毎週、「週刊新潮」に書いてきた書評で、この1年に読んだ本を振り返っています。
ようやく10月分です(笑)。
2013年 こんな本を読んできた (10月編)
東野圭吾 『祈りの幕が下りる時』
講談社 1785円
『新参者』『麒麟の翼』などで知られる日本橋署の刑事・加賀恭一郎。シリーズ最新作は加賀の家族関係もからむ殺人事件だ。
東京・小菅のアパートで女性の絞殺体が発見される。部屋の住人である越川睦夫は行方不明となっていた。事件の半月前、小菅に近い江戸川の河川敷で男性ホームレスの焼死体が見つかっているが、越川とは別人だった。しかし、警視庁捜査一課の松宮は2つの殺人事件の関連性を探り始める。
そんな松宮が、従弟である加賀の姿を見かけたのは明治座だ。そこは殺された女性が亡くなる前に会っていた幼なじみ、女性演出家・浅居博美の仕事場だった。事件の担当者でもない加賀が何をしていたのか。
人は誰しもその生い立ちと肉親とのつながりを断ち切ることはできない。冴える加賀の推理。そして浮かび上がる秘めたる愛憎。
(2013.09.13発行)
十重田裕一 『岩波茂雄~低く暮らし、高く想ふ』
ミネルヴァ書房 2940円
日本評伝選シリーズの最新刊は、「岩波書店」創業者の岩波茂雄だ。
岩波は信州・諏訪の出身。一高在学中、一学年下にいた藤村操の自殺に衝撃を受けて落第。東京帝国大学を卒業して教員になるが、大正2(1913)年に書店を起業する。
「岩波書店」の看板を書いたのは夏目漱石だ。利益を度外視して立派な書籍を作ろうとする茂雄。それをたしなめ、現実的な提案をする漱石。互いの立場を超えた関係が微笑ましい。
大正教養主義を背景に業績も伸びる。また定価をつけて売る正札販売や、新聞・雑誌広告の活用などの戦略も効いた。文庫、全集、全書を続々と創刊。商業主義と距離をとりながら、岩波は理想とする出版活動を展開していく。
巧言令色少なく、正義感の出版人。個人史と日本の出版史が重なる一冊だ。
(2013.09.10発行)
町山智浩 『トラウマ恋愛映画入門』
集英社 1260円
著者はアメリカ在住の映画評論家。『トラウマ映画館』という快著があり、他の批評家が見落としたり、無視したりする作品からも映画の魔力を引き出している。それは本書でも同様だ。俎上の22本は知られたものばかりではない。いや、だからこそトラウマになるのだ。
(2013.09.10発行)
穂村 弘 『蚊がいる』
メディアファクトリー 1575円
短歌、エッセイ、評論と横断的に活躍する歌人の最新随想集だ。雑誌や新聞に連載された短文で展開される日常的違和感が刺激的。「運命センサー」「穴係」「永久保存用」、そして「蚊がいる」。タイトルから想像する内容と実際との華麗なギャップも楽しめる。
(2013.09.13発行)
植草甚一
『いつも夢中になったり飽きてしまったり』
ちくま文庫 1155円
『ぼくは散歩と雑学が好き』に続く代表作の文庫化。「デザインがよければ なかのジャズもいい~モダン・ジャズのLPジャケット」というタイトルのエッセイがある。こうした言い方こそ著者ならでは。60~70年代の音楽、映画、本をめぐるポップカルチャー大全だ。
(2013.09.10発行)
鴨下信一 『昭和芸能史 傑物列伝』
文春新書 830円
演出家として活躍してきた著者が、多くの芸能人の中から国民栄誉賞受賞者6人に絞って実像を書いた。「これほど[イジメられた]人もいない」というのは美空ひばりだ。著者は戦後型知識人の彼女に対する嫌悪と同時に、大衆が感じた下品さにも言及している。
また、「寅さんに殉じた男」としての渥美清。普通のドラマの所々に短い笑いを置く「男はつらいよ」は、笑いの質が変化しはじめた70年代初頭という時代にマッチしていた。だが、渥美はこのスタイルを延々と続けることになる。他に森光子や森繁久彌などが並ぶ。
(2013.09.20発行)
柚木裕子 『検事の死命』
宝島社 1575円
『検事の本懐』で昨年の山本周五郎賞にノミネートされ、今年の大藪春彦賞を受賞した著者。本書には受賞作と同じ主人公、検事・佐方貞人が活躍する4つの中編が収められている。
このシリーズの第一の魅力は佐方のキャラクターにある。いわゆるヒーロータイプではない。じっくりと考え慎重に行動する。人間を見る目が確かで、他者の心情の奥まで量ろうとする。弁護士だった亡き父の無念にからむ作品「業をおろす」などはその好例だ。
次に検事としての矜持に拍手を送りたい。時に内外からの圧力を受けながら、「罪をまっとうに裁かせることが、己の仕事」だと言い切る。その戦いぶりは、地元出身の大物代議士や地検幹部を相手に一歩も引かない「死命を賭ける」と「死命を決する」の2作で描かれている。上司や同僚など脇役の味も見落とせない。
(2013.09.20発行)
広瀬洋一
『西荻窪の古本屋さん~音羽館の日々と仕事』
本の雑誌社 1575円
「古書音羽館」と記された、清潔そうなガラスドア。その横に置かれた書棚に並ぶ均一本たちの背中。そんなブックカバーの写真を見ただけで、本好きが手に取りたくなる一冊だ。
音楽好きなごく普通の少年は、いかにして「町の古本屋」の主人となったのか。中学時代からの恩師の存在。また、学生時代のバイト先である古書店で、自分が「販売好き」「人と向き合う商売が好き」だと知ったことも大きかった。
さらに本書で語られる、仕入れ、買取り、値付けなど古本屋の日常も興味深い。西荻窪という町とそこに暮らす人を大事にしながら、並べる本に思いを託す著者。だからこそ自分の理想の店というだけでなく、「町にフィットした店」が実現しているのだ。
西荻窪駅から徒歩7~8分。商店街と住宅街の中間あたりにその店はある。
(2013.09.20発行)
高井ジロル
『好辞苑~知的で痴的で恥的な国語辞典の世界』
幻冬舎 1365円
『広辞苑』『大辞林』などから厳選した、性的妄想をかきたてる言葉とその解釈が並ぶ。「性交」を男女間に限定しない『大辞泉』。「わいせつ」の説明が版によって異なり、「のぞきこむ」行為が削除されていた『新明解国語辞典』。その中2男子的目線が光る。
(2013.09.10発行)
内田樹 『内田樹による内田樹』
140B 1680円
すでに百冊を超す著作をもつ著者。その中の『ためらいの倫理学』から『日本辺境論』まで11冊を取り上げた、初の自著解説本である。しかしこれは単なる自作自註ではない。自らの著作を素材とした新たな持論展開の書き下ろしだ。背後にはもちろんレヴィナスがいる。
(2013.09.20発行)
広瀬正浩
『戦後日本の聴覚文化~音楽・物語・身体』
青弓社 3150円
「聴覚をめぐる物語」を分析し、その物語がもつ批評性を明らかにする野心作だ。登場するのは小島信夫、村上龍の小説から坂本龍一の音楽、浦沢直樹の漫画『二十世紀少年』までと多彩。アメリカとの関係と電子メディアが生み出す現実感に注目している点が新鮮だ。
(2013.09.20発行)
佐高 信
『この人たちの日本国憲法~宮澤喜一から吉永小百合まで』
光文社 1680円
時事通信の最新調査では、現在も安倍内閣の支持率は55.8%の高水準だ。それを背景に消費増税はもちろん、改憲へ向けての地ならしも相変わらず続けている。
本書は日本国憲法がいかに大切なものかを知るための好著だ。政治家から芸能人まで10人の、いわば“護憲派列伝”である。著者が敬愛する作家、故・城山三郎は勲章拒否で知られるが、「戦争で得たものは憲法だけだ」が口癖だった。
世界に類がない憲法を、「誇って自慢してればいいんです」と言うのは美輪明宏だ。戦争をする国への決別宣言としての憲法。その歴史的経緯も無視して、「押しつけ」とするのはモノ知らずで無礼だと憤る。
また原爆詩の朗読を続けている吉永小百合。改憲について、「言わないで後で後悔する、というのは一番よくないと思う」と語る言葉が共感を呼ぶ。
(2013.09.20発行)
村上春樹:編訳
『恋しくて~TEN SELECTED LOVE STORIES』
中央公論新社 1890円
自ら選んで訳した9編の海外小説に、自身の書き下ろしを加えた短編集だ。
巻頭はマイリー・メロイの『愛し合う二人に代わって』。地味な男の子と派手な女の子が大人になり、「結婚代理人」のアルバイトで再会する。イラクに行く若い兵士たちの代理を引き受けるうちに、2人の関係は微妙に変化していく。
リュドミラ・ぺトルシェフスカヤの『薄暗い運命』は収録作品の中で最も短く最も暗い話だ。女はなぜ、これほど無神経で残酷な男に魅かれるのか。掌編小説のサイズに、愛をめぐる真実が描き込まれている。
巻末を飾るのは著者の『恋するザムザ』である。主人公である彼は、目覚めた時、自分がカフカの小説の登場人物に変身していることに気づく。謎の家で、謎の娘の来訪を受けるザムザ。不思議なテイストの後日譚としてじっくり味わえる。
(2013.09.10発行)
永瀬隼介 『白い疵~英雄の死』
さくら舎 1680円
敏腕SPだった黒木莉子は現在、私立探偵をしている。元上司から警護の依頼を受けた相手は原発事故の英雄、政治学者の月尾だ。しかし、政権与党もすり寄る若きカリスマは野心と共に大きな秘密を抱えていた。現代社会の実相を活写する、政治サスペンスの佳作である。
(2013.09.05発行)
中原英臣
『こんな健康法はおやめなさい~あなたもうっかり騙されている』
PHP研究所 1365円
ココア、黒酢、白インゲン豆、そして数多のサプリ。マスコミを通じて流行する健康法には際限がない。医学博士の著者は、テレビが紹介する健康法こそダメな健康法と断じる。その根拠を明確に示したのが本書だ。提唱する「11の生活習慣」も必読にして厳守である。
(2013.10.04発行)
押井 守
『仕事に必要なことはすべて映画で学べる』
日経BP社 1680円
著者は『機動警察パトレイバー』『スカイ・クロラ』などで知られる映画監督だ。映画作品を教材に、大人の教養と処世術を伝授する。上司との関係を描く『007/スカイフォール』。経験と勘の危うさを示す『マネーボール』など9作品。読んでから、また観るか。
(2013.10.15発行)
歌代幸子 『慶應幼稚舎の流儀』
平凡社新書 777円
慶應義塾幼稚舎ほど幻想と誤解に満ちた学校はない。「お受験」の頂点に君臨するセレブ小学校。望ましい「一貫教育」の象徴的存在。少子化の時代だからこそ、憧れと嫉妬は益々高まる。本書は来年創立140周年を迎える幼稚舎の実像に迫る、労作ルポルタージュだ。
福澤精神の継承と進化の歴史、授業の内容、教員やOB・OGの証言などリサーチが続く。浮かび上がるのは、この学校が子どもたちに「トレンド」ではなく、人間の「トラッド」ともいえる普遍の原理を教えていることだ。実は地味な学校である幼稚舎の底力を知る。
(2013.10.15発行)