Reflections

時のかけらたち

上田を歩いて -1 ・・・ short trip to Ueda -1

2019-09-12 23:28:56 | wonderland
8月31日

軽井沢4日目は、しなの鉄道で足を延ばして、上田の歴史散歩をすることにしました。
娘の希望です。去年食べたくるみダレの蕎麦が食べたくて。
私はクルミおはぎも。別所の前山寺までは行かず、今回は町中だけですが
ときどき東京のデパートでも出張販売がある名取製餡の出店が北国街道にあるのでそこで
買って帰ることに。

隣に住んでいるいとこも、ご主人が環境庁のヴォランティアで浅間山に農作物保護の
鹿よけの柵を設置する作業に出かけているため、一緒に遊びに行きました。朝早く出かけるご主人に
中軽井沢まで送ってもらい、しなの鉄道で小諸駅まで行き、そこで乗り換えて、上田まで。
前日の夕食のビビンバでお腹を壊して、行けるかどうか心配でしたが、何とか行くことができました。









せっかく避暑地の軽井沢に来ているのに、わざわざ灼熱の上田にやってきました。猛暑で南国の日差しです。




歩いて上田城に向かう途中、上田高校の真田家屋敷跡を通ります。去年と同じように。
関ヶ原の戦いの後真田信之が築いた館の表門。そういえば真田は関ヶ原の戦いで二つに割れたのでしたね。













軽井沢ではほとんど曇りと雨だったのでこの青空は強烈でした。




関ヶ原の合戦後破却された上田城は仙石氏が城主の時代に再建され、7基の櫓(やぐら)と2基の櫓門が建てられました。
明治維新後、西櫓1基を残しそのほかの櫓・櫓門は取り払われました。城外に移築されていた2基の櫓は後に買い戻され、
昭和18年(1943)から24年にかけて現在の南櫓・北櫓として再移築されました。平成6年(1994)には東虎口櫓門が
復元されました。



この東虎口櫓門は比較的新しかったのですね。結婚する前に友人と来た時はありませんでした。
櫓も明治の初めに遊郭が買い取ったのは取り戻したとのことで、なかなか今の形に戻すのが大変だった歴史が
ありました。



ちょうどボランティアによるガイドウォークが始まるところだったので、いとこと一緒に参加しました。
やっぱり説明を聞くといろいろ知ることができて良かったです。







この城を守ってきた、真田、仙石、松平家が祭ってある真田神社。






















本丸は残っていなくて、城址公園となっているこの地を巧みに生かした城作りは、工夫が施され、
1/10以下の人数で徳川の侵攻を許さなかった奇跡の城です。






一番古い建物、西櫓
西櫓は寛永3~5年(1626~1628)にかけて仙石氏によって建てられた、上田城で江戸時代から現存している唯一の建物です。







伝説の真田井戸。伝説のままで誰も実証していないとのこと。
どこに繋がっているのでしょうか? 夢は夢のまま。






去年は別所温泉まで足を延ばしたので、あまりゆっくり歩きませんでしたが、今回は暑い中
木陰の城址公園を少し歩きました。













































蝉の抜けた穴といとこが教えてくれました。蝉の生涯はほとんどが土の中です。













Aug.31  2019   Ueda

コメント
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