碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

マジシャンが書いた、傑作マジック小説

2017年01月22日 | 本・新聞・雑誌・活字


本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/reviews/1676442


マジシャンが書いた、傑作マジック小説


「小石至誠」という名前を見て、すぐに分からない人も多いと思う。またの名をパルト小石さん。というか、マジックの大御所「ナポレオンズ」のお二人のうち、小さいほうの人(失礼!)、もしくはメガネで大柄の人(ボナ植木さん)じゃないほう、という説明で納得してもらえるかもしれない。ちなみに、至誠は本名で、まんま「しせい」と読む。

2002年に北海道の大学に赴任する直前まで、プロデューサーとして制作していたのが『マジック王国』(テレビ東京)という番組だ。当時、ほとんど忘れられていたマジックというジャンルで、しかもレギュラー番組を作るというのは冒険だったが、その後、「マジックブームへの道を拓いた」ということで、マジシャンの協会から表彰されたりしてしまった。

嬉しかったのは、マジックという自分の好きなものを番組化できたこと。そして、クロースアップ・マジックの前田知洋さんも、コミカルな藤井あきらさんも、イケメン系のセロさんも、かわいい山上兄弟も、たくさんのマジシャンの方々が、みんなこの番組で多くの人に知られるようになったことだ。

この”日本初のマジックのレギュラー番組”『マジック王国』が成功だったとしたら、それは番組の司会と監修を務めてくださった、ナポレオンズのお二人のおかげなのだ。

そんな小石さんが書いた小説が、『神様の愛したマジシャン』(徳間書店)だ。ご本人の弁によれば「おそらく世界初の、プロのマジシャンが書いたマジシャン誕生の物語」である。

ひとりの少年が、プロのマジシャンを目指して歩んでいく物語。五木寛之さんの小説『青年は荒野をめざす』の主人公ジュンはジャズのミュージシャンを目指して世界を放浪するが、こちらの主人公・誠の場合はマジシャンだ。

そもそも、誠のお父さんがプロのマジシャンで、その名を北岡宇宙という。ちょっと特殊な環境で育ったことになるが、子どもの頃から自然にマジックに親しんできた誠は、大学でもマジック・サークルに入る。そこでの4年間が物語の軸だ。

世界のマジックと日本のマジック。プロのマジシャンとマジックのアマチュア。マジックを見せることと見ること。いや、そもそもマジックとは何なのか・・・。

小石さんが持っている、マジックに関する知識や技術、さらに哲学や美学といったものが、この小説には散りばめられている。ある時は父であるマジシャン・北岡宇宙の口を借りて。またある時は誠自身の言葉となって。

この作品は稀有なマジック小説であると同時に、少年の成長物語であり、父子物語であり、爽やかな青春物語でもある。どんなに難しいマジックも、まるで軽々とやっているように見せるのが小石さんの技と美学だが、この小説も、そんな小石さんのスタイルが貫かれていて見事だ。

そうそう、小石さんの相棒である、「ナポレオンズ」の植木さん(背の高いほう)も小説を書いている。ボナ植木『魔術師たちと蠱惑のテーブル』(ランダムハウスジャパン)だ。

植木さんが舞台の上で見せるのは、確かな技術に裏打ちされたユーモアマジックだ。この小説は手品の種明かしではなく、マジックをテーマにした短編小説集。鮮やかな手さばきと後味の良さは本業と同じで、観客(読者)を上機嫌にしてくれる。

祝!直木賞受賞 恩田陸さんの"小説のみが生み出せる世界”

2017年01月22日 | 本・新聞・雑誌・活字



本のサイト「シミルボン」に、以下のレビューを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/reviews/1677786


祝!直木賞受賞 
恩田陸さんの"小説のみが生み出せる世界”

平成28年度下半期の芥川賞と直木賞の発表がありました。芥川龍之介賞は山下澄人さんの『しんせかい』(新潮7月号)、直木三十五賞が恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)でした。

お二人とも、おめでとうございます!

恩田さんの受賞作『蜜蜂と遠雷』については、これから山ほどの紹介や論評が出るかと思います。そこで、ほかの名作を通じて、恩田さんの小説の魅力を探ってみました。


『いのちのパレード』と『きのうの世界』

以前、恩田さんの『いのちのパレード』(実業之日本社)を読んだときの、迷宮に入り込んだような、不思議な感覚が忘れられない。

恐らく、恩田さんが目指したのは「無国籍で不思議な」短編集だったはずだ。

生物の進化を一気に体感する表題作をはじめ、ファンタジーやSFからホラーまで多彩なジャンルの物語が並んでいた。いかに奇妙で想像力あふれる作品を生み出すかという実験であり、読む側もまた試されているような気がした。

そして、もう一冊、恩田ワールド全開と言える長編が、『きのうの世界』(講談社)である。

これがまた、尋常ではない。小説の多様な要素、というか、恩田さんの多様な小説世界を一冊に凝縮したような野心作であり、問題作なのだ。

物語は、「もしもあなたが水無月橋を見に行きたいと思うのならば、M駅を出てすぐ、いったんそこで立ち止まることをお薦めする」という書き出しで始まる。

この二人称の「あなた」とは一体誰なのか? もちろん簡単には明かされない。しかし、読む者は、いつの間にか、この「あなた」に同化し、物語の中に入り込んでしまう。実に巧みだ。

一人の男が突然失踪する。誰もが、すぐに顔を思い出せないような、目立たない、ごく普通の会社員だった男。そして1年後、都会から遠く離れた<塔と水路の町>で、そこにある「水無月橋」という名の橋で、彼は他殺体となって発見される。なぜ、誰に殺されたのか?

舞台となる<塔と水路の町>が変わっている。いや、どこか秘密めいているのだ。男の失踪、殺害と、この町の関係は?

さらに、もう一人、この町を訪れ、男と事件のことを探ろうとする女性が登場する。彼女は誰であり、その目的は何なのか?

いくつもの謎を抱えたまま、町の住人にからんだ、いくつものエピソードが展開される。しかし、読み進めても、なかなか真相は見えてこない。

それにしても、ここで描かれる<塔と水路の町>が魅力的だ。町の中を縦横に走る水路。そびえ立つ奇妙な2本の塔。今は崩壊している1本の塔。町全体が、閉じられた空間、一種の密室であり、物語に陰影や湿り気を与えている。まるで、もう一人の主人公である。

この作品は、ミステリーであり、ファンタジーであり、伝奇小説とも読める。いや、ジャンルでくくろうとするのは意味がない。深い謎と妖しい美しさと静けさに満ちた、小説のみが生み出せる世界が、ここにあるだけだ。


テレビ界のバイブル『お前はただの現在にすぎない』の半世紀

2017年01月22日 | 本・新聞・雑誌・活字



本のサイト「シミルボン」に、以下のコラムを寄稿しました。
https://shimirubon.jp/columns/1677755


テレビ界のバイブル
『お前はただの現在にすぎない』の半世紀


●テレビよ、お前はただの現在にすぎない

「いま一番欲しいものは何ですか?」
「総理大臣になったら何をしますか?」
「天皇陛下はお好きですか?」

若い女性の声が矢継ぎ早に質問を繰り出す。画面に映っているのは通勤途中のサラリーマンであり、魚河岸で働く仲買人であり、小学生の男の子だ。彼らは質問の意味を深く考える余裕も与えられないまま、即興で答えていく。

この後も質問は続き、「ベトナム戦争にあなたも責任がありますか?」「では、その解決のためにあなたは何かしていますか?」「祖国のために闘うことが出来ますか?」と畳み掛けていく。そして、「最後に聞きますが、あなたはいったい誰ですか?」で終わった。

829人の人々に、同じ「問いかけ」を敢行したこの番組は、それまで誰も見たこともない斬新なテレビ・ドキュメンタリーとなる。正直な言葉、取り繕った言葉、そして戸惑った表情や佇まいも含め、カメラが活写したのは1966(昭和41)年の“現在”を生きる、日本人の“自画像”そのものだった。

今も放送史に残る傑作ドキュメンタリー『あなたは・・』とはそんな番組であり、この年の芸術祭奨励賞を受賞した。制作したのは、TBSのテレビ報道部に在籍していた36歳の萩元晴彦。構成が寺山修司、音楽は武満徹である。

早稲田の露文科を卒業した萩元が、ラジオ東京(現TBSテレビ)に入社したのは1953(昭和28)年。奇しくも、日本でテレビ放送が開始された年だ。はじめラジオ報道部に配属され、録音構成『心臓外科手術の記録』で民放祭賞を受賞。

後にテレビ報道部に転じてからも、『現代の主役・小澤征爾「第九」を揮(ふ)る』がやはり民放祭賞を受けるなど、番組制作者として評価は高まっていった。

そんな萩元に大きな転機が訪れるのは1968(昭和43)年である。前年に制作した『現代の主役・日の丸』に対して、視聴者から抗議、非難、脅迫風の電話が殺到した。同様の投書も多数舞い込んだ。さらに、当時の郵政大臣が閣議で「偏向番組」だと指摘し、電波監理局の調査が行われる騒ぎとなった。

これに対し、会社側は萩元のニュース編集部への配転を決定。組合はこれを不当として立ち上がり、いわゆる「TBS闘争」へと発展していく。

1969(昭和44)年、萩元はTBSにおける後輩であり仲間でもある村木良彦、今野勉と共に一冊の本を出版する。当時の状況の克明な記録であり、「テレビとは何か」を徹底的に考察したこの本のタイトルは、『お前はただの現在にすぎない~テレビになにが可能か』(田畑書店⇒朝日文庫)

通称「ただ現」は、後に、テレビ界を目指す青年たちのバイブルとなった。なぜなら、この本は、制作者自身がテレビの<本質>に迫った、画期的なドキュメントだったからだ。

ここには様々な言葉が集録されている。議事録、声明文、ビラ、発言、証言などだ。その間を縫うように3人の<問い>が続いていく。テレビとは何なのか。テレビに何ができるのか。テレビの表現とはいかなるものか。それらの問いかけは「おまえはいま、どう生きているのか」という問いと同義だった。

3人の制作者は探り、自問自答していく。

テレビは時間である。
テレビは現在である。
テレビはドキュメンタリーである。
テレビは対面である。
テレビは参加である。
テレビは非芸術・反権力である。

そして、さらに書く。

テレビが堕落するのは、安定、公平などを自ら求めるときだ、と。


●テレビマンユニオンの誕生

時は60年代末だ。国内に学園紛争、国外にベトナム戦争と騒然たる時代である。

『TBSニュースコープ』で日本初のニュース・キャスターとなった田英夫が、北爆の状況を現地からリポートした『ハノイ・田英夫の証言』も自民党が問題視して話題となった。この番組を作った村木良彦もまた、萩元と同様に“非現場”へと追いやられることになる。

村木良彦も今野勉も、萩元に負けず劣らず個性的で優れた制作者だ。しかし、国の許認可事業としての放送局を経営する側から見れば、彼らは会社の言いなりにならない“危険分子”である。ひと癖もふた癖もあるこの男たちが自由に番組を作ることを許すわけにはいかなかった。

やがてTBS闘争が沈静化し終息に向かうころ、彼らは「ものをつくるための組織」「テレビ制作者を狭い職能的テリトリーから解放する組織」、つまり「テレビマンの組織」をつくることになる。実現へ向けて、水面下で難しい地ならしを行ったのは、村木や今野と同期入社の吉川正澄(きっかわ・まさずみ)だった。

1970(昭和45)年2月25日、萩元、村木、今野、吉川たちTBS退職者に、契約・アルバイトのスタッフも加えた総勢25名が、わが国初の番組制作会社を興す。「テレビマンユニオン」の誕生である。それは、番組をつくること、流すこと、その両方を放送局が独占的に行ってきた日本のテレビ界にとって一種の革命だった。

萩元は、皆に推される形で初代社長となる。この時、連日の話し合いの中で決めた組織の”基本三原則”は「合議・対等・役割分担」。それはテレビマンユニオンの創立から47年が過ぎた現在も生きている。

三原則の意味について、萩元はこう語っていた。「経験年齢とは一切関係なく全員が“対等”で、その運営は“合議”でなければならず、社長は選挙によって選ばれた者が“役割分担”する。全員が“やりたいことをやる”ために」。


●半世紀の時を超える『お前はただの現在にすぎない』

私がテレビマンユニオンに参加したのは1981年だ。創立から10年が過ぎていた。現在は、制作会社として大手の一つだが、当時はまだ規模も小さく、いわゆるベンチャーみたいなものだった。

採用試験は2年に1度。年齢・学歴・職歴・性別・国籍等、一切不問。この年の試験に挑んだ者、1600名。合格者は4名だった。

当時、村木が二代目社長を務めていた。新人4名が初めて揃った初日、私たちに向かって、村木は2つのことを言った。

「明日ツブれるかもしれませんが、それでもいいですか?」

4名のうち2名は新卒。私ともう一人(女性)は社会人経験があった。私自身は、高校教師の職を辞して参加していた。「ツブれるかも」と言われても、すでに帰る場所はない。

もう一つ、村木が言ったのは・・・

「組織に使われるのではなく、組織を使って仕事をしてください」

これに、シビれた。「明日ツブれてもいいや」と思った。以来、『お前はただの現在にすぎない』一冊と、この言葉を拠りどころに、20年にわたってテレビの仕事をすることになる。

2017年、すでに萩元も、村木も、吉川も故人となった。今野だけは元気だ。80歳となる今も、現役の演出家である。そしてテレビもまた、“問い”を続けており、“現在”であり続けている。

「最後に聞きますが、あなたはいったい誰ですか?」