コンサートの感動に浸っていて、新幹線は少し遅くして7時半くらいで取っていました。
どこかでお茶でもゆっくり飲もうかと思っても、近辺にお店がなく、名古屋駅に行くか少し離れたところどちらにする?
と聞かれて混んでいない場所の方がいいと言ったら、中村の豊国神社のエリアに案内してくれました。昔あった
お店はもうなくなっているみたいで、このエリアを歩いてみました。
この辺は秀吉、加藤清正の生誕地で、歌舞伎の中村勘三郎の生誕地も近い歴史的な場所でした。
豊国神社
明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の流れの中、明治18年に豊臣秀吉公を祀る神社として豊臣秀吉公の生誕地、尾張中村
(現・名古屋市中村区)に地元住民の強い意志で創設されました。
中村公園内にある「初代中村勘三郎生誕像」
記念像は台座を含め高さ2.8メートル。今年2月の歌舞伎座では勘九郎が、江戸歌舞伎発祥のいわれを描いた
『猿若江戸の初櫓』を踊りましたが、初代勘三郎の銅像は、まさに猿若舞の躍動感あふれる一瞬をとらえたもの。
2017.5月 歌舞伎美人より
たまたま、この約1週間後に「十八世中村勘三郎十三回忌追善 猿若祭二月大歌舞伎」を歌舞伎座に見に行く予定でした。
京三条河原で秀次の遺児(4男1女)及び側室・侍女らおよそ29名が処刑され荒れ果てた塚を角倉了以が
きれいにして手厚く弔った話を京都に行ったときに知ったり、甲斐荘楠音が最後まで手元に置いていた
「畜生塚」のことが思い出され、秀吉を祀った神社にはお参りする気がありませんでした。
友人は権力者はみな同じだというのだけれど・・・そういえば織田信長だって残虐なことをたくさんしてきました。
図書館、スポーツセンターや、競輪場などが周りにあって、昔は競艇場もあってそこは埋められているようです。
友人は若い頃に、この地域の整備の事業にかかわっていて、公園から道路までの環境デザインの一部の
仕事をしていたことがわかりました。若い頃遊びに行ったときは街並み保存の仕事にもかかわっていたことを
思い出します。
公園内では子供たちが元気に遊んでいるのが見えました。東京の家の近所では見られない風景でした。
サッカーとか野球のリトル・リーグの練習はしているけど、近くの子供が集まって遊んでいる姿は
見られなくなり、名古屋では公園や、歴史のある建物が活かされていることがうらやましい感じがしました。
中村公園の近くでもレトロな喫茶店もなく、名古屋駅に戻り、駅中の比較的すいているカメダ珈琲店に入り
軽くお腹がすいたのでサンドイッチを頼みました。量が多すぎたので残りを包んでもらって帰りの新幹線の中で
食べました。玉子のホットサンドイッチ結構おいしかったです。
贅沢な一日はあっという間に過ぎてしまいました。
Feb. 9 2024 Nagoya