4月28日
着付け教室で一緒だった方と京都きもの市場のイベントで長襦袢の丸洗いを出しに行った後、
鏑木清方展に誘われて、新しく近代美術館に入ったボナールの絵も特別展示してあるということで
行くことにしました。
きもの市場では東京友禅の職人さんが来ていて、下絵を描いていました。その方は子供の絵を描くのが
好きでかわいい男の子の絵が描かれていた反物がいくつかかけてありました。花の絵もきれいでした。
私はふと二葉苑で江戸更紗を習っていたことを思い出して、休んでずっとそのままになってしまいましたが、
井上先生のこととか思い出してネットで探したら、二葉苑のことが載っていました。
二葉苑が守る江戸の伝統
ここに載っている二人の職人さんには大変お世話になりました。懐かしく川沿いの工房を思い出しています。
中井にもしばらく行っていません。これも近くのこども園に定年退職後パートタイムで通ったことによる
出会いだったのかな~と思ったり。
思いがけず混んでいた鏑木清方展。チケットを買うのに30分くらい並ぶ羽目になってしまいました。
最近はコロナのせいもあり、美術館は時間指定の券を買わなくてもすぐ入れたのですが、蔓延防止の規制も
解除になり、街に人がたくさん出て行くようになりました。
ちょうど一緒に並んでいた方が、前日BSで放送していたから、こんなに混んでいるのねと話していました。
その方は日本画をやっていて鏑木清方が自分の師であると話していた物腰の柔らかい老婦人でした。
同行のお二人はチケットを買っていたので、先に入り、中でやっと追いつくことができました。
私は新収蔵品で特別公開されたボナールの昨年度収蔵された《プロヴァンス風景》が見たいなんてなんとなく思って出かけました。
なんでもない一瞬が、なによりも美しい。
左から:鏑木清方《浜町河岸》1930(昭和5)年 《築地明石町》1927(昭和2)年 《新富町》1930(昭和5)年 ©Nemoto Akio
鏑木清方(1878-1972)の代表作として知られ、長きにわたり所在不明だった《築地明石町》(1927年)と、合わせて三部作となる
《新富町》《浜町河岸》(どちらも1930年)は、2018年に再発見され、翌年に当館のコレクションに加わりました。この三部作を
はじめとする109件の日本画作品で構成する清方の大規模な回顧展です。
浮世絵系の挿絵画家からスタートした清方は、その出自を常に意識しながら、晩年に至るまで、庶民の暮らしや文学、芸能のなかに
作品の主題を求め続けました。本展覧会では、そうした清方の関心の「変わらなさ」に注目し、いくつかのテーマに分けて作品を
並列的に紹介してゆきます。関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の
信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことでしょう。
鏑木清方(1878-1972)は今年の初めに見た吉田博(1876-1950)や川瀬巴水(1883-1957)と同年代の人です。
彼は関東大震災や戦争を経験したなかで、失われてしまった明治時代の人々の暮らしや、女性の凛とした美しさを描き続け
ただ美を追求した人でした。
今までは日本画の一つとして展覧会で見た程度で名前しか知らないに等しい画家でしたが、最初にいきいきとした街の風景や
写実的な女性の様式的ではありますがその表情の美しさや、全体の色が柔らかくとても魅力的な作品でした。単なる美人画の
画家かと思っていましたが、浮世絵の世界をこんなに発展させていったのですね。
私が買った1枚のポストカードは彼が育った明石町の風景画です。
【プレビュー】本当の清方に出会う 「没後50年 鏑木清方展」 東京国立近代美術館で3月18日開幕
今日選んだ和服は
廣瀬草木染織工房のクルミで染めた手織りの紬です。さらっとした着心地がいい単衣です。
帯は数年前に神楽坂の甚右衛門さんの閉店セールでたくさんの帯の山からオーナーの方が塩沢に
合うものを引っ張り出してくれたものです。自分では見つけられなかったし、選ばなかったと
思うけれどさすがいろいろな紬に合いそうでした。
久々の和服、着れてよかったけれど帯とかうまくできず、これも慣れが必要なのか今一つテクニック
の問題なのか・・・ でも着ると気持ちがいいですね。