名古屋で行ってみたかった茶室と庭の一つに興正寺普門園竹翆亭がありました。
行事に合わせてしか中に入ることができないのですが、運よく冬の宝物展が開催され、見ることができることが
わかり、事前に電話で予約を入れました。
文化のみち百花百草からまた市役所方面に歩いて戻り、地下鉄名古屋城駅から名城線で八事まで行きました。1時間かからずに
興正寺までつきました。八事駅の裏に広がるのですが、入り口までは回って少し歩きました。一番すてきな庭がある八勝館の
横を通りました。この庭を見るには2万円以上のお弁当や懐石料理付きで申し込まなければならないので以前あきらめたことが
あります。一緒に歩いた友人は建築をやっていたので、ほとんどの庭や茶室は見ていて、ここも若い頃に行ったと話していましたが
興正寺の方は入ったことがないということでした。
興正寺
長い修行の旅のすえ、高野山に至り、弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞和尚は1686年(貞享3年)、穏やかな起伏に松が茂り
豊かな水、静寂に満ちた八事の地に密教と戒律の寺の建立を発願しました。真言密教の教学・修行道場として、境内は
西山普門院と東山遍照院に分かれ、東山は女人禁制の修行の場でした。
尾張徳川家二代藩主光友公は天瑞和尚に、六代藩主継友公と七代藩主宗春公は五世の諦忍妙龍和尚にそれぞれ帰依をされ
諸堂建立や多くの宝物のご寄進など力を注がれました。
時が流れ、現在、国の重要文化財に指定されている五重塔建立は、「藩主の寺」から「民衆に開かれた寺」へと変化をとげる
契機ともなり、今なお、多くの参拝者をお迎えしています。
八事山興正寺HPより
興正寺の茶室となっている竹翠亭は大正時代に海運王として財を成した日下部久太郎の邸宅を、平成20年(2008)に岐阜市より
現在地に移築されたもので露地も移築当時に作庭されたものである。
「重要文化財級だった…という数寄屋風建築は意匠も素晴らしいし中庭の苔庭も美しい。写真を見る限り元の邸宅の庭を復元はせず
(元の邸宅には“虎の児渡し”のようなまた別の枯山水があったっぽい)、移築した2008年に新たに作庭されたものですが、
『建仁寺潮音庭』のような感じで良いし、茶室の軒下の瓦の使い方とかも現代風でこれはこれでかっこいい。」 おにわさんより
中門から見える大きな大仏にびっくり。
建物の中から普門園が見えましたが、外に出てエレベーターで上がって上から入ってくださいと
言われました。
桜の花が咲いていました。 四季桜と竹翆亭の受付の方からお聞きしました。
このカーブを回った所が竹翆亭の入り口です。
冬の宝物展が始まったばかり。でも中は春でした。
春花鶯歌 森村宜稲
Morimura Yoshine 明治4年(1871)~昭和13年(1938)
八ッ橋図四方盆
伊勢物語第九段八つ橋の場面が元になっているが
人物は描かれず燕子花と端の一部が表現されている
松蒔絵硯箱
花鳥文堆黒盆
尾張藩二代藩主徳川光友公寄進 中国宋・元代(13C~14C)のもの
素晴らしい作品です。堆黒という漆の技法初めて認識しました。
堆朱香合
尾張藩二代藩主徳川光友公寄進 牡丹あるいは芍薬、椿が彫られている
他には誰もいない室内。荷物を置いてゆっくり回りました。
八事山製茶之図 大家米年
一昔前まではお茶は自家製で、興正寺でも昭和初期まで近所総出で
製茶が行われていたとのこと
雲龍玉角香炉
玉は中国で古来より珍重されてきた宝石とされる石で、白玉や翡翠をさします。これはその玉でつくられた香炉で
上面に雲龍が刻まれています。
宝尽紋錦袋物
大原女 森村宜稲
廊下で繋がる茶室方面に向かいました。
厳島之図 柳田樵谷
雪の厳島神社がすてきでした。
また受付のあった部屋の方に戻ってみたけど、友人を見失ってしまいました。
ここからクルクル回って、受付の方に捜索願出そうかと思っていたと話して聞いたら、下の回廊の方で後姿を
見ましたと言われてそちらの方ににも回ったり・・
写真も同じところもクルクル回っていいるかもしれません。
茶室を再び捜索。
回廊の方で尋ね人をみつけたと言われて普門園の回廊を見たり・・
行き止まりを戻ったり・・・
結局かくれんぼ状態・・
友人はこの先の二つの建物に行っていたことが後からわかりました。
茶室や蔵みたいなものがあったみたい・・
再び茶室を一緒に見ました。
1時近くになったので、竹翆亭の外のあずまやでピクニック・ランチ
チャパタサンドとサラダカップとラタトィユ、残っていたピクルスを詰めて・・
帰りのエスカレーターの中から・・・
八事からしらかわホールのある伏見までは鶴舞線で15分くらいで、近い場所です。
それにしても想像以上に見ごたえのある素晴らしい宝物と建築でした。たった5日間の展示とはもったいない。
Feb. 9 2024 Nagoya