Reflections

時のかけらたち

フラット神楽坂 ・・・stopping by Kagurazaka

2021-12-20 22:04:06 | a day in the life

 

12月11日

落ち込んだ日の翌日、午前中のヨガが終わって、別のジムに行っている娘と
待ち合わせて、早稲田のスープカレーの名店に行き、その後私は神楽坂の会場まで
kocariの方に会いに行ってきました。

 

「東京らっきょブラザース」のスープカレーとパイ包み焼きのシーフードカレーの
ハーフ アンド ハーフをいただきました。アツアツでとてもおいしかったです。

その後一駅乗ってしまいましたが、神楽坂まで。
以前に買ったインドのシルクと綿のスカーフで肌にじかにあてて結んだら
かぶれてしまったので染料とかに原因があるかどうか聞きに行きました。
問題はないようですが、ドライクリーニングなので自分で洗わないでということ
でした。

かわいい手仕事のものも多かったのですが、見るだけにして、神楽坂をフラッと裏道など
歩いてから帰宅しました。

今まで行ったことのない赤城神社に寄っただけですが、裏には行列ができている
スィーツのお店などありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毘沙門天 善国寺しか行ったことのない神楽坂ですが、こちらも歴史があり、
学業の神様が祭られているらしく、子供たちが来ていました。あんな小さい子に
お勉強ができるようになんて話していました。

 

赤城神社

伝承によれば、正安2年(1300年)、後伏見天皇の御代に、
群馬県赤城山麓の大胡の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時、
本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりと伝えられています。

その後、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を
寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、
さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。
この牛込氏は、大胡氏の後裔にあたります。

天和3年(1683年)、徳川幕府は江戸大社の列に加え牛込の総鎮守と崇め、
「日枝神社」「神田明神」と共に、「江戸の三社」と称されました。

 

Dec. 11  2021  Waseda ~ Kagurazaka

 

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