昨日は園の卒園式でした。小さな紳士淑女となった卒園生が
泣いてお母さんに抱き着いている子もいたり、お母さんが泣いて
子どもに泣かないでと言われたり、それぞれの旅立ちの季節です。
お母さんたちもすごく若いんですよね。
先生方本当にご苦労様でした。
廊下に並んで皆さんを送り出しました。
泣いていたけど実は園は今月末まで来る子どもたちがほとんどです。
数日前は今まで使っていたお道具箱とかみんなできれいに拭いたりして
次に引き渡す準備を子供たちがしていました。
川べりのウグイスもすっかりクリアに上手になくようになり毎朝楽しみです。
昨日はシジュウカラが上手に鳴いていました。
以前川べりの梅の花と書いていたのは何と桜の花でした。
柑橘類の実も鳥に食べられた跡があり、上を見るとヒヨが実の横の枝に止まっていました。
卒園式の前日スマホで写真を撮っておきました。
午後はその足で半年ぶりくらいに会う友人と駒場の日本民芸館へ。朝日新聞の販売店から
チケットをもらっていました。次は山種美術館の日本画が控えています。
これなら新聞を取るの止めなくてもまぁいいかみたいな感じ。
民藝館の近くの駒場東大の中のルヴェソンヴェールで遅いランチを取ってから
特別展の「柳宗悦と民藝運動の作家たち」をゆっくりと見て回りました。
力強い生活の道具たち。京都で仕事場を見に行った河合寛次郎や母が好きだった富本憲吉。
黒田辰秋とか懐かしい人たちの作品。マリメッコのような大胆なプリント。でも今回で
お気に入りだったのはバーナード・リーチ。この辺の感覚って日本人とイギリス人ってとても近いような
感じがしました。
昨日だったかNHkのファミリーヒストリー最終回のスペシャルを見ていたら、一般の人でしたが戦後アメリカに
養子となって行ったいとこに会いたいということでそのあとを追った一編に心動かされました。
病気で子供を育てられなくなった画家が中野のオディリア・ホームに子供を預け、そののち駐留していたアメリカ人夫妻に
引き取られて手厚く育てられた。本当の親について知りたくないかと聞かれた時に育ててくれた両親が本当の両親と思うと
答えて調べることを断っていたそうです。今回はるばる日本から自分を探している人がいると聞いて、日本を訪ねて
本当の親の思いも知り、涙していました。赤ちゃんの時に子供を手放し、子どもの幸せを願った父親は離れた子供の顔を
いくつも描いていました。その息子も画家ではありませんがたくさんの絵を描いていて親子の不思議を思いました。
オディリア・ホームというのは娘の保育園の隣に在ってドイツ人のシスターが建てた一連の施設の一つです。それでTVに
引き込まれて見ていました。保育園と病院、子どもの中期滞在施設があります。
泣いてお母さんに抱き着いている子もいたり、お母さんが泣いて
子どもに泣かないでと言われたり、それぞれの旅立ちの季節です。
お母さんたちもすごく若いんですよね。
先生方本当にご苦労様でした。
廊下に並んで皆さんを送り出しました。
泣いていたけど実は園は今月末まで来る子どもたちがほとんどです。
数日前は今まで使っていたお道具箱とかみんなできれいに拭いたりして
次に引き渡す準備を子供たちがしていました。
川べりのウグイスもすっかりクリアに上手になくようになり毎朝楽しみです。
昨日はシジュウカラが上手に鳴いていました。
以前川べりの梅の花と書いていたのは何と桜の花でした。
柑橘類の実も鳥に食べられた跡があり、上を見るとヒヨが実の横の枝に止まっていました。
卒園式の前日スマホで写真を撮っておきました。
午後はその足で半年ぶりくらいに会う友人と駒場の日本民芸館へ。朝日新聞の販売店から
チケットをもらっていました。次は山種美術館の日本画が控えています。
これなら新聞を取るの止めなくてもまぁいいかみたいな感じ。
民藝館の近くの駒場東大の中のルヴェソンヴェールで遅いランチを取ってから
特別展の「柳宗悦と民藝運動の作家たち」をゆっくりと見て回りました。
力強い生活の道具たち。京都で仕事場を見に行った河合寛次郎や母が好きだった富本憲吉。
黒田辰秋とか懐かしい人たちの作品。マリメッコのような大胆なプリント。でも今回で
お気に入りだったのはバーナード・リーチ。この辺の感覚って日本人とイギリス人ってとても近いような
感じがしました。
昨日だったかNHkのファミリーヒストリー最終回のスペシャルを見ていたら、一般の人でしたが戦後アメリカに
養子となって行ったいとこに会いたいということでそのあとを追った一編に心動かされました。
病気で子供を育てられなくなった画家が中野のオディリア・ホームに子供を預け、そののち駐留していたアメリカ人夫妻に
引き取られて手厚く育てられた。本当の親について知りたくないかと聞かれた時に育ててくれた両親が本当の両親と思うと
答えて調べることを断っていたそうです。今回はるばる日本から自分を探している人がいると聞いて、日本を訪ねて
本当の親の思いも知り、涙していました。赤ちゃんの時に子供を手放し、子どもの幸せを願った父親は離れた子供の顔を
いくつも描いていました。その息子も画家ではありませんがたくさんの絵を描いていて親子の不思議を思いました。
オディリア・ホームというのは娘の保育園の隣に在ってドイツ人のシスターが建てた一連の施設の一つです。それでTVに
引き込まれて見ていました。保育園と病院、子どもの中期滞在施設があります。