片づけのはざまで、突然出てきたもらった写真。 自分で撮った写真ではないので
アルバムとかに入れていなくて、バラで缶の中に入っていました。
若いころお茶を習っていた時の写真や、織物関係、アトリエでのクリスマス会とか・・・
屈託のない笑顔の写真もたくさんありました。あの頃青春の真っただ中だったのでしょうね。
学生時代は暗かったのですが、年を取るほどに明るくなりました。
初釜の写真がでてきて、先生やお仲間が懐かしく思い出されますが、もうみんな
遠くの世界に行ってしまっています。織物の先生と仲間の写真もありますが、
皆早くに亡くなられてしまいました。
左端が先生で右端の方は先生の妹さん。先生の妹さんと姪御さん、
私と私の親友の4人で習っていましたが、姪御さんと親友はさっさと
結婚してやめて私が残りました。
親友と二人、まさに日々是好日の世界でした。
先生は時にお茶会にも連れて行ってくれました。根津神社や三渓園、
茶道会館に行った記憶があります。
近くに住んでいられる方が生徒に加わりました。
先生と先生が一緒にお茶を習っていた方だと思います。祖母もその一人でした。
この写真には1982年というメモがありました。
1983年と書いてありました。生徒はずっと3人でした。
私が星岡が好きなのはこのお茶の先生の家を思い出すから・・
伊藤博文か誰かのお妾さんの家だったとか・・
先生は戦後、都心から武蔵野市に移られました。戦争中はご主人が東銀の
北京支店に勤めていたので、大変苦労されたお話を聞いたことがありました。
織物作家の林辺正子さんと。左は一緒に工房で習っていた国立博物館の館長秘書を
されていたNさんです。お二人ともずっと昔に他界されています。
先生は命を削って創作されていたかもしれません。工芸家というよりアーティストという
感じにどんどんなって行きました。
母も先生の個展を見に来てくれました。
long long ago
暮れの片づけの一時、懐かしい人たちに会えました。