の活動はネーデルラント全体と考えた方が良いかもしれませんね。
特に当時のユトレヒトDOMは大司教区の司教座教会なので、DOM塔がそのシンボルとして聖霊の鳩に近い位置に描かれるのは「有り」かもしれないなぁと思ってしまいました。
ちなみに、DOM塔見学ですが、実はユトレヒト派カラヴァッジェスキ作品追っかけついでだったのですよ(^^;;
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Unknown (通りすがりの者)
2020-04-06 10:52:53
例の展覧会カタログでは、NY2連画の制作年代は1440年とされていて、?もついていませんでした。その根拠を調べてみると、ロッテルダムにあるNY2連画左翼の下絵(の模写?1445年制作とされているので)との比較及びMetの2連画の2016年に行われた非破壊研究でオリジナルのフレームに画題の内容を示す文章の痕跡が見つかったことのようです。もしこれが正しいとすると、小林典子氏のいう、この絵(少なくとも左翼は)が1420年制作でミニアチュール的手法がミラノートリノ時禱書との関連を示すことが理解できる、という説が成り立たなくなります。ただし、現時点でもカタログ本とMetは、この絵が真筆部分を多く含む、という立場を維持しています。右翼上部は稚拙で他人の手が入っていることは従来から言われていますし、個人的には下部の地獄は、ヤンがかつて描いたことのないテーマなので、?と考えていましたが。
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通りがかりの者さん (花耀亭)
2020-04-07 01:48:26
NY2連画ですが、METサイトではヤン後期の1440年頃となってますよね。
私のド素人目でも、左翼上部磔刑図はヤン筆と思えますし、右翼の多くは(下絵はヤンであっても)工房作のように思えますが、METとしては言えないだろうと思います(^^;
で、おっしゃる通り、ヤンの地獄図である「最後の審判」の作例はこれだけかもしれませんね。なので異質なものを感じるのも確かです。(なんだかボスの先駆的作品のようにも見えました(^^ゞ)
しかし、ホイジンガ「中世の秋」を再読しているのですが、現在残っている作品だけでヤンの仕事を理解したつもりになるのは危険だというようなことが書かれていました。ヤンがもっと多様で異色な作品を制作していた可能性もあるかもしれませんね。
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Unknown (通りすがりの者)
2020-04-25 11:00:15
”中世の秋”再読なされているとのこと、それに刺激を受け、かつて読んだものの、その当時はボッチチェリなどに一番興味を持っていた時期なので(つまりヤンの画業に格段の注意を持っていない時期でした)、後半部分を拾い読みしてみました。ヤンの静謐な受胎告知などの絵の雰囲気に騙されてはいけない、華美なブルゴーニュ宮廷の雰囲気に完全に適合して生きていたのがヤンその人なのだ(その文脈でヤンの失われた作品云々の文章が書かれていました)、とか、象徴主義という言葉から何となくギュスターブ・モローの作品のようなことを想像していましたが、それは間違いで、実態のない概念(正義とか純潔)を擬人化してしまう中世人の感覚を想像してみよ、これが逆転して日常の些末なことすべてに実際にありありと神の恩寵を感じてしまうということなのだ、とか大変面白いことを言っているのだなと感じました。
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通りがかりの者さん (花耀亭)
2020-04-26 01:16:35
実は私も再読でようやく内容が掴めた感じがしました(^^;
ホイジンガの考察は色々な意味で刺激的で、通りがかりの者さんのおっしゃる通り、中世人の感覚は今の私たちとは随分違っていたようですよね。それに、現存するファン・エイク作品が少な過ぎるのも確かなのです。
ちなみに、西洋美術史の京谷啓徳先生の「凱旋門と活人画の風俗史」(講談社)で当時のブルゴーニュ公国の入市式について知り、宮廷出し物の様子も想像され、もしかしてファン・エイク工房なども関わった可能性があるのではないかと思ってしまいました(^^ゞ
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195621
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